4年に渡るJリーグでの活躍で日本語も流暢なアジアのリベロ。89年の高麗大在学中に代表となり、90年のイタリアW杯に出場。以後全てのW杯に出場し、94年米大会ではドイツ、スペインという強豪国からもゴールを挙げている。兵役の関係、そして余りに大きすぎる国内でのその存在感のために欧州クラブへの移籍を見送ってきたが、97年にJリーグへ新天地を求めると、平塚〜柏でその実力をあますところなく発揮し、日本のファンにも鮮烈な印象を残した。
そのキャリアを通じて洪明甫が出場した試合では、日本が一度も勝つことができなかった。
抜群の読みをいかしたカバーリング能力はワールドクラスで、類希な危機察知能力でチームをピンチから救う。攻撃力も兼ね備え、ボランチやトップ下までもこなすことができた。
01年に疲労骨折し、日本での最後のシーズンは不完全燃焼となったが、02年のW杯では国民の熱狂的な応援に支えられ、アジアの国として初めての準決勝進出に大きく貢献した。
02年秋のブラジル戦を最後に代表からは引退、将来的なビジョンのもとでMLSへと新天地を求めた。
2002年W杯ベストイレブン。2000年Jリーグベストイレブン。