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(S59、60年度編)
         
 
2004/01/21掲載
高校選手権が生んだスター(S59、60年度編)
 
(昭和59年度/1984年度 第63回大会)
丙午の年に生まれた子供が高校3年生に当たるということから、母体となる人数が少なく、レベルの低下が危惧された大会であったが、そんな前評判を覆す盛り上がりを見せた大会となった。

 連覇に加え、戦後最多5度目の優勝を目指す帝京に立ちふさがるのは、一体どこのチームか。そうした興味の中で行われた決勝は、18年ぶりの両校優勝となり、帝京と島原商が栄冠を分け合った。

 14年に渡って島原商を率いてきた小嶺監督が国見高校へ転任。教え子の堀口監督は、最後の小嶺世代となった選手たちを九州勢初の決勝まで導いた。前年、不運な退場処分となったGK植村修一(3年)やFW瀧上知巳(3年)など要所にレベルの高い選手を揃えていた島原商だったが、何と言っても目を引いたのは、右サイドバックの吉田昭義(3年)。高校レベルでは考えられないほどに攻撃的で、巧みなドリブルを駆使したオーバーラップは、分かっていても防げなかった。

 また、決勝点のお膳立てとなった突破を仕掛けた瀧上も、非常に柔らかいボールコントロールを見せ、幾度も帝京の守備陣を混乱に陥れた。

 対する帝京は、守備型のチーム。ストッパーで主将の岩井厚裕(3年)を軸に、鋤柄昌宏(3年)北野誠(2年)の2トップに託す形で手堅く勝ち進んだ。特に、岩井のキック力は抜群で、決勝で見せた壁の間を抜けるFKは、決め手の少なかったチームにとって値千金の一発となった。

 岩井は東海大で高校の先輩、前田治らと一時代を形成し、全日空(横浜F)へ。晩年は福岡でプレーした後、母校でもある埼玉県神根中に教員として採用された。鋤柄は、筑波大学からV川崎へ入ったが、スター軍団の中では出場機会に恵まれず、浦和、福島FCと渡り歩く。現在は、福島の聖光学園で監督を務めており、U20代表の茂木弘人(広島)らを育てている。

 島原商の選手は、東海大へ進んだ植村が一時サッカーをやめたものの、その後、トヨタで復活。同僚の吉田は、すぐにトヨタに入り、FWに転向。J初年度の1993年まで名古屋でプレーした。瀧上は順大卒業後、しばらく国見で小嶺監督の片腕として働いていた。その後、郷里の熊本に帰り、平成10年度の高校選手権では、わずか3年前まで女子高だった熊本国府を全国の舞台に登場させている。

 準決勝で帝京MF室崎公平(3年)のオーバーヘッドで敗れた武南は、夏の総体でもベスト4に入っており、1年を通じて好成績を収めた。統率力のある主将、MF前原一之(3年、のちヤマハ)を中心に、スピードあるアタッカーを揃えてワイドに攻撃を仕掛ける形は、洗練されていた。

 そして、もう一つの準決勝進出チームが、静岡のチームには珍しくカウンターを自らのスタイルとした古豪、藤枝東。自慢の堅守は崩されることなく無失点を続けたが、PK戦により大会から去ることになってしまった。チームの支柱MF植田光紀(3年)が、FW紅林豊、中山雅史(ともに2年)らを操り、手堅いサッカーで久し振りの上位進出を果たした。
とはいえ、このチームの10番を付けた2年生FWが、将来、日本を数々のピンチから救い、W杯での初ゴールまで挙げてしまうとは、誰も予期することが出来なかったはず。

 そして、中山が1998年の仏W杯でゴールを挙げた時、日本のキャプテンマークを巻いていたのが、守山(滋賀)の2年生MF井原正巳。チームは1回戦で敗れたものの、潜在能力は高く評価されており、すでにユース代表の一員だった。

 また、藤枝東と共に古豪復活の狼煙を上げたのが、釜本を生んだ京都の名門、山城。兄で主将、ユース代表MFの松山吉之(3年)が司令塔、弟の博明(2年)がゴールゲッターとなり、20年ぶりの出場でベスト8という結果を残した。2回戦でハットトリックを記録した博明は、計5得点を挙げて得点王に輝いている。兄吉之は、早稲田大時代にA代表入りし、古河へ進む。J開幕を前に松下電器へ移り、ガ大阪から地元京都へ移籍してから現役を退いた。現在は、名古屋のコーチを務めている。
 同様に、弟博明は、大学卒業後フジタへ加入し、平塚から鳥栖へ移った。2年前までは、仙台育英の監督として高校選手権に出場していたことを覚えている人もいることだろう。

 他に、初のベスト8に駒を進めた新潟工のエースだったのが、先ごろ現役引退を発表したFW神田勝夫。弟でMFの勝利(1年)もレギュラーとして活躍し、神田三兄弟の能力の高さを改めて示した。

 あとは、鹿児島商のMF池之上俊一(3年、のち松下、全日空等)や茨城、日立工のDF鈴木稔(3年、のち日立)といった選手たちも、強烈な印象を残すプレーを見せた選手だった。

 全国大会を前にした番狂わせでは、インターハイ連覇を達成した三重の四日市中央工が県大会決勝で四日市工に敗れて、まさかの予選敗退。出てくれば、優勝候補の一角と目されていただけに、この結果は非常な驚きをもって迎えられた。

 とはいえ、この大会で最大のトピックスは、やはり初めて優勝旗が九州へ持ち帰られたこと。インターハイや国体での優勝こそあったものの、冬の選手権では国立にも辿り着けずにいただけに、チームを育ててきた小嶺監督の胸には一際込み上げるものがあっただろう。ピッチの横で、涙を目いっぱいに潤ませていたダンプ先生の姿は、実に印象的だった。

