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| B&B/ビー・アンド・ビー |
| Bed&Breakfastの略。イギリスに数多くある簡易ホテル。ホテルより値段が安く、旅行者に重宝される。小さな部屋にベッドと洗面所やテレビ程度があり、シャワーやトイレは共同の場合が多い。パディントンやヴィクトリアといった主要な駅の周辺に多くある。 |
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| Babb,Phil/フィル・バブ |
エース・キラーとしてコベントリーやリバプールの最終ラインを支えたディフェンダー。リバプールでは92年のFA杯獲得などに貢献し、アイルランド代表としては94年のW杯米国大会にも出場している。
英国系の選手としては珍しくポルトガルへ渡り、スポルディグ・リスボンでも活躍した。アイリッシュには珍しい黒人選手。1970年11月30日生まれ、180センチ78キロ。 |
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| Banks,Angela/アンジェラ・バンクス |
スウェーデンでプレーしていたイングランド女子代表のMF。
2001年の欧州選手権ではイングランド唯一のゴールを挙げた。スウェーデンの国籍も取得している。 |
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| Barnes,John/ジョン・バーンズ |
ダルグリッシュ引退後のアンフィールドで首領として君臨した重量級アタッカー。ワトフォード時代に注目を集めてフル代表入り。86年と90年のW杯にも出場し、通算79キャップ11ゴールという偉大な数字を残している。87年に£90万で赤いユニフォームに着替えると、90年代にかけてのリバプールの顔として絶大な支持を集めた。
MFからFWまで幅広くこなし、晩年はニューカッスルやチャールトンでもプレーした。88、90年と2度のフットボラー・オブ・ジ・イヤーに輝き、引退後はセルティックの監督も務めた。
1963年11月6日生まれ。 |
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| Barnet/バーネット |
1888年に出来たバーネットFCが1901年につぶれた後、1903年にバーネット・アベニューとアルストン・ワークス(バーネット・アルストン)が生まれ、1912年にその2つが合併。1919年より現在のバーネットが生まれた。1946年アマチュアFA杯制覇を成し遂げた後も、長くアマとして活動してきたが、1990年代からはフットボールリーグに上がって、ディビジョン2でも戦った。
ホームスタジアムアンダーヒルはピッチが傾斜していることでも有名。 |
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| Barnsley/バーンズリー |
1887年に教会の人間によってバーンズリー・セント・ピータースという名前で創設され、1年後にプロ化した。1912年には、WBAを破ってクラブ唯一のタイトルとなるFA杯に優勝している。トップリーグでの経験はほとんどなく1997-98年シーズンにプレミアでプレーしたが、1年で降格している。ホームスタジアム、オークウェルには19世紀に定着。
ニックネームはタイクス(野良犬の意)。ユニフォームは赤に白地の縁取り。 |
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| Barriers/バリアー |
主にスタジアムと観客席を分け隔てるフェンスのこと。ヒルズボロで多数の圧死者が出た教訓から、現在のイングランドでは設置を禁じられている。
また、観客席自体を取り囲むフェンスや壁をも指し、これが壊れたことによる惨事も多数発生している。 |
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| Barton,Tony/トニー・バートン |
アストン・ヴィラが1982年に欧州チャンピオンズ・カップに優勝したときの監督。
リーグ優勝に導いたロン・ソーンダース監督の突然の辞任後を受け、アシスタントから1983年2月に就任。わずか4ヶ月で見事にクラブ初の欧州チャンプの座を射止めた。
サウサンプトン、ポーツマス、ノーサンプトンでも指揮を執った。1993年にわずか56歳で死去。 |
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| Barton,Warren/ウォーレン・バートン |
| イングランド代表にも選ばれた熱血漢のDF。ウインブルドンでキャリアの前半を過ごしてニューカッスルに移籍したが、安定性にかけたために信頼出来る選手としての評価をなかなか得られなかった。1969年3月19日生まれ。 |
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| Baseball
Ground/ベイスボール・グラウンド |
ダービー・カウンティーが使用していた以前のホーム・スタジアム。最高入場者数は1969年9月20日のトッテナム戦で記録した41,286人。その名の通り、元々は1889年に米国帰りだったガラス工場のオーナーが野球場として造ったもの。1924年にクラブ買取り、造り直した。
戦前までは定期的に野球も行われていた。97-98年シーズンよりトップチームの試合は新設のプライド・パークへと移り、現在ベイスボール・グラウンドではリザーブリーグの試合のがみ行なわれている。 |
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| Bassett,Billy/ビリー・バセット |
