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| 2004/04/08掲載 |
| 【パルメイラスの記憶】 |
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欧州のクラブにとってのオフシーズンは夏。J1リーグではステージ間の中断期間にあたるこの時期、いくつかのプレシーズンマッチが行われる。
昨年はレアル・マドリーが来日し、大きな話題を集めたが、今年もスペインからバルセロナやヴァレンシアがやって来ることが決まっており、ファンには大きな楽しみとなる。
Jリーグ創設前後の90年代半ばまでは、各地で数多くのPSMが開催され、欧州・南米の著名なクラブがひっきりなしに日本の地を踏んでいたが、Jリーグの熱が下火になると、それも全くと言っていいほどに無くなっていた。
その風向きが再び変わったのが、W杯の日本開催。このビッグイベントによって海外クラブ、選手への注目度は飛躍的に高まり、特にスター選手を擁するクラブを招聘しようという動きが活発化している。
とはいえ、欧州のクラブはオフシーズン明けの調整段階にあり、ブラジルのクラブなら州選手権と全国選手権の間のテストに利用されることも多く、万全の状態で来日することはまずなかった。
日本代表と試合をしたユベントスは未勝利のまま帰国したし、ラツィオやアストン・ヴィラといった古豪も、随分と期待を裏切るパフォーマンスだけを残していた。
だが、そんな中でも鮮烈な印象を残したチームは、確実に存在する。
監督はバンデルレイ・ルシェンブルゴ。選手はセザール・サンパイオにエジウソン、エジムンド、エバイール、アントニオ・カルロス、クラウジオとJリーグで活躍した者がずらり。そして、フラビオコン・セイソンにロベルト・カルロスというJを知らないセレソンの実力者も顔を揃えるチーム。
こんなチームが90年代後半の日本にやって来たら、さぞかし大きな話題となったことだろう。しかし、本当にこうしたメンバーで来日していたにも関わらず、その試合が日本で注目を集めることはなかった。
恐らく、スタジアムへ足を運んだ何万かの人たち以外は、熱心なサッカーファンであっても他のことに気を取られていたはず。
何せ、彼らがやって来たのはW杯米国大会の真っ最中。母国ブラジルが4度目の優勝を果たした1994年7月のことであった。
緑の殺戮者、ヴェルダン、ポルコ。様々な異名を持つサンパウロの名門パルメイラス。ルイス・フェリペ・スコラーリ監督によってリベルタドレース杯を獲得した1999年前後のチームは、非常に強力なものであった。
だが、南米制覇こそならなかったものの、90年代前半のチームの方が強かったと考えるファンは、今も少なくない。
1980年代にはタイトルから見離され、長く暗黒の時代を送っていたが、ルシェンブルゴ監督の就任とともに生まれ変わる。
1993年には、サンパウロ州選手権とブラジル全国選手権を同時に制して復活の狼煙を上げた。
先のメンバーに加え、アメリカで奮闘していたセレソンに、マジーニョとジーニョいう2人のMFを送り出していたパルメイラスは、正に無敵の軍団であった。
日本に来たメンバーは、その代表選手2人を欠いてはいたものの、その実力は中途半端なレベルではなかった。磐田に5-0と圧勝したのを皮切りに、横浜Fや名古屋も4-0で完璧に粉砕。対戦した選手たちから「強すぎる。」「何もかも違った。」などと兜を脱ぐ言葉が聞こえてきたのも当然のこと。
パスのスピード。一つ一つのプレーの正確性。アイディアの豊富さ。
全てがハイレベルな次元で実践され、「練習通りのプレーができた。」と監督が口にしたチームは、プロリーグが生まれて2年目の国が太刀打ち出来るものではなかった。
来日時のスタメンをざっと並べてみると、2人の現役セレソンが抜けているにもかかわらず、新旧の代表経験者が目白押し。
GK セルジオ
DF
クラウジオ、アントニオ・カルロス、クレベール、ロベルト・カルロス
MF
セザール・サンパイオ、フラビオ・コンセイソン、エジウソン
FW
エジムンド、エバイール、ジョアン・パウロ
仮に、このメンバーをカナリア色のユニフォームを着替えさせても、誰もが納得しそうな構成であった。それに、監督のルシェンブルゴも後にセレソンを率いることになったのは、言うまでもない。
W杯の後には、リバウドにジャウミーニャ、ルイゾンといった選手も加わり、州選手権と全国選手権の2冠を2年連続で達成。リベルタドレース杯こそ同国のライバル、サンパウロやグレミオに行く手を阻まれたが、その評価が揺らぐことはなかった。
しかし、大きな成果を挙げたことで、欧州や日本からの誘いの手が多く伸びてきたチームは、主力を次々に失う。1995年には横浜Fが3人を根こそぎさらい、翌年にも柏が2人を引き抜いた。リバウド(ラ・コルーニャ)やロベルト・カルロス(インテル)のように欧州へ渡った者もおり、強かったパルメイラスはあっという間に解体されてしまった。
栄華を誇った期間はそれほど長い訳でない。しかしながら、その極上の輝きを観ることが出来たファンは、幸せだったのではないだろうか。
2年連続でトヨタカップを制したサンパウロに続き、驚異的な勝率を記録
したパルメイラスが台頭した90年代。ブラジルでは、サンパウロ勢がリオに圧倒的な差を付けていた時期として記憶されている。
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著者:らいてぃー
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