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| 2004/05/14掲載 |
| 【プレストン・ノースエンド】 |
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すでにアーセナルが優勝を決めたイングランド・プレミアリーグ。
最終節を残してディビジョン1への降格チームも決まり、残された興味はアーセナルが史上2チーム目となる無敗優勝を成し遂げるかどうかに絞られている。
サッカー発祥の地として世界でも最古の歴史を持つイングランドにおいても、過去、無敗で優勝を果たした例は、ただ一度しかない。
それが、1988-89年のプレストン・ノースエンド。フットボール・リーグがスタートしたこの年、その後1世紀以上も破られることのない偉業を成し遂げて初代チャンピオンに輝いたのが、このクラブである。
イングランド北部の港町リバプールにほど近いプレストン。
1963年、町に“ノースエンド・クリケット・クラブ”が創設される。クラブでは、当初クリケットとラグビーを行なっていたが、1879年からはサッカーもプレーされるようになる。
そして、1881年。クラブは方針を転換。サッカーをメインの競技として扱うことを決め、ウィリアム・サドル監督が当時全盛を誇ったブラックバーンのライバルとなるべく強化に乗り出す。
パスゲームに長けたスコットランドから多くの選手を獲得し、チームの骨格を固める一方、自らはFA(サッカー協会)に対してプロ化を主張。
全国規模のフットボール・リーグ実現に尽力するなど、サッカー界のあり方を大きく変える先導役となって行った。
プレストンは1888年に初めてFA杯決勝まで進出するものの、3年連続でファイナリストとなっていたウエスト・ブロムウィッチの前に惜敗。初タイトル獲得のチャンスを逃す。
また、この決勝戦。それまでは試合後に泥だらけになったユニフォームで記念写真を撮っていたのだが、プレストン側の提案により、試合前に綺麗なユニフォームのままで写真撮影を行なった。
今でもピッチに散る前に集合写真を撮る慣習が残っているのは、この時代から続いているものである。
しかしながら、1888年より立ち上げられたフットボール・リーグにおいては、プレストン・ノースエンドが無類の強さを発揮する。
開幕から圧倒的な強さで次々とライバルたちを粉砕。2位に11ポイントもの大差を付けて史上初のフットボールリーグの王座に就いた。
22試合で18勝4分0敗。得点は74で、失点はわずかに15。2位に入ったアストン・ヴィラが、5敗を喫して61得点43失点という数字であったことからも、如何にプレストンの力が抜けていたのか一目瞭然。当然のように、得点王にも21ゴールを挙げたジョン・グッドールが輝いた。
1888-89年シーズン。プレストンの強さは際立っており、FA杯でもブートル、グリムズビー、バーミンガム、ウエスト・ブロムウィッチを撃破し、2年連続で決勝に進出。
決勝戦でもウルブスを3-0と寄せ付けず、大会を無失点のままで終えてFA杯初優勝とリーグとのダブル・クラウンを達成した。
余りに強すぎるプレストン。誰もが「無敵のプレストン」と枕詞を付けて呼ぶようになり、その言葉通りに翌シーズンもリーグ連覇を達成。今度はジェイムス・ロスが得点王をさらって行く。
だが、盛者必衰は世の常。無敵と形容されたプレストンも1892-93年のシーズンからは3年連続でリーグ2位に甘んじると、1901年には覇を競い合ったライバル、ウエスト・ブロムウィッチと共に2部へ降格。たった10年でトップリーグの座も手離してしまった。
その後、1904年に2部で優勝。1部復帰を果たしたが、栄冠にはなかなか手が届かず。エレベタークラブへと成り下がる憂き目に遭う。
ようやくプレストンが4つ目のタイトルを獲得したのは、第二次大戦突入直前となる1938年。後にリバプールを世界的なクラブに育て上げたビル・シャンクリーらを擁し、FA杯を制覇した。
戦後、1952-53年にはアーセナルにゴール・アベレイジ(注)の差で一歩及ばなかったが、1954年はFA杯で準優勝。1957-58年のリーグ戦でも2位に入り、古豪復活を印象づける。
当時の主軸は、1952-53年シーズンのリーグ得点王チャーリー・ワイマンや後にマンチェスター・U、スコットランド代表の監督も務めたトミー・ドカティ。そして、何と言ってもイングランド代表のウインガー、トム・フィニー。未だに破られぬクラブのゴール記録を持つエースの活躍で、プレストンはかつての栄光を取り戻すかに見えたものの、1960年にフィニーが引退するとあっという間に凋落。
1960-61年シーズンを最後にトップリーグに別れを告げると、主戦場は完全に下部リーグとなり、4部まで陥落したシーズンさえあった。
現在はディビジョン1で戦っているが、プレミア昇格が望めるほどの実力は備えておらず、現在の地位を保つのが精一杯といった様相。
ホームスタジアム、ディープデイルは1875年から場所を動いておらず、世界最古のグラウンドと言われている。元々はクリケットなどと併用する多目的スタジアムだったのだが、1879年に初めてサッカーに使われて以来、多くの改修工事を重ねてきた。戦時中には軍事施設として利用され、1980年代には人工芝の導入も試みられるなど、培ってきた歴史には様々な顔が見える。
現在は21,412人収容で、屋根を吊る大きな支柱が目立つスタジアムとなっている。バックスタンドはサー・トム・フィニー・スタンドと名づけられ、偉大なる先駆者の姿が座席を使って描かれていることでも有名。
また、リーグ初代王者に敬意を表し、ナショナル・フットボール・ミュージアムがここに併設されている。
相性は、真っ白なユニフォームからリーリーホワイツ(白ゆり)。マンチェスター・Uに所属した新旧の大スター、サー・ボビー・チャルトンやデイビッド・ベッカムも、純白のユニフォームに袖を通した経験を持つ。
(注)ゴール・アベレイジ・・・「平均得点数」とも訳されるが、詳細については2004/2/27発行号を参照下さい。
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著者:らいてぃー
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