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| 2003/04/03掲載 |
| 【女子サッカーの中心地、アメリカ】 |
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このたび、日本女子代表のMF小林弥生(日テレベレーザ)がアメリカ
プロリーグのアトランタ・ビートへ移籍することとなった。
小林は2月末から米国で練習に参加しており、3月に入ってから
チーム側と正式な契約を結んだ。
4月中旬からは、日本代表としてバンコク(タイ)で開催される
アジア選手権に出場するため、チームへの合流はその後となるが、
アトランタには沢穂希も在籍しており、比較的溶け込みやすいのでは
ないかと思われる。
女子サッカーのプロリーグがアメリカに発足したのは、2001年4月。
それまで女子代表をバックアップしてきた通信会社がメインスポンサー
となり、選手たちが共同オーナーとなって経営に参加するという独自の
方式をとっての誕生だった。
99年に地元で行われたW杯で優勝したアメリカ代表は、ミア・ハムや
チャスティンらのスター選手を生み出し、一躍、陽の当たる存在となった。
雑誌のグラビアを飾り、マイケル・ジョーダンやサミー・ソーサとCFに
出演するミア・ハムのような選手が現れたことで、女子サッカーの認知度
は飛躍的に上昇。
そのレベルの高さと人気が後押しとなり、選手たちは組合を結成。
代表選手たちは、サラリーの上昇を要求してサッカー協会と対立したが、
試合をボイコットするなどして男子との待遇格差を改善し、プロ化への
先鞭を付けた。
90年代半ばより、ビル・クリントンの民主党政権を支える支持層として
「サッカーママ」という言葉が定着したように、アメリカでのサッカー人気は
サマースクールで子供にサッカーをさせる中産階級以上の有権者を
象徴するスポーツとして存在してきた。
そうした流れがあったからこそ、市場としての女子サッカーがビジネスに
なると判断され、世界でも類を見ない女子サッカーのプロリーグがアメリカ
に誕生したのだった。
日本でも一時期の読売ベレーザがプロ化への動きを見せた時期が
あったが、相次ぐ企業スポーツ縮小の流れを止めることは出来ず、
多くのチームが消滅してきた。
そうした経緯もあり、日本の女子選手も海外へ目を向け始めた。
99年にはLリーグ王者であった日興證券の廃部に伴い、元代表DFの
山木里恵はドイツヘ。
同じく元代表のDF森本鶴は、イタリアのラツィオに移籍した。
だが、ドイツやイタリアでも女子選手は全員アマチュア。
チームの中にはお小遣い程度の金額を受け取っている選手もいるが、
逆にクラブへ月謝のようにお金を払ってる選手もいるくらい。
森本自身も、生活費の一部を負担してもらう以外は、貯金をはたく
ような環境で選手生活を続けていた。
ACミランなどでは、女子チームも組織の一部となっており、グランドも
ユニフォームも全く同じだが、ラツィオでは組織も男子とは全くの別物で
女子チームには「ルコリーネ」という名前が付いている。
練習場所も砂利のグランドで、すぐにスパイクが壊れてしまうほど。
さすがに試合会場は芝生のピッチであるが、全面を金網で囲まれて
観客席はなしという所も珍しくなく、移動も片道7時間の距離をバスで
日帰りするなど、米メジャーリーグのファームを思わせるような環境。
男子の世界では、一般人には想像もつかないほど巨額のお金が
飛びかい、マネーゲームの一部と化している欧州のサッカーシーンだが、
その恩恵は女子選手にまでは行き渡っていないのが実情となっている。
そうなると、今のところ女子サッカーの世界で最も環境が整っているのは、
アメリカと断言出来よう。
男子より先にW杯の舞台を踏みながら、プレー環境の悪化とともに
成績も下降線を辿っている日本女子代表。
沢、小林に続いてアメリカで選手生活を送る選手が増えてくれば、
再び世界との差を詰めることができるようになるのではないだろうか。
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著者:らいてぃー
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