ブラジルが生んだしなやかなザゲイロ。
もともとは中盤の選手であり、小さい頃は攻撃的なポジションも務めていたため、非常に攻撃センスに優れている。センターバックとしての大きさも十分で、上にも下にも強く、ストッパーとしてもリベロとしてもプレーできる理想的な選手と言われていた。 サンパウロFCで頭角を現わし、リベルタドーレス杯制覇などを経験した後、スペインのアルバセッテへ移籍したが、水に合わずサンパウロの宿敵パルメイラスへ加入。
ヴェルダンでは全国選手権、コパ・ド・ブラジル、コパ・メル・コスールなど多くのタイトルを獲得し、1990年代前半の黄金期を支えた。当時はロベルト・カルロスとのドイス・カルロスがディフェンダーながらも攻撃の主役をになったことで話題となった。
1996年には柏でプレーし、1997年にはコリンチャンスを経てASローマへ移る。ローマではスクデット獲得に貢献し、チャンピオンズ・リーグでもプレーした。
若いうちからA代表入りしていたが、W杯には縁が無く、1994年は怪我で外れ、1998年はザガロに構想外とされた。
そして、ラストチャンスとなった2002年大会では、予選中盤までレギュラーだったものの、若手の台頭によりポジションを失っ。1999年のコパ・アメリカ優勝がセレソンでの主要なタイトル。