ウエスト・ブロムウィッチ・アルビオンで活躍したウインガー。1886年から1899年までの全てのキャリアをWBAで過ごし、1888年と1892年のFA杯獲得に貢献した。WBAでは通算450試合に出場、125ゴールを挙げている。1908年からはクラブの会長に就任し、サッカー協会やフットボール・リーグ機構の役員も歴任した。イングランド代表として16キャップで7ゴールという記録も残している。
1869年1月27日生まれ、1937年没。 |
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| Bates,Ken/ケン・ベイツ |
チェルシーのオーナー。90年代半ばから多額の投資をして、クラブのハードとソフトの両面を改革。大躍進をもたらした。
余りに有名外国人選手を買い漁ってきたため、他のファンからは煙たがられる存在となっている。 |
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| Battle
of Highbury/バトル・オブ・ハイベリー |
1934年に行われたイングランド−イタリア戦を指す。
親善試合であったのだが、度重なるラフプレーや乱闘で多くの怪我人を出した。試合はイングランドが3-2で勝っている。 |
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| Batty,
David/デイビット・バッティ |
ハードなタックルで敵のボールを奪う守備的MF。そのプレースタイルゆえに審判からラフにとられることも多く、カードを出される場面もしばしば。気性も荒く、相手チームからは常に怖れられる殺し屋。若い選手リーズにおいては貴重なベテランであり、よき兄貴分的存在。経験豊富な試合を読む目で波のあるチームに安定感をもたらす。98年の仏W杯にも出場。敵のエースキラーとして重要な役割を果たした。ブラックバーン、ニューカッスルでも活躍した。
1968年12月2日生まれ。 173センチ
76キロ。 |
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| Bazz/バズ |
| シェフィールド・Wのマスコットキャラクター
ふくろうがモチーフで、帽子が脱げない。 |
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| Beardsley,Peter/ピーター・ベアズリー |
80年代から90年代にかけてイングランドの一時代を築いたアタッカー。機動性に優れ、切れのあるフェイントとスピードある突破でDFを混乱させた。
リバプール、ニューカッスル、エバートンなど非常に多くのクラブでプレーし、晩年には2部や3部のクラブでも若手に豊富な経験を伝えてきた。リネカーの良きパートーナーとしても知られ、86年や90年のW杯にも出場した。イングランド代表56キャップ。1961年1月18日生まれ、173センチ72キロ。 |
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| Beckham,David/デイビッド・ベッカム |
イングランドだけでなくサッカー界全体のシンボル的存在となったMF。右足から繰り出されるピンポイントクロスと正確無比なFKが最大の武器であり、クラブと代表で多くのゴールを生み出してきた。
マンチェスター・Uのユース育ちで、リーグ、カップを含めた数々のタイトル獲得に貢献。2度のW杯にも出場している。03年にはMBE勲章も手にしてスペインのレアル・マドリーへ移籍した。
妻がアイドルグループのメンバーということで、ピッチ外でも多くの話題を集め、常にパパラッチにも追われる身となっている。
183センチ75キロ。1975年5月2日生まれ。 |
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| Bees/ビーズ |
バーネットとブレントフォードの愛称。
両チームとも蜂をクラブのシンボルとしているため。 |
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| Bell,Colin/コリン・ベル |
マンチェスター・Cの黄金期を担ったMF。1963年7月にベリーに加入するまではニューカッスルやサンダーランドのテストに落ちていた。1966年に47,500ポンドでマンチェスター・Cに加入すると、67−68年シーズンのリーグ優勝を始め、FA杯やカップ・ウイナーズ・カップの獲得などシチズンズに多くのタイトルをもたらした。
1968年5月にイングランド代表へデビュー。1970年のW杯メキシコ大会にも出場し、通算48キャップを得ている。1976年に大怪我に見舞われ、それが原因となって1979年に引退した。1946年2月26日生まれ。 |
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| Berger,Patrick/パトリック・ベルガー |
96年の欧州選手権でチェコ躍進の原動力となったMF。リバプールに加入後は、強烈な左足のキックとスピーディーなドルブルを織り交ぜたゲームメイクで一躍アンフィールドのヒーローとなった。長髪をなびかせて疾走する姿はフォトジェニック。2003-04年シーズンからはポーツマスに移籍。
1973年11月10日生まれ、187センチ80キロ。 |
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| Berkovic,
Eyal/アエル・ベルコビッチ |
サウサンプトン時代のスーネス監督がマッカビー・ハイファから獲得したMF。小柄だが非常にクリエイティブで、技術的にも高いものを持つ。イスラエル代表でも中心的存在。
ウエストハム〜セルティック〜マンCでもプレー。1972年4月2日生まれ。 |
