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| 2002/11/15掲載 |
| 【ラウル・ビセンテ・アマリージャ】 |
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今年のトヨタカップ南米代表オリンピアの選手・監督を務め、
Jリーグの横浜フリューゲルスでも活躍した長身FW。
パラグアイの首都アスンシオンの隣町ルケ市に生まれ、地元の
スポルティボ・ルケーニョで頭角を現わす。
ここでの活躍に目をつけたスペインのレアル・サラゴサが声をかけ、
海を渡る。
初めての海外にもすぐに適応したアマリージャは、スペイン国籍を
取得すればU21スペイン代表に選ばれるという話を持ちかけられる。
迷った末にスペイン国籍を取得。試合にも出場した。
だが、これは同時にパラグアイ代表でプレーする権利を失ってしまった
ことを意味し、アマリージャは母国への想いを以後複雑に噛み締める
ことに。
確かに86年のメキシコW杯にも出場した当時のパラグアイ代表は、
ロメロやカバニャスといったベテラン中心のチームであり、若手の登用は
ほとんどなかったこともその決断に影響を及ぼしたのだろう。
スペイン人となったこともあり、85年には名門FCバルセロナが触手を
伸ばす。
しかし、タレント揃いのビッグクラブの中では結果を残せず、88年に
母国へ戻り、オリンピアに加入。
リベルタドーレス杯では決勝でコロンビアのナシオナル・メデジンに
敗れて頂点には立てなかったものの、アマリージャ自身は通算10ゴール
をあげて大会の得点王となる。
その後しばらくはメキシコのアメリカへ行っていたが、翌年の
リベルタドーレス杯でもオリンピアが決勝トーナメント進出を決めると
舞い戻って来る。今度も5試合で6ゴールを挙げるという活躍を見せ、
ついにオリンピアを11年ぶり2度目の南米王者へと押し上げた。
トヨタカップでは、オランダの三銃士を揃え、当時世界最強を誇った
ACミランの前に圧倒的な差を見せつけられ、0−3と完敗。
アマリージャもコスタクルタ、バレージ、マルディーニを並べる鉄壁の
ディフェンス陣の前に沈黙するしかなかった。
「バンブ(竹の意)」というニックネームで、すらりとした長身から
打ち下ろすヘッドや懐の深いポストワークは一級品。
巧みなキープから両足をつかえるところも大きな強みで、非常に
バランスのとれたCFとして南米の一時代を代表する選手だった。
そして、再び日本の地を踏んだのは93年。ニコスシリーズから
横浜フリューゲルスに加入し、年末の天皇杯獲得に貢献。
翌シーズンも順調にゴールを重ねていたが、シーズン途中で
故障を理由に突如引退してしまった。
私生活ではフルオ・セサル・ロメロの妹と結婚しており、兄弟そろって
パラグアイを代表する英雄となっている。
1960年7月19日生まれ
現役時代のサイズ 188センチ75キロ
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著者:らいてぃー
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