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2004/02/28掲載
UAEのサッカー
 
サッカーを軸に語れば、中東の中堅国となるアラブ首長国連邦(UAE)。その名の通り、アブダビやドゥバイ、フジャイラなど7つの首長国から成る連邦国家で、それぞれを統治する王様が存在する。

とはいえ、首都アブダビの首長が連邦政府の大統領となり、ドゥバイの首長が連邦の首相を兼務することになっており、自治権の強い連邦制という訳ではない。しかも、国家の根幹となる石油が出るのは、アブダビ首長国に一極集中しており、他の首長国へはそのお金が振り分けられるだけ。アビダビから産まれる石油により、他の首長国が存在出来ているのだ。

ちなみに日本は、UAEにとって最大の顧客であり、原油の総輸入量の内、実に4分の1をUAEに頼っている。

総人口は300万にも届かないが、国家財政の8割以上を担う豊富な石油資源が国土を豊かにし、きらびやかな街並を構築。ユーラシア大陸の中継地点として機能する国際空港を持つドゥバイは、観光都市としても力を入れており、多くの欧米からの観光客も急激に増加している。

そんなUAEにサッカーが根づき始めたのは、1970年代に入ってから。
何せイギリスの保護領だった6首長国が独立したのが、1971年12月2日。同月に国内を統括するサッカー協会が設立され、翌年にFIFA加盟を果たす。国内リーグとカップ戦がスタートしたのは、その2年後。1974年になってからのことであった。

そして、1989年のW杯イタリア大会予選。UAEのサッカーが最も大きな成功を収めたのは、サッカー協会が誕生してからちょうど20年目という節目の年であり、実に早い躍進であった。

一次予選で中東の雄クウェートを破って二次予選に進出したUAEは、1勝3分けのまま最終戦を迎える。最後の相手となったのは、すでにW杯出場を決めていた韓国。組み合わせの順番にも恵まれたUAEは、星のつぶし合いをしていた他国を尻目に地道に勝ち点を稼いでいたのだが、最後もモチーベションの落ちていた韓国に対しドローに持ち込み、悲願のW杯出場を決めた。

このW杯出場の原動力となったのが、二次予選の5試合を3失点で切り
抜けた守備力。特にGKムフシン・ムサバハーの活躍は顕著で、二次予選の会場となったシンガポールの英字紙ストレーツ・タイムスは「スーパーマン」と評したほど。また、ストッパーながらも2得点を挙げたカリル・ガニムと、主将で兄のムバラク・ガニムで構築する最終ラインも安定したものであった。

そして前線には、精力的な動きを見せるアブドゥルラザクとUAEが生んだ最大のスター、アドナン・ハミス・アルタリヤニが顔を揃えていた。

だが、この成功をもたらした本当の立役者は、選手ではなく監督。
潤沢なオイルマネーを使ってUAEのサッカー協会が指揮権を委ねたのが、ブラジルの名将マリオ・ザガロであった。選手、監督としてW杯優勝を経験していたザガロは、決して豊富な選手層を持つ国ではなかったUAEに現実的な戦い方を植え付け、勝てないまでも負けないチームを作り、世界の舞台へと導いた。

しかしながら、一躍UAEの英雄となったはずのザガロは、予選終了後に協会と待遇改善策を巡って対立し、解任されてしまう。
続いて就任したポーランド人監督も、あっという間にクビを切られると、イタリアでの本大会を直前にして白羽の矢を立てられたのが、ブラジル人のカルロス・アルベルト・パレイラ。

ザガロの敷いた路線を踏襲したパレイラは、少しでも良い結果を残そうと努力したが、組み入れられたのが西ドイツ、ユーゴスラビア、コロンビアという強豪国が揃うグループ。大きな実力差は如何ともし難く、3戦全敗。得点の2に対して失点が11と、各国の草刈り場という役回りをするだけで姿を消した。

それでも、80年代半ばより強化策を講じてきたUAEの努力は、90年代に着実な成果を残して来た。W杯への初登場に沸いた1990年には、U16代表もアジア2位の座をつかみ、ワールド・ジュニアユースへの出場権を勝ち取る。

当然、フル代表もイタリアW杯出場時のメンバーが軸となり、長くアジアの強豪としての地位を保ち続ける。1992年の広島アジア・カップでは4位。W杯米国大会予選こそ、日本の前に敗れ去ったが、地元開催となった1996年のアジア・カップでは準優勝を果たして、存在感を示し続ける。

この頃の主力は、FWアルタリヤニにGKムサバハーといった選手の他、
果敢な攻撃参加が光ったSBエイサ・ミールに、突破力のあるMFズハイル・バヒート。パワフルなMFモハメド・アリといった辺りも、強烈な印象を残した。

となれば、代表チームが好成績を収める中、UAEのクラブチームも同時期に大きな成果を収めている。アジア・クラブ選手権では、1991年にアドナン・アルタリヤニらが所属するアル・シャバブがベスト4入り。
翌1992年にもアル・ワスルがベスト4に進み、アル・シャバブは1995年のアジア・カップウイナーズ・カップで準優勝も果たしている。
(このとき優勝したのが、横浜フリューゲルス。)

だが、こうしたUAEの成長も、イタリア組が引退していった1990年代の後半になると、一時停止を強いられる。1997年の仏W杯予選では再び日本の前に立ちはだかったが、ベテラン頼りの陣容は新鮮味に欠け、世代交代が思うように進んでいないことも伺わせた。

そのため、W杯仏大会予選以降、即座に新世代の育成に取り掛かる。まず、アル・アインが1999年にアジア・クラブ選手権で3位となり、復活を
匂わせた。日韓W杯予選こそ中国の後塵を拝してしまったが、そのアル・アインはセネガル代表監督として名を売ったブルーノ・メッツ監督を招聘。2003年のアジア・チャンピオンズリーグでタイのテロ・サーサナを破って初優勝を遂げ、UAEに初の国際タイトルをもたらした。
更に、昨年のワールドユースでは、ベスト8に進出する快挙を達成。
ホスト国として十分な活躍を見せ、国民に大きな熱狂を呼び起こした。

現在UAEの1部リーグは、12チームで3回戦制。シーズンは、10月から5月となっている。登録選手数は5,000人程度と少ないが、アジアの中でもトップクラスの経験を積んで来たグループに属することは確か。

裕福な財政状況に誘われ、周辺諸国から多くの出稼ぎ労働者が来ていたことで、アリフカ諸国やイランからの帰化選手も増えていると言う。
パトロンとなっている王族が、底辺層からの継続的な強化に力を注ぐようになれば、今後の日本にとっても大きな壁となることだろう。

著者:らいてぃー 

 
 
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