Soccer Days > Reading > フットボールコラム > 市立船橋と布監督
         
 
2003/01/17掲載
【市立船橋と布監督】
 
このたび、市立船橋を4度目の全国制覇に導いた布啓一郎監督が、今年度限りで公務員生活に別れを告げ、プロのコーチに転身することが有力視されている。

JFA公認のS級ライセンスを持ち、Jリーグでも指揮をとることのできる 布監督には、日本サッカー協会がU17代表監督の椅子を用意し、複数のJクラブもオファーを出していると言われている。

何故こんな話が持ち上がってきたのかというと、布監督は新卒で市船の 体育教師として赴任してからすでに20年。
いくら市立高校とはいえ、公務員である教師が一つの高校にこれほど長く留まるのは異例のこと。来年は、残念ながら異動が確実ということから、布氏本人もプロの指導者として生きる決心を固めたと言われている。

布啓一郎氏は1960年12月21日生まれの42歳。
生まれたのは東京の葛飾区で、2歳のころに千葉県習志野市へ引越す。
習志野市立実籾小学校でサッカーを始め、習志野第四中時代からCFとして注目を集める選手だった。

目と鼻の先には名門習志野高校があり、本人もそこでのプレーを望んだというが、親の反対にもあって県内屈指の進学校、千葉東高校へ進む。

当時の千葉県は、八千代高校の全盛期で、国体代表もそのほとんどが八千代や習志野といった有名高校から選ばれていたが、その中で千葉東から唯一国体代表に選ばれる。

高校卒業後は教師への道を志し、筑波大学も受験したが失敗。
日本体育大学へ進んだ。1年の後半からレギュラーに定着すると、インカレやリーグ戦でのタイトル獲得に貢献、学生選抜にも選ばれた。
卒業するころには日本リーグ2部のチームから誘いを受けるほどに なっていたが、83年市立船橋高校へ新卒の教師として採用された。

市立船橋高校は、この布監督の赴任と時を合わせて、それまで普通科と商業科だけだった中に県内でも珍しい体育科を設置。この2つのファクターが重なり、サッカー部は急激に上昇気流を描く。

当時、全国大会を2度制した名門習志野は、名将西堂監督の退任という事情もあって下り坂に突入。
千葉の高校サッカー界は八千代、八千代松陰、市原緑、柏日体などがしのぎを削る戦国時代の様相を呈していた。

そんな中で、布監督を迎えた市船は、翌84年に久しぶりとなる関東大会への切符をつかむと、85年には就任からわずか3年目というスピードで冬の全国高校選手権に初出場を果たす。
これで知名度も上がった市船には、それまで他に流れていた市内の優秀な少年たちが競って入学して来るようになる。

船橋市では以前から少年サッカーが盛んで、少年サッカー大会で船橋FCが好成績をおさめていたように個々のレベルは高かったが、市内に吸引力のある高校が存在せず、近隣の強豪へ散らばってしまう傾向が強かった。

そうした状況に風穴を空けていったのが、市船。

5年目となる87年にはインターハイで国見を破って優勝。初の全国 タイトルを獲得した。
同年度の冬の選手権では主力に怪我人が続出したこともあり、東海大一高(現東海大翔洋)に敗れてベスト4に終わるが、翌年度もインターハイを連覇。冬の選手権でも準優勝を飾っている。

当時の主力は、名古屋で活躍した小川誠一や日本代表にも選ばれた野口幸司(平塚〜名古屋〜大宮)。
前後の代には、セットプレーの際のサインプレーで人気を博した主将の安達亮(横浜F)や、J2の山形、大分などで活躍、石崎監督から大きな信頼を寄せられていた庄司孝(宮崎プロフェソール)らもいた。

以後は、高校生でバルセロナ五輪予選に出場した高田昌明(横浜F等)や鬼木達(鹿島〜川崎)を擁し、選手権ベスト4に返り咲いたこともあったが、なかなかタイトルを獲れない時期が来る。

だが、ついに94年に選手権を初制覇。
3年に鈴木和裕(市原〜京都)や森崎嘉之(市原〜横河)。2年に砂川誠(柏〜札幌)や城定信次(浦和)、1年には北嶋秀朗(柏〜清水)という後にJリーグ入りするタレントを多数擁しての戴冠だった。

その2年後、前回の優勝時には1年生だった北嶋を軸に佐藤陽彦(京都〜鳥栖)、吉川京輔(札幌)、山根伸泉(浦和)を散りばめたチームは決して本命視されていなかったが、2度目の選手権優勝を果たす。

これで完全に全国でも常に頂点を狙える数少ない強豪校としての地位を固めた市船は、98年には久し振りのインターハイ、99年度には選手権で3度目の優勝と揺るぎ無い地位を築いていった。

選手権優勝高校を過去10年で振り返ってみると、国見の3回を押さえ市船の4回はトップの数字。
卒業したJリーガーも数多く、近年ではシドニー五輪代表だった西紀寛(磐田)やU22代表の黒河貴矢(清水)、アルゼンチンでのワールドユースに出場した羽田憲司(鹿島)、中澤聡太(柏)といったところがおり、今年の3年生の中からも青木良太(G大阪)、大久保裕樹(広島)と2人のJリーガーが誕生する。

このように、ユース年代の育成に目覚しい成果を挙げてきた布監督は、市船でレギュラーが厳しいと思われる選手にも公式戦出場の機会をつくろうと、クラブ組織のチームとしてヴィヴァイオ船橋を結成。
高校サッカー部の枠だけにとらわれない育成方式を生み出してきた。

ヴィヴァイオ船橋は、ユース選手権や天皇杯の県予選で上位進出を果たすなど、新たな強豪として認知されるまでになっている。

伝統的にしっかりとした守備陣を構築することをベースとし、ピッチをワイドに使った展開からのスピーディーな攻撃を得意とするチームを幾度も作り上げてきた指導者としての才能は、特筆に価する。

市船の躍進が千葉県全体のレベルアップにも貢献し、国体での優勝やライバル習志野の復活にもつながっていったことに異論を唱えるものはいないだろう。

高校の指導者からJクラブへの転身を図った例は、東海大一高から清水入りした望月保次氏など、いくらか生まれてきているが、選手権の優勝監督がすぐにプロ契約の代表監督となった例はない。

進路は未定ということだが、旬の指導者が日本のユース世代を世界レベルに定着させるために白羽の矢を立てられたということで、今後の布氏個人とユース代表の動向にも注目する価値はあるだろう。

著者:らいてぃー 

 
 
  メールマガジンの
ご購読(無料)は
こちらから <
enter>