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| 2003/04/17掲載 |
| 【バルデラマ&シュマイケル引退】 |
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90年代のサッカーシーンを彩った2人の巨匠(マエストロ)が、スパイクを脱ぐことになった。
カルロス・バルデラマとペーター・シュマイケル。いずれも90年代に母国が躍進を遂げる原動力となった偉大な選手。
爆発したような金髪のアフロヘアーをトレードマークに、ガニ股のドリブルとインサイドキックのみで全てのプレーをこなしてしまう司令塔、バルデラマ。1961年9月生まれというから、すでに41歳。
まだ現役でやっていたのかと驚いた人も多いのではないだろうか。
天性のリズムを持ち、抜群のキープ力と素早い判断力で、どんな密集地帯でも苦にせずに一撃必殺のスルーパスを繰り出す。
天才的なひらめきでゲームメイクをする一方で、決して簡単なミスをせず、堅実なパスワークの中心となっていた。
プレースタイルも風貌も独特だったため、天才よりも奇才という言葉を好んで使われることが多かった。
意外にも代表デビューは遅く、85年10月のパラグアイ戦で、24歳のとき。国際レベルで注目を集めるようになったのは、87年にアルゼンチンで行なわれたコパ・アメリカから。
この大会でボリビア、パラグアイを破り、C組1位で準決勝に進出したコロンビア。準決勝ではチリに敗れたものの、3位決定戦で地元アルゼンチンを下して3位となったことで、南米での勢力図を塗り替える第一歩とした。
当時からキャプテンで完全なるエースだったバルデラマは、イグアランとガレアーノの2トップを自在に操り、自らも前線へ進出してゴールを挙げた。
以後のコロンビアが急成長を遂げてW杯の常連国となっていったのは、周知の通り。
まず、90年のイタリア大会で62年以来となる2度目のW杯出場切符を手にすると、UAEを相手に自らのゴールでW杯での初勝利を挙げる。
グループリーグ最終戦では、西ドイツを相手にロスタイムの同点弾によって劇的なグループ突破を決めた。決勝トーナメント1回戦では、GKイギータのミスをロジェ・ミラに突かれてカメルーンの軍門に下ったが、コロンビアは久し振りの晴れ舞台で十分にその存在感を示していった。
そして、94年のアメリカ大会。予選ではアルゼンチンを5-0という大差で
粉砕。優勝候補との声も上がったのだが、予想外の不調に陥って、グループリーグで敗退した。
帰国後には、DFエスコバルの射殺という悲し過ぎる結果までもが追い討ちをかけ、国内に不穏な空気を漂わせた。
そして、98年のフランス大会は、すでに36歳となっていたバルデラマにとっても最後の桧舞台となったが、イングランドとルーマニアに敗れてジ・エンド。この結果を受けて、バルデラマも代表から退いた。
クラブレベルではデポルティボ・カリで85、86年と国内リーグを連覇。
フニオール時代にはPSMで来日し、東京ドームで平塚や清水と試合を行なっている。
フランス、スペインと欧州に活躍の場所を移した時期もあったが、欧州の水に馴染むことはなく、南米のスパイスが強すぎる選手だった。
それだけに自らのスタイルを理解し、信頼を置いてくれる環境でこそまばゆい輝きを放ったのではないだろうか。
87、93年には南米最優秀選手にも選ばれている。
<カルロス・バルデラマ
所属クラブ>
71-77年 コレヒオ・セレドン(コロンビア)
78-83年 ウニオン・マグダレナ(コロンビア)
84-84年 ミジョナリオス(コロンビア)
85-88年 デボルティボ・カリ(コロンビア)
88-91年 モンペリエ(フランス)
91-92年 バリャドリッド(スペイン)
92-93年 インテペンディエンテ・メデジン(コロンビア)
93-95年 フニオール・バランキア(コロンビア)
96-98年 タンパ・ベイ・ミューティニー(アメリカ)
99-99年 マイアミ・フュージュン(アメリカ)
99-03年 タンパ・ベイ・ミューティニー(アメリカ)
そして、デンマークが生んだ偉大な守護神ペーター・シュマイケルは、1963年11月18日生まれの39歳。
いくら息の長い選手が多いGKといえども、さすがにもう超の付くベテランとなっている。
83年に故郷デンマークのグラドサクス・ヘロでデビュー。
国内最強のブロンビーへ移籍してからは、85年から91年までの間に5度のリーグ制覇に貢献。
91年の夏、55万ポンドでマンチェスター・Uへと移籍した。
ここでもレッド・デビルズの黄金期の形成に多大なる貢献をして、5度のリーグ制覇と3度のFA杯を獲得。そして、先に退団を決めていた98-99シーズンには、欧州チャンピオンズ・リーグにも優勝し、プレミアリーグ、FAカップとの3冠を達成する原動力となった。
チャンピオンズ・リーグ決勝のバイエルン・ミュンヘン戦では、劇的なロスタイムでの逆転劇に、ゴール前で得意のトンボ返りをして喜びを爆発させていたシュマイケルの姿を覚えている人も多いことだろう。
デンマーク代表へのデビューは、87年5月のギリシャ戦。
ちょうどメキシコ大会に初出場を果たしたメンバーとの新旧交代の時期
に当たっていた。
W杯出場は98年のフランス大会のみ。地元フランスと組み込まれた組を勝ち抜き、準々決勝でブラジルと好ゲームを演じながらも力尽きた。
一方、92年の欧州選手権優勝は、デンマークにとって今も唯一のビッグタイトルとなる輝かしい勲章。
ユーゴスラビアが大会直前に出場停止処分を受けての代替出場だったが、デンマークは準備不足などを感じさせない戦い振りで勝ち進み、スウェーデンの地で歓喜の戴冠に沸いた。
193センチ、96キロという大柄な体躯。それでいて動きも素早く、至近距離からのシュートにも鋭い反応を見せたシュマイケル。
もちろんクロスボールにもめっぽう強く、大きな声での的確なコーチング
やリーダーシップも兼ね備え、究極のGKと言い方までされたほどであった。
特に、驚かされるのは、イギータやカンポスのような異端のスタイルでも
なく、ブットのようにPKキッカーでもないのに、貴重なゴールまで決めているところ。
95-96シーズンのUEFAカップ、ラトール・ボルゴグラード戦では、CKの際にゴール前へ進出して有名なゴールをゲット。
横浜時代の川口能活が試合終了間際に同じプレーをしたのは、彼の影響によるものだと言われている。
また、97年のFA杯4回戦、ウインブルドンとの試合でもゴールネットを揺らしたが、これは残念ながらオフサイドでノーゴールとされている。
<ペーター・シュマイケル
所属クラブ>
75-83 グラドサクス・ヘロ(デンマーク)
83-86 フビドブレIF(デンマーク)
86-91 ブロンビー(デンマーク)
91-99 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド)
99-01 スポルティング・リスボン(ポルトガル)
01-02 アストン・ヴィラ(イングランド)
02-03
マンチェスター・C(イングランド)
2人とも母国の代表キャップ数で史上最多を数える文字通りのスーパースター。
成し遂げてきた実績だけでなく、存在感や影響力も余りに大きく、彼らのような偉大なカリスマを越える存在は簡単に現れないだろう。
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著者:らいてぃー
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