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| H'Angus/ハンガス |
| ハトルプールのマスコットキャラクター。サルがモチーフ。 |
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| Hamann,Dietmar/ディーター・ハマン |
驚異的な長距離砲を持つMF。非常にタフで粘り強いプレーを身上とし、ドイツ人らしいメンタリティをも武器とする。
バイエルン・ミュンヘンで名声を確立し、98年にニューカッスルへ移籍し、プレミアリーグへ飛び込むと翌シーズンからはリバプールに移ってカップ・トレブルなどに貢献。一躍アンフィールドのピッチに欠かせない存在となった。2002年のW杯予選、ウェンブリースタジアムでの最後の試合においてイングランドのキーガン監督を辞任に追い込むゴールを挙げていることでも知られる。1973年8月27日生まれ。 |
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| Hamlyn/ハムリン |
| イギリスの出版社。サッカー関連の出版物を多く出しており、クラブの歴史物が得意。 |
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| Hammers/ハマーズ |
| ウエストハム・ユナイテッドの愛称。クラブのエンブレムにハンマーが描かれていることから由来。 |
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| Hamstring/ハムストリング |
膝の腱。ひざの裏にある筋のこと。
瞬発力に長けた人が痛めやすいと言われる。 |
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| Hargreaves,Owen/オーウェン・ハーグリーブス |
イングランドでプレーした経験を持たないイングランド代表MF。高い戦術眼を持ち、全てにおいて精度の高いプレーができる。ドイツの名門バイエルン・ミュンヘンで頭角を現わし、目覚しい成長を遂げた。
180センチ73キロ。1981年1月20日生まれ。 |
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| Harford,Mick/ミック・ハーフォード |
| 80年代のルートン・タウンでカルト・ヒーローとなっていたCF。タフで、荒っぽいプレーを厭わない姿勢で人気を集め、88年にはイングランド代表にも抜擢された。ルートンには2度に渡って在籍、168試合で69ゴールを挙げている。 |
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| Harper,James/ジェイムス・ハーパー |
| レディングの将来を担うとされているMF。ウェストハムのユース出身で、アーセナルに移った後、カーディフでのレンタル生活を経て2001年にレディングへ。1980年11月9日生まれ。 |
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| Harrow
School/ハロー校 |
| 世界で最初にフットボールを行なったとされる学校 |
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| Harry/ハリー |
| ワトフォードのマスコットキャラクター。蜜蜂がモチーフで、長いまつげが目立つ。 |
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| Harte,Ian/イアン・ハート |
驚異的な精度を誇るキックを持つリーズの左サイドバック。FKのスペシャリストでもあり、数々の貴重なゴールを直接叩き込んでいる。アイルランド代表。リーズ〜レバンテ(スペイン)
1977年8月31日生まれ。 |
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| Hartlepool
United/ハートルプール・ユナイテッド |
1908年に設立され、1968年から1977年まではユナイテッドが省かれて単にハートルプールと呼ばれていた。1921年の北部3部リーグ創設時のメンバーで、それからほとんどの時間を最下層のディビジョンで過ごしている。
初めて昇格を経験したのは1968年で、その後も1990年代に上がっただけ。ホームスタジアムのヴィクトリア・パークは、西ハートルプール・ラグビークラブが使っていたものを引き継いだもの。
青と白のストライプのユニフォームで、短くプールと呼ばれている。 |
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| Hartson,John/ジョン・ハートソン |
アーセナルで頭角を現わし、カップ・ウイナーズ・カップ獲得に貢献したウェールズ人ストライカー。ウエストハムではポール・キットソンとのコンビでゴールを量産して、降格争いに巻き込まれていたチームを救った。パンチ力のある思い切りのよいシュートが魅力。気性が荒く、たびたび出場停止などを食らう。
ウインブルドン、コベントリーなどでプレーした後、セルチックへと移っている。
ウェールズ代表。1975年4月5日生まれ。 |
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| Havelange,Joao/ジョアン・アベランジェ |
| 第7代のFIFA会長。元々は車の販売を手掛けるブラジル人で、かつては水球の選手だった。1974年のフランクフルトでの総会において現職のスタンリー・ラウス会長を破って当選。98年にゼップ・ブラッター事務局長と代わるまで24年もの長きに渡ってサッカー界の首領として君臨した。在任中はW杯本大会の出場枠拡大や商業的な発展を推進し、サッカーの普及に貢献した。1916年5月8日生まれ。 |
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| Haynes,Jonny/ジョニー・ハインズ |
