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2004/02/05掲載
高卒選手の成長環境
 
昨日より、福島県のJヴィレッジで新人選手研修会が行われている。期間は、明日までの3日間。プロ選手としての心構えなど、肉体と精神の両面においた講義を受け、社会人となる上での基本となる行動規範などについても学ぶことになる。

具体的には、Jリーグの組織や運営についての話、コンディショニングやメディアへの対応といった事柄。高校時代の授業のように寝ていても許されるようなものではなく、椅子に座って長時間人の話を聞くことが苦手な選手には、辛い部分もあるのではないか。

また、ここで課されるルールテストで合格点を獲らない限り、Jリーグの公式戦に出場することは出来ない。(但し、ユース出身者などで、既にルールテストに合格している者は除く。)

一般の企業における新入社員研修といえば、最低でも1週間から10日。長いところでは1ヶ月どころか3ヶ月近くも缶詰にされる場合さえある。それを考えると、随分と短い研修期間ではあるが、チームに帰ってからのOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)という形で、プロ生活というものを学ぶことを最優先とするのは、決しておかしなことではないだろう。

この研修に参加するのは、J1、J2のクラブと新たにプロ契約を結んだ選手であるが、そのほとんどがまだ高校生。大学生選手は、数えるほどしかいない。3月に卒業式を控えて、まだ学生証も持っており、正式な身分は高校生ということになる。

そして、彼らの生年月日は、1985年4月2日から1986年4月1日までの間におさまっており、時代の流れを感じさせる。

この1985年、どのような年だったのか。世間を騒がせた事件というと、6月の豊田商事事件や8月の日航ジャンボ機墜落事故といった辺りが挙げられる。

Jリーグ入りはしなかったものの、アテネ五輪代表候補として活動している平山(国見〜筑波大)や磐田に進んだカレンは、誕生日が1日違いで、共に6月生まれ。

羽田発、大阪行きの日航ジャンボ機が墜落。御巣鷹山で女性4人だけが助かり、乗員・乗客520名が死亡したニュースで一色に染まった8月には、先の高校選手権で活躍した後藤(岐阜工〜横浜)や大河内(青森山田〜仙台)といった選手が生まれている。

サッカー界に目を移すと、この年のJSL王者は古河電工、FW吉田弘が得点王に輝き、清雲監督の下で黄金時代復活を思わせる強さを見せた。高校選手権では、真田、江尻らを擁した清水商が初優勝。
先日引退を発表した黒崎久志や、名古屋に復帰した森山泰行も、この
大会に出場している。

とはいえ、サッカー界で最大のニュースといえば、W杯メキシコ大会の予選で日本が最終予選まで進出したこと。あの伝説となった木村和司のFKが生まれて韓国に食い下がったが、先にプロリーグを発足させていたライバルには及ばなかった。

但し、当時の経済状況が、プラザ合意による円高ドル安路線が決まったことを受けて、好景気の入り口に立っていたのとは対照的に、教育界では深刻な問題が蔓延していた。

それが「いじめ」である。1986年2月には、クラスメートと教師が参加した「葬式ごっこ」をされた中野区の中学生が、いじめの辛さを遺書にして自殺。翌年度の7月には、拓殖大の空手部が1年生部員をしごきで殺し、他の部員にも重症を負わせるという痛ましい事件が起こった。

この時期に愛する我が子を授かった家庭では、否応無しに教育現場での荒廃状況に対し、大きな不安を覚えたのではないだろうか。

そんな彼らの成長過程。順番に幼年期から起こった事柄を挙げて行くと、1988年、3歳のときに昭和天皇崩御。5歳となった1990年には、イタリアW杯が開かれてベルリンの壁が崩壊した。3年保育が主流となった現代では、これが年中さんに当たる歳のこと。

1992年には、小学校に入学する。夏のバルセロナ五輪でスペインが優勝し、ソ連邦ではクーデターが勃発。年末にはソ連自体が消滅してしまうという信じ難い激動の年だった。

そして、サッカー界に目を移すと、Jリーグ開幕を翌年に控えたヤマザキ
ナビスコカップが世間の大きな注目を集めた。
各会場で予想以上の盛況を見せ、「サポーター」という単語が日本の一般的なメディアで使われるようになったのもこの頃から。

しかし、恐らく今年の新人選手たちの頭には、小学校低学年の記憶などほとんど残ってはいないのではないだろうか。

小学校1、2年で、地元のサッカークラブに入ってボールを蹴り始めた選手が多数だとは思うが、何せ幼年期は落ち着きのないもの。特に男の子はじっとしていられない場合も多く、サッカー観戦に来ても友達とふざけあったりしている時間が多い。静かになったか思えば、ゲームをしたり、マンガを読んだりと目の前で行われている試合には、興味を示さない場合も少なくない。

当然、小学校2年生という8歳で迎えたJリーグの誕生は、社会の遠い出来事であり、大人が騒いでいるブームといったところであろう。そうなれば、やはり「ドーハの悲劇」でさえもリアルタイムでの記憶はまず存在しない。最終予選のキックオフは、日本時間で深夜。これでは起きていることが無理だろうし、遅い時間帯に頑張ってTVの前に座っていたとしても最後まで目を開けていることは出来なかったのではないか。

そうなると、ある程度TV画面を通じてサッカーを真剣に観たり、日本代表の活躍を覚えているのは、小学校高学年以降のことだろう。

1996年、小学校5年生で観たアトランタ五輪。マイアミの奇跡と呼ばれたブラジル戦は、平日の午前中だったためにTVで生中継を観ることの出来なかった人も多かっただろうが、前園や城の名前は小さなサッカー少年の間にも広く浸透したはず。

更に6年生ともなれば、W杯フランス大会の予選があった。日本が苦しみ抜いてジョホールバルで悲願を成就させたことを、古い記憶の一部として持っていることだろう。

以降、中学1年生ではW杯フランス大会。中学3年生のときには、シドニー五輪。そして、日韓W杯は高校2年生で迎えている。

こうしてみると、平塚での中田英寿のプレーを覚えている者は、ほとんどいないだろうし、90年代のW杯予選で3度戦った韓国との激闘も彼らにとっては、記憶の外にある歴史に過ぎない。

恐らく、メディアを通じて韓国をライバル視することはあっても、上の世代が体験してきた悔しい思い出さえ無きに等しいのではないか。
日韓戦で真っ先に思い出されるのが、先の東アジア選手権やWユース
での対戦だは言わないまでも、アトランタ五輪予選決勝で崔龍洙(京都)にやられたことを知らない選手だって多いはず。

物心がついた時から日本にプロサッカーが存在し、Jクラブの下部組織で小学生の時から過ごして来た選手も、珍しくはなくなっている。

ガングロ、ヤマンバと言われた女子高生が街を闊歩していた時にも、まだ中学生だった新人選手たち。We are the Worldが世界で流れていた時は、この世に存在もせず、カズがパルメイラスと共に来日した際には、幼稚園にも入っていなかった。

時の流れは早い。日本でサッカーがプロスポーツとして認知されてから
の時代に育った選手たちは、世界を身近なものと捉え、海外進出も特別なことと感じていないだろう。

再び次のユース代表を率いることになった大熊監督に言わせても、「上の世代よりずっとうまい。」という新世代。彼らがJの主役となる頃には、今よりも遥かに成熟したサッカーを常に観ることが出来るのではないだろうか。

著者:らいてぃー 

 
 
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