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| Bertie
B/バーティー・B |
| バーンリーのマスコットキャラクター。蜂がモチーフで、顔の横縞が表情を分かりづらくさせている。 |
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| Big
Issue/ビッグ・イシュー |
| ホームレスを支援する団体が自助のために発行している情報誌。ビッグ・スターのインタビューが載っていたりと、内容はかなり充実している。情報も探しやすく、雑誌としての質は高い。 |
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| The
Big Match/ザ・ビッグ・マッチ |
| 日曜の午後にITVで放映されていたハイライト番組。 |
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| Big
Ron/ビッグ・ロン |
| マンUの監督として有名だったロン・アトキンソンの愛称。 |
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| Bilic,Slaven/スラベン・ビリッチ |
頑強な身体を活かした激しい守備が売りのCB。気性も荒く、いわゆるマリーシアに長けた選手。ドイツのカールスルーエからウエストハムへ加入し、97年に当時DFとしては英国で最高額となる450万ポンドでエバートンへ移った。
98年のW杯でフランスのブランを退場に追い込んだ演技のため、大ブーイングを浴びたことでも有名となった。97年にはプレミアリーグでの活躍が認められ、クロアチアの年間最優秀選手にも選出されている。1968年9月11日生まれ。 |
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| Birmingham
City/バーミンガム・シティ |
1875年にトリニティ教会のクリケットクラブがつくったチームが起源。当初はスモールヒース・アライアンスとして活動し、1945年にバーミンガム・シティとなった。タイトルは1963年のリーグカップしかないが、1955年にフェアーズカップに出場し、イングランドのクラブで初めて欧州カップの決勝まで進出した。
ホームスタジアムは、セント・アンドリュース。1979年にチームのエースだった、FWトレヴァー・フランシスをノッティンガムに売り、移籍金が初めて£100万を超えたことも話題となった。 |
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| Blackcats/ブラックキャッツ |
| サンダーライドの愛称。 |
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| Blackpool/ブラックプール |
| あのサー・スタンリー・マシューズにより、1953年のFA杯を制したクラブとして余りにも有名。1887年にセント・ジョン校のOBらによって設立され、ランカシャーリーグの創設メンバーとなった。1896年に2部リーグへ加盟し、現在のブルーム・フィールドをホームとするようになった。チームカラーはイングランドには珍しいオレンジ。スタン・モーテンセンやジミー・アームフィールドなどの名選手も在籍した他、近年では2002年のW杯に出場したトレヴァー・シンクレアも、ブラックプールの出身。 |
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| Blanchflower,Jackie/ジャッキー・ブランチフラワー |
トッテナムで一時代を築いたダニー・ブランチフラワーの兄。北アイルランド代表でマンチェスター・Uが56年にリーグ優勝したときのメンバー。主にウイングハーフとして活躍した。
「ミュンヘンの悲劇」の犠牲となり、一命はとりとめたが選手としてのキャリアは絶たれてしまった。
1933年3月7日生まれ、1998年永眠。 |
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| Blomqvist,Jesper/イエスペア・ブロンクビスト |
| スウェーデン代表のMF。イエーテボリの活躍からACミランへ引き抜かれ、パルマでもプレー。98-99年シーズンからはマンUの一員となり、トレブルも体験。だが、1年目以降は出番を失い、エバートンへ移った。1974年2月5日生まれ。 |
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| Bloomer,Steve/スティーブ・ブルーナー |
ダービーとミドルスブラで活躍したFW。リーグ戦では通算598試合に出場し、353ゴールを記録している第一次大戦前の英雄的選手。
イングランド代表23キャップで28ゴールを挙げており、1956年まで代表ゴール数の記録は破られなかった。
1874年1月20日生まれ、1938年4月16日没。 |
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| Blue
Nose/ブルー・ノーズ |
| エバートン・ファンのこと。元々は禁欲的な人を指す。 |
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| Bluey/ブルーイ |
| イプスウィッチのマスコットキャラクター。馬がモチーフで真っ青なたてがみが特長的。顔はちょっと怖め。 |
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| Blur/ブラー |
