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| 2002/12/12掲載 |
| 【マルコ・ファン・バステン】 |
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クライフ、プラティニとともに過去3人しかいない3度のバロン・ドール
受賞者にして、「20世紀最高のストライカー」とも呼ばれるのが
マルコ・ファン・バステン。
キャリアのスタートは、オランダの名門アヤックスで。
81−82シーズン、17歳のときに師と仰ぐヨハン・クライフと交代出場
してデビューを果たすと、瞬く間にチームのトップスコアラーに成長。
85−86シーズンには、37得点を挙げて欧州大陸での得点王となり、
ゴールデン・ブーツ賞を獲得。
アヤックスでは通算133試合に出場、128点を挙げており4度の
オランダリーグ得点王に輝いている。
その後、87年の欧州カップ・ウイナーズ・カップ決勝で東ドイツの
ロコモティブ・ライプチヒを破るゴールを自ら挙げて、そのトロフィーを
置き土産にイタリアのACミランへ移籍。
当初は怪我で出遅れたが、同胞グーリットとともに久し振りのスクデット
獲得に貢献し、すぐに新天地での地位を固めた。
ただ、ドレッドロックのヘアを振り乱し、言動も刺激的なグーリットと違い、
物静かな性格で生真面目なストライカーには、スポットライトの当たり方も
この頃までは比較的小さかった。
転機となったのは、88年にドイツで行われた欧州選手権。
イングランド戦ではハットトリック、ドイツとの準決勝ではホスト国を
沈める貴重な1発を終了間際に挙げるなど、大会得点王となる
活躍でMVPをさらった。
そして、何より伝説となっているのが、決勝のソ連戦で見せた
スーパーボレー。
右サイドのほとんど角度の無いところからダイレクトでファーのサイド
ネットに突き刺した一撃は、世界屈指の名手リナト・ダサエフさえも
脱帽するしかない神懸かり的なシュートであった。
この活躍で真のスーパースターに昇りつめたマルコは、ファンから
尊敬を込めて“聖マルコ”と呼ばれるようになる。
両足を使えて、豪快なシュートも、繊細なタッチでのフィニッシュも
自由自在。泥臭いゴールも数多く、ゴールへの嗅覚と執念も高い次元
で持ち合わせていた。
強靭な身体をいかしたヘッドも強烈で、高さも強さも兼ね備え、
身体のどこを使っても、どんな距離からでもゴールを奪える選手だった。
初来日は89年のトヨタカップ。コロンビアのナシオナル・メデジンの
堅守に苦しんだ末、延長戦でエバーニの直接FKによって勝利をつかむ。
そして、翌年もチャンピオンズ・カップを連覇。再び日本の土を踏んだ。
2得点を挙げたライカールトにMVPをさらわれたものの、
最も素晴らしい活躍をしたのがファン・バステン。
2点目、3点目のゴールにつながるプレーは、ワールドクラスのFW
としての実力を存分に見せつけたもので、成熟した黄金期を迎えていた
チームの中にあっても、その存在感は群を抜いていた。
ACミランでは2度のチャンピオンズ・カップ制覇に加え、スクデットも
3度獲得。得点王には2度輝いている。
セリエAでの通算成績は147試合出場で90ゴール。
92年にはFIFA選出の世界最優秀選手、ワールド・サッカー誌が
選ぶ世界最優秀選手、そしてフランス・フットボール誌の欧州最優秀選手
と全ての権威ある賞を総なめにした。
オランダ代表へのデビューは、83年9月欧州選手権の予選、
アイルランド戦。以後10年に渡りオレンジのユニフォームを身にまとい、
通算58キャップの24ゴール。
90年のイタリアW杯では、大会得点王の最右翼と言われながら
一度もネットを揺することなく西ドイツの前に姿を消し、連覇を狙った
92年の欧州選手権では、伏兵デンマークの前にまさかのPK負け。
これが最後の国際舞台となっている。
彼のキャリアを短くする元凶となったのが、度重なる怪我。
当時サッキ監督がミランに持ち込んだゾーンプレスは、世界に衝撃を
与え、セリエAにプレス戦術重視の流れを生み出した。
そのため、選手のプレーエリアは大幅に狭まり、与えられる時間も
少なくなった。
もともと、結果重視の風潮が強いイタリアにおいて、守備面での
ハードさが増していくことは、多くのFWにとって受難の時代を
意味していた。
その一番の被害者がチャンピオン・チームのエースであり、世界No.1
のストライカーとして認知されていたファン・バステンであった。
狭いスペースでの厳しいマークに、度重なる悪質なタックル。
多くの屈強な削り屋たちによって痛めつけられ、ひざやくるぶしは
次々に悲鳴を上げた。
そのため、オランダ時代にかかとの手術をしたのを皮切りに、
足に幾度もメスを入れる運命を背負ってしまう。
最後となった試合は、93年5月のチャンピオンズ・カップ決勝戦、
対マルセイユ。
そのときファン・バステンは、まだ29歳という若さだった。
そして、長い長いリハビリ生活を経た後の95年。
結局、足が完治することはないという診断を受け、シューズを脱ぐことを
余儀なくされる。
長くプレーができなくとも決して契約を切ろうとしなかったミランの態度を
みても、その才能がいかに偉大なものだったかは推し量れるというもの。
実質的には10年にも満たない短いキャリア。
その中で伝説的なプレーを生み出し、尊敬を集めたマルコは
フランコ・バレージらと並ぶ聖人として今もファンから崇められている。
1964年10月31日生まれ
188センチ80キロ
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著者:らいてぃー
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