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| 2004/01/10掲載 |
| 【高校選手権が生んだスター(S51、52年度編)】 |
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昨日発表されたアテネ五輪代表候補に、国見高校のFW平山相太が高校生で唯一選ばれた。昨年の高校選手権でも得点王を獲得。2年連続得点王という偉業を確実にしている大器は、今大会の最大の目玉であり、最高のスター選手と言うことができる。
これまで82回もの歴史を積み重ねて来た高校選手権。これまでも数々のスターを生み出してきたが、冬の晴れ舞台で活躍した選手たちが、その後どれだけの成長を遂げたのだろうか。
特に、高校体育連盟とスポンサーとなるTV局の強い要望によって、大会が関西から首都圏へと移されて以後は、年々注目を高めていくことに成功し、多くのヒーローを作り上げた来た。
ここで、首都圏開催となった以後の大会を振り返り、高校選手権育ちの選手たちが、その後どのような道を歩んだのかを見てみたい。
(*以後、不定期連載シリーズとなります。)
(昭和51年度)
初の首都圏開催となった大会。国立競技場での決勝戦に進んだのは、
2連覇を狙う浦和南と、ドリブルを主体としたブラジル・スタイルの戦術で
全国に衝撃を与えた静岡学園。この2チームには才能ある1年生が数多く名を連ねており、新時代の幕開けに相応しい熱戦を繰り広げた。
前半で3-1とリードした浦和南だったが、静学の執拗なまでのドリブル攻撃に段々と綻びが出来はじめ、追い上げを許す。結局、後半にも加点した浦和南が、2年連続3度目の全国制覇を成し遂げたものの、最終的なスコアは5-4と1点差。異質なスタイルの激突に大観衆は熱狂し、優勝した松本暁司監督でさえ高校サッカーが変わって行くことを感じたと語っている。
優勝した浦和南には、FW水沼貴史(1年)にDF田中真二(1年)と、後の
日本代表が2人もいた。水沼は法政大を経て日産、横浜Mへと進み、イタリアW杯予選を戦った日本代表の主将も務めた。現在は、TV解説者としてもお馴染みの存在。田中は中央大在学時から日本代表に名を連ね、水沼と同じく日産へ。日産の黄金時代を築いた後、Jリーグ開幕を期に故郷浦和へ移籍。引退後は指導者となって、現在は大塚製薬の監督。今季のJFLで初優勝を遂げている。
対する静岡学園もタレントでは負けておらず、GK森下申一(1年)は、東農大からヤマハへと進み、1980年代を代表するGKとして活躍。
ソウル五輪予選時には代表の正GKであり、磐田、京都でプレーした後、現在は磐田でGKコーチを務めている。他にも、双子の杉山兄弟(1年MF&DF)は日産、富士通と別の道を歩み、MF成嶋徹(1年)は大学へ進まず日立入り。引退後は柏ユース・コーチとなって酒井、明神といった代表選手を育てた。今は静岡産業大の監督に就任している。
得点王に輝いたのは、静学のFW有ヶ谷二郎(3年)で、8ゴールを記録。以後、この記録を塗り替える者が現われるまでには、20年以上を要した。また、3位となった帝京は、この年のインターハイ・チャンプ。
2冠獲得を期待されたが、タレントは2年生に多かったため、翌年、その
選手たちが中心となって大会を席巻していった。同じく、準決勝で静学に敗れた八幡浜工(愛媛)は、卒業後に日立へ進んだGK川本高司(2年)を軸に、四国勢としては四半世紀ぶりの4強に残った。
他にも、この大会に出た著名な選手を挙げると、京都商(現京都学園)
のMF川勝良一(3年)は、東芝、読売クラブで活躍。A代表経験も持つ。
1999年から2002年までは、ヴィッセル神戸の監督を務めていたことでもお馴染みだろう。
(昭和52年度)
決勝に地元の帝京が進んだことで、国立には多くの観衆が詰め掛けた。だが、初めて決勝まで駒を進めた四日市中央工は、帝京の攻撃陣の前に完膚なきまでに叩きのめされ、5-0という大差での決着となった。
強靭な体躯で敵の攻撃を跳ね返すDF金子久(3年)に、MF宮内聡(3年)、FW早稲田一男(3年)らを擁した布陣は実に強力で、卒業後は3人揃って古河電工へ進んでいる。宮内はメキシコW杯予選時の日本代表で、怪我に苦しみながらも多くの成功を手に入れた。現役引退後は、女子代表監督などを歴任。今年度は成立高校の総監督として母校、帝京を破って全国選手権に初出場を果たしたばかり。
金子はソウル五輪予選を戦っていた時期の代表ストッパーで、古河ではJSLだけでなく、日本初のアジアクラブ選手権を制する原動力となった。高校選手権の決勝では、周りを寄せ付けない強さで制空権を握り、当時のVTRが流れると、必ずド迫力のヘディングシュートが映し出される。
他に、1年生には名取篤(のち三菱)という若きタレントもいたが、何と言っても、高校選手権が生んだスター選手の走りとも言える人気を博したのが、主将を務めていたFW早稲田一男。宮崎からサッカー留学したことや、そのさわやかなルックスが話題となり、女子中高生の人気を独占。高校サッカーの選手に追っかけが登場したのも早稲田が最初であろう。古河電工加入後も、試合後には多くのファンが待ち構えていた。
そして、最後で大敗した四日市中央工は、7得点を挙げて得点王となったMF伊藤直司(3年)とMF樋口士郎(3年)という2人のキーマンを擁していた。2人とも卒業後は本田技研に進み、チームを日本リーグ1部に定着させる活躍を見せた。更に、樋口は数々の実績を残した名将城雄士監督(現松阪大学監督)の後を引き継ぎ、母校の監督に就任。四中工の伝統を守り続けている。
また、前年の覇者、浦和南は水沼や田中らの前回大会経験者を軸に勝ち上がり、3連覇を狙ったものの四中工に敗れてベスト4止まりに。
以後、埼玉県が戦国時代の様相を呈して来たため、浦和南が全国の上位に進出して来ることもなくなってしまった。
なお、この年は小嶺監督(現国見高)が率いる島原商が、夏の総体を初制覇。初めての全国タイトルを長崎県に持ち帰ったものの、選手権では準々決勝で四中工に敗れて、涙を飲んでいる。後の日本を代表するDF勝矢寿延(本田、日産等)は、まだ1年生。大分をJ1昇格へ導いた小林伸二監督が2年生だった時の話である。
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著者:らいてぃー
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