| W杯フランス大会の公式ソング、「Song2」を歌ったバンド。90年代のブリット・ポップ・シーンにおいて多大なる影響を及ぼした。フロントマンのデーモン・アルバーンは芸能人によるサッカー大会サッカーシックスの常連。代表作:パークライフ、シンクタンク |
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| Boa
Morte,Luis/ルイ・ボア・モルテ |
| ポルトガル代表経験を持つFW。アーセナルが青田買いをしてイングランドに連れて来た。アーセナルではアネルカやベルカンプ、サウサンプトンではビーティーやパハースらの存在に阻まれて出場機会を得られず、フラムへ移籍。テクニックとスピードはある方だが、嗅覚が足りずにレギュラークラスとはなれずにいる。1977年8月4日生まれ |
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| Board/ボード |
| 理事会のこと。クラブの役員が集まる最高議決機関。 |
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| Bolton
Wanderers/ボルトン・ワンダラーズ |
創立以来24度の昇格、降格を経験しているという珍しいクラブ。
創立は1874年、ワンダラーズとして。黄金時代は1920年代で、この時期に3度のFA杯を制している。97年にユニフォーム・スポンサーでもあるリーボックのおかげで新しいホーム・スタジアムをオープン、そのままリーボック・スタジアムと名づけられた。今はイバン・カンポ、オコチャ、ジョルカエフなど海外の有名クラブで活躍した選手を抱え、かつてはセレッソ大阪の西沢明訓も所属した。 |
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| Bonds,Billy/ビリー・ボンズ |
代表経験こそないものの、MBE勲章まで手にしたDF。ウエストハムに20年以上に渡って在籍、2度のFA杯優勝に貢献した。クラブでの通算793試合出場は、歴代トップの数字を誇る。右サイドバック、センターバック、守備的MFを務め、セットプレーの際には空中戦の強さを発揮して貴重な得点源ともなった。
実直で勤勉な性格から多くの尊敬を集め、90-94年シーズンには古巣の監督となった。 |
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| Bonzo/ボンゾ |
| ウエストハムで20年以上に渡ってプレーしたビリー・ボンズの愛称。MBE勲章も得ているDFで、監督も務めたが、代表に縁がなかった。 |
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| Booked/警告 |
| 警告を受けること。(Booked
Player=警告を受けた選手) |
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| Boots/ブーツ |
| スパイク・シューズのこと。かつては、くるぶしの上まで覆う靴がサッカー専用のものであったことから、今でもこう呼ばれる。 |
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| Boro/ボロ |
| Middlesbroughの愛称。 |
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| Boston
United/ボストン・ユナイテッド |
| 1934年に地元の2つのクラブが合併して誕生した。2002年にフットボール・カンフェレンスを制し、初のフットボール・リーグ昇格を決めた。ホームスタジアムは、ヨークストリートで、愛称はピルグリムス(巡礼者)。かつてはハワード・ウィルキンソンを輩出している。 |
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| Bould,Steve/スティーブ・ボウルド |
アーセナルで長くプレーした長身CB。無骨なタイプながらも、黙々とクロスボールを跳ね返すストッパータイプ。晩年はサンダーランドでもプレーした。
1962年11月16日生まれ |
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| Bowyer,Lee/リー・ボウヤー |
この数年はアジア系青年への暴行容疑で裁判に追われたことが話題となったMF。リーズで頭角を現わし、激しく勤勉なプレースタイルでフル代表まで昇りつめた。リーズの財政難もあって出身地に近いウエストハムへ移籍したが、降格したためにニューカッスルへと移った。
1977年1月3日生まれ。 |
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| Box/ボックス |
| ペナルティ・エリアを指す別の言い方。ペナルティ・ボックスという言い方もされる。 |
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| Boxing
Day/ボクシング・デイ |
クリスマスの翌日で贈り物の日とされる。英国では公休日。
この日のイングランド・リーグでは、ほとんどの試合が12:00キックオフとなる。 |
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| BR/ビー・アール |
| British Railways(英国国有鉄道の略)。全土に鉄道網が張り巡らせれており、どこに行くにも便利だが、駅が街の中心にあるとは限らない。 |
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| Bracewell,Paul/ポール・ブレイスウェル |