フラムとイングランド代表で活躍したMF。1950年フラムに加入し、ノンリーグのクラブへ貸し出しされた後の1952年にプロ契約。1961年に史上初めて週給£100を得る選手となった。リーグ戦では通算594試合に出場して145ゴール。54年にはイングランド代表にもデビュー、W杯は58、62年と2大会に出場している。フル代表では通算56キャップで、18ゴールを挙げているが、少年期からの6つの年代全てで代表に選ばれた初めての選手でもあった。交通事故のために代表から声がかからなくなり、フラムでの引退後は南アフリカでプレー、コーチも務めた。後のフラム監督でもある。
1934年10月17日生まれ。 |
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| Heathrow
Airport/ヒースロー空港 |
| イギリス最大の空の玄関。4つのターミナルに分かれており、イギリス各地や世界各地との路線を持つ。ロンドンには他にガドウィック・エアポート、シティ・エアポートもある。 |
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| Hedrie,Lee/リー・ヘンドリー |
| 小柄ながらも非常にセンスの優れたMF。17歳でアストンヴィラのトップチームに上がり、10代のうちにレギュラーポジションを確保した。すでにフル代表も経験済み。1977年5月18日生まれ。 |
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| Heighway,Steve/スティーブ・ハイウェイ |
「ビッグボンバー」の異名で呼ばれたFW。
70年代のリバプールで活躍し、現在はユースチームのディレクターとなっている。 |
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| Herbie/ハービィー |
| ウエストハムのマスコットキャラクター。ハンマーがモチーフで、マンガのような顔。 |
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| Heskey,Emile/エミール・ヘスキー |
頑強で大柄な肉体をフルにいかした重戦車のような突進が魅力のFW。レスター時代は10代のうちからエース格となり、各年代の代表にも選出される。リバプール移籍後はイングランド代表にも定着し、2002年のW杯にも出場。MFとしてもプレーするようになった。
188センチ84キロ。1978年1月11日生まれ。 |
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| Heysel/ヘイゼル |
| ベルギーの首都ブリュッセルにあるスタジアム。現在はキング・ボードワンと呼ばれている。1985年に欧州チャンピオンズカップの決勝で39名の死者を出す惨事があったことで知られている。 |
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| Hinchcliffe,Andy/アンディ・ヒンチクリフ |
| エバートン時代にはイングランド代表にも選ばれたセンターバック。スマートなDFで、空中戦にも強さを見せるものの、決してラフプレーを好まないタイプだった。1969年2月5日生まれ |
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| Hirst,David/デイビッド・ハースト |
| シェフィールド・Wで長く活躍したセンターフォワード。1991年のリーグ・カップ獲得などをもたらした功労者で、クラブ在籍時に100ゴール以上を挙げている。1967年12月7日生まれ、180センチ87キロ。 |
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| Hoddle,Glen/グレン・ホドル |
トッテナムで生まれたクリエイティブなMF。非常にキープ力に優れ、独特のリズムからゲームを組み立てた。FA杯連覇に貢献し、イングランド代表にも選ばれた。W杯には82&86年と2度出場。その大陸的なプレーはモナコでも成功し、ベンゲル監督の下でリーグ優勝を経験した。
指導者としてもその才能を発揮しスウィンドン、チェルシーで好成績を残すと、96年からはイングランド代表監督に就任。98年のW杯仏大会を指揮した。
サウサンプトン、トッテナムの監督も歴任。
1957年10月27日生まれ。 |
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| Hole/ホール |
ボールが送られるスペースや選手が入り込む場所を指して言う言葉。
例文:Put the ball into the
hole(スペースにボールが入ったときに使われる言い方) |
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| Home
strip/ホーム・ストリップ |
| ホームゲーム用のユニフォーム一式を指す。 |
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| Hotspur,Harry/ハリー・ホットスパー |
| シェイクスピアの劇中に出て来るキャラクターで、ヘンリー・パーシーのニックネーム。ここからトッテナム・ホットスパーの名が付けられた。 |
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| Howey,Steve/スティーブ・ハウィ |
| 実に頑強な元イングランド代表DF。怪我が多くなかなか安定した活躍を見せることができない時期もあったが、その能力の高さは、96年の欧州選手権の代表メンバーにも入っていたことで証明されている。1971年10月26日生まれ。 |
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| HT/HT |
| Half Timeの略。前半終了時のスコアを示す。 |
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| Huddersfield