(昭和60年度/1985年度 第64回大会)
 4年ぶり4度目の出場にして、清水商が初優勝。ライバル清水東の後を追うように、サッカーの町へ全国タイトルを持ち帰った。各ポジションに質の高い選手を並べ、守備範囲の広いGK真田雅則(3年、現清水)や主将のウインガー江尻篤彦(3年)など全国トップクラスの選手を散りばめた布陣は、攻守にバランスの取れたものだった。前線ではFW青島文明(2年)が精力的な動きを見せ、後ろでは、センスの良いMF山下芳紀を軸に組み立て、DF望月恒利(3年、のち日立)らが堅い城壁をつくり上げた。破壊力のあるFWを持っていた五戸以外には点を獲られることもなく、安定した試合運びを見せた。

 地元では、清水東の武田修宏と並ぶほどに女性ファンの多かった江尻と真田は、大会の2枚看板。江尻は、明治大から古河(市原)へ進み、左アウトサイドの選手となる。1993年には、都並の穴を埋める選手を探していた日本代表のオフト監督に白羽の矢を立てられた。今は、市原でコーチを務める。真田は順大卒業後、全日空でプレー。清水の設立に伴い、里帰りを決断して現在に至る。2年生だった青島は、清水時代に女優石田ひかりとの交際が伝えられ、話題の人となったが、レギュラー定着とはならずに鳥栖、本田と渡り歩いた。

 8年前と同じく決勝で涙を飲んだ四日市中央工には怪我人が多く、主将の諸岡正吾(3年)を始めとした状態の悪さが響いてしまった。中盤には、阪倉裕ニ(3年)安藤美智夫(3年)といったタレントもおり、潜在能力では清水商に優るとも劣らないものがあっただけに、チームが満身創痍となっていたことが悔やまれた。エース阪倉は、真田と同じ順大へ進み、江尻と同じ古河へ。DFとして日本代表6キャップを得た後、名古屋と仙台でもプレー。現横浜FCコーチとなっている。

 優勝した清水商を最も苦しめたのが、11年ぶりの出場でベスト4に入った宇都宮学園。 全体的に得点が少なかった大会において、5得点を挙げて得点王となったMF黒崎久志(2年)に、小泉淳嗣(3年、のち日産)など大型で技術の高い選手を揃えていた。

 もう一つの準決勝進出チームは、2度の優勝経験を持つ古豪、秋田商。GK船川琢也(2年)やDF佐藤誠(3年)を中心に粘り強い戦いを見せて、久し振りの上位進出を果たした。

 3連覇に挑んだ帝京は、優勝メンバーがごっそりと抜け、1、2年生を主体とした若いチーム編成となっていた。前年の経験者は、FWの北野誠(3年のち日立、京都)くらいとなり、MF岩本三郎(2年)、FW磯貝洋光(1年)、森山泰行(1年)といった精鋭が、全国各地から新たな時代を築こうと集まっていた。

 同様に、レギュラーのほとんどが2年生というチームで、初の全国大会に駒を進めたのが、東京の修徳。1回戦でGK中河昌彦(1年、のち京都等)を擁する京都商にPK戦で敗れたが、後の日本を支えるダイナモ北澤豪(2年、のち本田、V川崎)が坊主頭で出場していた。

 そして、初めてベスト8まで駒を進めた青森の五戸には、かつて山形のキングコング・ブラザーズとして名を馳せた手倉森誠、浩(3年)の双生児がいた。彼らに、突破力のあるウイング三浦豊(3年)を含めた攻撃力は抜群で、準々決勝までの4試合で13ゴールを奪っていった。

 違って意味で注目されたのが、長崎県の代表となった平戸。島原商業を率いて12年連続出場、国見を率いて現在も更新中となる18年連続出場記録を作っている小嶺監督の業績に風穴を開けたのが、国体代表選手も一人しかしない公立高校だった。但し、その唯一の選手というのが、GK前川和也(3年)。恵まれた体躯をした存在感溢れる守護神は、全て接戦となった予選を勝ち抜いた最大の要因となった。
 今は大分でコーチとなっているが、広島時代には日本代表の常連でもあり、A代表キャップも17を数える日本を代表するGKの一人だった。

 他に注目された選手を何人か挙げると、東海大甲府のFW矢崎和彦(3年、のちヤマハ)は、スピードとテクニックを兼ね備えたウイング。中京のMF鶴田道弘(3年)は、豊富な運動量で中盤を制圧し、安原成泰(2年)も高いスキルを見せていた。のちに、2人とも地元名古屋に加入。鶴田は神戸、甲府とチームを変えて、21世紀の声を聞くまで、息の長い選手生活を送っている。

 清水商と当たらなければ、もっと上位を狙えたであろうチームが鎌倉。主将でDFの本吉剛(3年)に司令塔のMF掘孝史(3年)と、将来Jリーグに行く選手を2人抱えた陣容は、小粒ながらも良くまとまったチームだった。本吉は中央大からフジタ、三菱浦和、大塚、東京ガスと4チームでプレー。掘は明治大から東芝へ進み、浦和へ移った後、湘南でも活躍した。

 また、現U16代表の布啓一郎監督に率いられた千葉の市立船橋が初出場を果たしたのが、この大会。主将の岡弘太郎(3年)は、いきなり選手宣誓のクジを引き当てたが、3回戦で五戸に粉砕されている。

著者:らいてぃー 

 
 
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