| フラムで活躍したハーフ。ケビン・キーガンがイングランド代表監督に転出したことからチームを引継ぎ、プレミア昇格へと導いた。 |
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| Branco/ブランコ |
抜群の破壊力を誇る左足のキックで世界を制したブラジル代表の左サイドバック。ミドルスブラでプレーし、ジュニーニョ、エメルソンとともにブラジル・トライアングルを形成。FAカップ決勝進出などに貢献したが、チームはプレミア残留に失敗した。94年W杯優勝メンバーの一人。
1964年4月4日生まれ |
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| Bridges,Michael/マイケル・ブリッジス |
柔らかな身のこなしでフィニッシュに絡むストライカー。サンダーランドで大ブレイク、クインやフィリップスを残して放出したことに怒ったファンも多かった。
リーズに移った後は怪我や厳しいポジション争いもあって出番は少なくなっている。
1978年8月5日生まれ |
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| Bridge,Wayne/ウェイン・ブリッジ |
正確なクロスを武器とする左サイドの専門家。
ホドル政権下のサウサンプトンで頭角を現して注目を集め、最終ラインだけではなく中盤でもプレーできる高いセンスを買われて代表入りした。2002年W杯にも出場。その後、アブラモビッチによって金満経営となったチェルシーに移籍した。
19年月日生まれ |
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| Brighton
& Hove Albion/ブライトン&ホーヴ・アルビオン |
ブリテン島南部のブライトンにあるクラブ。1897年にブライトンユナイテッドが結成され、ブライトン&ホーヴ・レンジャースに。1901年に現在の呼称となり、カウンティ・グラウンドに移転。1910年には南部リーグに優勝し、アストン・ヴィラを破ってチャリティ・シールドをも獲得している。1920年には3部リーグの創設メンバーとなったが、2部へ上がるまでには30年以上を要した。1979年に初めて1部まで上がったが、83年に転落。だが、その1983年にはFA杯決勝まで進み、再戦の末、マンチェスター・Uに敗れている。ニックネームはシーガルス。
アーセナルのイングランド代表CBマーティン・キーオンもここの出身で、名将ブライアン・クラフが指揮を執った時期もある。ホームスタジアムはウィズディーン。 |
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| Bristol
Channel/ブリストル・チャネル |
ブリストル海峡。ウエールズのカーディフとブリストルに挟まれた海峡のこと。
エイボン川が流れ出るところ。 |
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| Bristol
City/ブリストル・シティ |
1894年にブリストル・サウスエンドとして設立され、1897年に株式会社化。1900年にはベッドミンスターFCと合併し、そこが使っていたアシュトン・ゲイトに移転した。1906年に2部で優勝、その後の数年と1970年代後半にトップリーグを経験している。
1909年にはFA杯決勝まで進んだが、マンチェスター・Uに敗れている。だが、1934年にはウェルッシュ・カップに優勝。アンディ・コールやナイジェル・マーティンを輩出している。愛称はロビンス。 |
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| Bristol
Rovers/ブリストル・ローバース |
| 1883年にブラック・アラブスとして創設され、翌年イーストビル・ローバースとなり、更にブリストル・イーストビル・ローバースへ。現在の呼称になったのは、1898年。多くの場所を転々としてから、90年近くをイーストビルに居を構え、1996年からは現在のホーム、メモリアル・スタジアムに。1920年の3部創設時のメンバーで、30年以上3部で戦っていた。トップリーグの経験はなく、獲得タイトルもなし。1980年にはスタジアムの火災によりライバル、ブリストル・シティのグラウンドを間借りしたこともあった。愛称はパイレーツ。 |
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| Britton,Cliff/クリフ・ブリットン |
| 戦前のエバートンで活躍したMF。パスセンスに長け、1934年のイタリア戦「ハイベリーの戦争」にもイングランド代表として出場した。 |
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| Bruce,Steve/スティーブ・ブルース |
1990年代初頭にマンチェスター・Uの復権に尽力したセンターバック。
ファーガソン監督の信頼も厚く、B・ロブソン不在時は主将も務めていた。
晩年はキャリアをスタートさせた古巣バーミンガムへ戻り、後に監督にも就任した。
1960年12月31日生まれ |
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| BT
Cellnet/ビー・ティー・セルネット |
| 携帯電話会社。ミドルスブラのスポンサーになっており、胸マークやスタジアムにも名前が付けられている。 |
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| Bull,Steve/スティーブ・ブル |