Town/ハダーズフィールド・タウン |
1920年代には、3年連続3度のリーグ優勝を飾った上に、FA杯も獲っている古豪。創設はそれ程古くなく、1908年にグラウンドの所有者が資金援助のつてを見つけたことにより創設された。1910年にグリムズビーに代わってリーグ加盟を果たすが、資金難は続き、移転話も持ち上がる。だが、サポーターなどがこれを阻止すると、1920年に1部昇格を果たし、同時にFA杯決勝にも進出した。そして、ハーバード・チャップマン監督が就任するとクラブは黄金時代を迎える。まず、1922年にFA杯を制覇すると、1924年からは3年連続で1部リーグに優勝。強豪としての地位を固めた。
しかし、戦後の1952年に降格の憂き目に遭うと、トップリーグで生活する時間が徐々に少なくなり、1971-72年シーズンを最後に戻れなくなった。ホームスタジアムは、長年過ごしたリーズ・ロードから1994年にアルフレッド・マカルピンへと移転している。愛称はテリアーズ、スコットランド原産の犬をマスコットにしているため。ビリー・スミスやジョージ・ブラウンが黄金期の選手であり、バロンドールを獲ったデニス・ローも輩出している。 |
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| Hughes,Aaron/アーロン・ヒューズ |
ニューカッスルで頭角を現わした北アイルランド代表のDF。パスセンスに長けている。
1979年11月8日生まれ。 |
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| Hughes,Emlyn/エムリン・ヒューズ |
チームだけではなく、B・ムーア以後のイングランド代表でも主将を務めたリバプールのMF。
クレイジー・ホースと呼ばれるほどに激しくピッチを駆け回った。 |
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| Hughes,Mark/マーク・ヒューズ |
バイエルン・ミュンヘン、バルセロナ、マンチェスター・Uと欧州の超ビッグ・クラ
ブを渡り歩いた“スパーキー”。強烈なシュートと鋭いゴールヘの嗅覚を持つ電光石火のアタッカーとしてその名を広く知られて来た。38歳まで現役生活を続け、数々のタイトルを獲得。現役最後のシーズンにもブラックバーンのリーグ・カップ優勝に貢献した。
チェルシー時代まではオールラウンドなタイプのFWとして攻撃の主役を担っていたが、サウサンプトン在籍時以降は、豊富な経験を活かして守備的な中盤もこなし、選手寿命を延ばしてきた。2000年からは、現役選手でありながらウェールズ代表監督に就任。ウェールズ・サッカー復権のために心血を注いでいる。97年には現役のうちに女王陛下からMBE勲章を授かるという異例の栄誉にもあずかっている。
所属クラブ)マンチェスター・U〜バイエルン・ミュンヘン〜バルセロナ〜マンチェスター・U〜チェルシー〜サウサンプトン〜エバートン〜ブラックバーン
1963年11月1日生まれ |
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| Hull
City/ハル・シティ |
1904年に創設され、翌年2部に加入。当初はラグビークラブとボウルバードグラウンドを共有していたが、所有者がラグビーの観客が起したトラブルから閉鎖してしまった。そこで1943年まではアンラビー・ロードを使い、現在のブースフェリー・パークに落ち着いた。
1910年に3部で3位となったのがリーグでは最高の成績で、他には1930年のFA杯で準決勝まで進んだことが目立つ程度。但し、1984年のアソシエイト・メンバーズ・カップでは決勝進出を果たしている。1998年には元イングランド代表のFWマーク・ヘイトリーが監督に就任した。ニックネームはタイガース。 |
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| Hunter,Archie/アーチー・ハンター |
1884年にわずか35歳でこの世を去ったアストン・ヴィラのストライカー。
リーグでは1888-91年の4年間しかプレーできなかったが、ヴィラ創設期の主将を務めて1887年のFA杯優勝などに導いた。 |
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| Hurlock,Terry/テリー・ハーロック |
| ミルウォール時代にはクラブのイメージと一番マッチした選手と言われ、ファンからも「俺達のリーダー」とうたわれたMF。ミルウォールが初めてディビジョン1に上がったときの功労者でもあったが、非常に喧嘩早くサスペンションはざら。挑発行為やラフプレーも多く「アニマル」と怖れられた。 |
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| Hurst,Geoff/ジェフ・ハースト |
W杯の決勝でハットトリックを達成した唯一の選手。ジョニー・バインのおかげでウイングからCFにコンバートされ65-66年シーズンには40ゴールを挙げて得点王に輝いている。
所属したウエストハムでは、64年のFA杯、65年の欧州CWCでの栄光をもたらした功労者の一人であり、クラブでの通算ゴール数は歴代2位。68年10月19日にはダブル・ハットトリックの偉業を成し遂げている。
72年8月に8万ポンドの移籍金でウエストハムを離れ、ストーク・シティ、ウエスト・ブロムなどでプレー。コーク・セルチックやチェルシーでは監督も務めた。
リーグ杯の通算49ゴールはイアン・ラッシュに並ばれたが、今でも最多記録となっている。1998年にナイトの爵位を授かっている。
1941年12月8日生まれ。 |
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| Hutton,Alexander/アレクサンダー・ハットン |
アルゼンチンへ移り住んだ、英国人にしてアルゼンチン・サッカーの父。
1891年にアルゼンチンサッカー協会を設立し、国内リーグも立ち上げた。 |
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