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2004/02/26掲載
バーレーンとレバノンのサッカー
 
アテネ五輪最終予選で対戦することになったバーレーンとレバノン。これまでA代表などが大事な場面で対戦した機会が皆無に近く、日本のファンにも余り馴染みの無い国である。

両国ともW杯や五輪への出場経験は無く、新興国との印象が強いが、地の利ということであれば、極東からの長旅を強いられる日本よりも優位な気持ちを持っているかもしれない。

UAEラウンド、続く日本ラウンド。共に日本が緒戦でぶつかるのが、ペルシア湾の小さな産油国、バーレーン。2002年の日韓W杯最終予選では、中盤戦で首位に立つなど飛躍的な成長を遂げた姿を見せ、新たな中東地域のリーダーとなる可能性を示した。

先のガルフカップでは準優勝を果たし、国を挙げての強化が着実に実を結んでいることを改めて証明している。

バーレーンにサッカー協会が創設されたのは、1951年。しかし、人口も少なく国土も狭い国が、世界で最も人気あるスポーツで頭角を現すのは難しく、はっきりとした実績を作るようになるまでには、四半世紀を要した。

1970年代末期の第二次中東で大きな打撃を受けた地中海沿岸諸国に
対し、国力の小ささと地理的条件が優位に働いたバーレーンは、1980年代に入ると、OPEC(石油輸出国機構)の中でも徐々にその地位を高めて行く。

オイルマネーの流入が増えたこの時期、スポーツへの投資額も右肩上がりとなり、若年層の強化に手をつけ始める。

すると、1986年のアジア・ユースで準優勝を果たし、各年代を通じて初めての世界大会となるワールドユース、チリ大会に出場するという快挙をなし遂げる。1987年にはU20代表が世界の舞台を踏むと、翌1988年にはU16代表もアジア選手権で準優勝を果たすという結果を残した。

こうした着実な進化はクラブレベルにも波及し、国内の強豪ムハラクは、1990年のアジア・カップ・ウイナーズ・カップで準優勝。
バーレーンのサッカーが、弱小の域を出なかった時期を払拭していく。

とはいえ、90年代はサウジアラビアやイラン、UAEといった周辺諸国が次々にW杯出場を果たして行った時代。そのため、バーレーンの存在感は、一時的に霞んだものとなっていた。

そうした相対的な地位低下に危機感を覚えたバーレーンは、1998年の
ガルフ・カップのホスト国となることで、もう一度強化に本腰を入れ始める。1996年のU16アジア選手権で3位になったチームをベースに、若手を積極的に登用。以降、この数年の好成績に結び付けて来た。

国内リーグは10チームで構成され、シーズンは11月から4月まで。
前述のムハラクの他にバーレン・クラブ、アル・アリ、アル・ヒラルといったあたりが主要なクラブとなっている。

W杯一次予選の緒戦では、シリアに勝って幸先の良いスタートを切って
おり、その内9名の選手がU23代表にも名を連ねる。
経験こそ豊富な国ではないが、FIFAランキングの大幅な上昇が示している通りに、かつての日本を彷彿させる急激な気流を描くバーレーン。
汲みし易い相手と考えるのは、早計だろう。

一方、シリアとヨルダンに挟まれたレバノンは、中東の火薬庫イスラエルと隣接していることで、スポーツの強化にも大きな影響が及んだ国。

だが、ことサッカーに関する限り、その歴史はアジアの中で最も古いものを持つ。1908年にベイルートの大学生によってサッカーがもたらされ、1933年にサッカー協会が創設された際には、すでに国内に13ものクラブが存在した。同年、そのうちの9クラブによって国内リーグもスタートしている。

1934年にはルーマニアのクラブを招いて初の国際試合が行われ、翌1935年、FIFAに加盟。1938年には、カップ戦も始まった。

こうした長い歴史を持つレバノンのサッカーであったが、1976年から1987年までは内戦や中東戦争などのためにリーグ戦も中断され、国内でスポーツが育まれる土壌が消えてしまう。イスラエルとの幾度にも渡る交戦に加え、パレスチナ難民の流入などもあって国土は憔悴の様相を強くし、競技力を向上させる余裕を失った。

結局、レバノンがまともにアジアのスポーツ界に参加し始めたのは、米国クリントン大統領の仲介で中東和平がなされた90年代後半までかかることになる。1998年には、バンコクで行われたアジア大会にも初めて参加。しかしながら、イギリス人、テリー・ヨラスが監督となって強化に乗り出した時期もあったが、国内の不穏な情勢は、常に影のように付きまとった。

日本が2度目の優勝を果たした2000年のアジアカップ開催に際しても、
直前まで開催が危ぶまれるなど、紛争の火種を抱えるレバノンは、今も
平和な生活が長く続く土地とは言い難い。

こうした状況下にあるためか、外国人監督を招いても長く指揮を執ることを拒まれたり、後任人事に手を焼くことも多いと言う。今回のU23代表チームも、2次予選終了後に監督不在となり、空白の期間が長く続いた。

それでも、現在は1部リーグが12チームで構成され、2部リーグもきちんと運営されているという。U23代表の中から12人もの選手が入ったA代表は、W杯予選の緒戦をアウェーで韓国と戦い、0-2と善戦している。

今回のグループの中では、最も力が劣ると見られているレバノンであるが、大量得点を狙って出来るほど甘い相手ではないだろう。

著者:らいてぃー 

 
 
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