ウルブスの英雄であり、代名詞ともなっていたストライカー。そのキャリアの中で一度もトップ・リーグでプレーすることはなかったが、イングランド代表にも選ばれて90年のイタリアW杯でプレーした。
典型的なイングランド・スタイルのセンター・フォワードで、無骨な印象はあるが、巧みなキープからチャンスメークすることも得意としていた。
1965年3月28日生まれ。 |
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| Bulldog
breed/ブルドッグ・ブリード |
| 俗語で英国人のこと。 |
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| Burkinshaw,Keith/キース・バーキンショー |
トッテナムの監督となり、アルゼンチンからアルディレスらを獲得するという歴史的な移籍を実現させた監督。81、82年にFA杯を連覇。
1984年にはUEFA杯にも優勝を果たし、ホワイト・ハート・レーンに一時代を築いた。 |
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| Burnley/バーンリー |
1921年、1960年と2度のリーグ制覇を経験。1914年にはFA杯優勝も果たしている古豪。1881年にバーンリー・ローバーズというラグビー・クラブとして発足。翌年、サッカークラブに転換し、ローバースの名称を外した。1883年より現在も浸かっているターフムーアをホームとしており、一度も移転していない。これより長くホームグラウンドが変わっていないのは、ストークとプレストンのみ。1888年のリーグ創設メンバーであるが、1897年には早くも降格を経験。
1970年代までは1部で過ごす時間も多かったが、1980年代には4部まで転落している。ニックネームは、ユニフォームの色通りにクラレッツ。クラブ最多の出場数を誇るジェリー・ドーソンに、178点を挙げたジョージ・ビールが全盛時の中心選手。近年ではイアン・ライトにリー・ディクソンといったアーセナルの一時代を築いた選手も在籍した。 |
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| Burslem/バースレム |
| ポート・ベイルのある中部の街 |
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| Burton,Deon/ディオン・バートン |
ダービーのジャマイカ人FW。98年の仏W杯時にはジャマイカのエースとして日本のメディアにも数多く取り上げられた選手。裏へ抜ける精力的なフリーランニングと思い切りの良いシュートが魅力だが、決定力が低く安定した成績を残せていない。
1976年10月26日生まれ。 |
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| Bury/ベリー |
マンチェスター近郊のクラブで、創立は1885年。町にあった2つのクラブ、ベリー・ウェズリアンズとベリー・ユニタリアンズが合併してできた。
1894年にフットボールリーグに加盟すると、翌年には1部に上がって1912年までトップリーグにいた。この時期がクラブの黄金期で、1900年と1903年にはFA杯にも優勝している。
その後、1920年代に再び1部に上がっているが、以来トップリーグの経験もない。ホームのギグ・レインはクラブの設立当初から使用されており、現在の収容数は11,841人。
愛称はシェイカーズ。 |
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| Bushwhackers/ブッシュホワッカーズ |
1980-81年シーズンに結成されたミルウォールのフーリガン・グループ。
F-Troop,Treatment, Half-Way
Linersという3つの団体が合併して組織された。政治的右翼グループ、ナショナル・フロントと近い関係を持つ。 |
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| Butcher,Terry/テリー・ブッチャー |
イプスウィッチ在籍時にボビー・ロブソン監督に見出された長身のセンターバック。流血も辞さない激しいディフェンスが売りで、192センチの高さをいかした空中戦では絶対的な強さを誇った。
イングランド代表でも長くレギュラーをつとめ、82年から90年まで3度のW杯に出場。イプスウィッチでは81年にUEFAカップで優勝を果たし、後にグラスゴー・レンジャースへ移籍。チャンピオンズ・カップなどでも活躍した。1958年12月28日生まれ、192センチ84キロ。 |
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| butt/バット |
| ひどいファウルや悪意のある暴力行為。(例:ヘッドバット=頭突き) |
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| Butt,Nicky/ニッキー・バット |
抜群のバランス感覚を持つイングランド代表MF。細身ながらも当たり負けせずにボールを奪い足首のスナップを利かせたキックで展開させる。マンチェスター・Uのユースシステムが生んだ黄金の世代の一人。
179センチ69キロ。1975年1月21日生まれ。 |
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| Byrne,Roger/ロジャー・バーン |
| 地元マンチェスター出身でバスビー・ベイブスの主将を務めていたディフェンダー。ミュンヘンの悲劇にあい、28歳で他界している。 |
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