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2004/05/18掲載
マリのサッカー
 
来たる6月1日、札幌ドームでのU23代表ガーナ戦が発表されていた。だが、ガーナ側の事情により、これはキャンセル。
 代わりに、急遽、来日することになったのが、同じ西アフリカのマリ。

 マリ共和国は、国土の半分以上が砂漠のイスラム国家。人口は1,200万人弱で、その大半は、ニジェール川の流域に住んでいる。首都はバマコ。公用語には、フランス語と土着のバンバラ語が採用されている。

 フランス語を使用しているように、かつてはフランスの植民地。
 1960年9月22日、スーダン共和国とセネガルが、マリ連合として独立を果たした。その後、セネガルが連合を離脱し、スーダンがマリへと改名。長く独裁体制が敷かれていたが、1992年に国民の直接選挙による大統領が選ばれて以降、共和制を実現している。

 独立前からフランス人によってサッカーは伝えられていたが、独自の協会が設立されたのは、やはり1960年の独立を契機としている。
 初の国際試合は、1960年11月11日。ナイジェリアと対戦し、3-1で勝利を収めている。

 国内リーグ及びカップ戦が始まったのは、翌1961年。
どちらの大会もレアル・バマコ、スタッド・マリアン、ジョリバ・アスレチックという3大クラブによってほぼ独占されており、他のタイトル・ホルダーを見つけることが難しいほど。

 レアル・バマコは、1966年のアフリカン・チャンピオンズ・カップで準優勝
を果たしており、同じく1964年に準優勝しているスタッド・マリアンは、国内カップの最多優勝クラブでもある。また、ジョリバ・アスレチッククラブは1973年から1979年まで、7年連続国内カップを制する偉業を成し遂げた他、アフリカン・チャンピオンズ・カップとアフリカン・カップ・ウィナーズ・カップで計3度のセミファイナル進出を記録している。

 過去、最も著名な選手と言えば、サリフ・ケイタ。
 レアル・バマコ、スタッド・マリアンと、2つのビッグクラブでプレーした後、フランス・リーグに移ってサンティエンヌでも活躍した。1970年には、サンティエンヌの2冠獲得に貢献した働きが認められ、フランス・フットボール誌の選出するアフリカ最優秀選手にも選ばれている。

 W杯や五輪への出場経験はなく、1972年のアフリカ・ネイションズ・カップで準優勝したことが、フル代表における最高の成績。(優勝はコンゴ)アフリカ・ネイションズ・カップでは、1994年に4位。2002年にはホスト国となり、悲願の初優勝を期待されたが、準決勝で敗れて夢は叶わなかった。(優勝はカメルーン)

 ただし、1997年のU17選手権ではベスト8。1999年に日本が準優勝したワールドユース、ナイジェリア大会では準決勝で優勝したスペインに敗れたものの、3位決定戦でウルグアイを破っている。
 この世代はマリのゴールデンエイジとされており、小野、稲本、高原らの選手たちとも歳が近いだけに、2006年のW杯出場を望まれているが、隣国の強敵セネガルと同居したグループは、決して楽な戦いとはならない。

 現代表チームではバサラ・トゥアール、セイド・ケイタ、ママドゥ・バガヨコ、ドラマネ・クーリバリィといった辺りが主軸となり、フランス、ベルギーなど海外でプレーする選手も少なくはない。

 ユニフォームは国旗の配色そのままに、緑のシャツに黄色のパンツ、赤のソックスで固めている。愛称はイーグルス。

 W杯で旋風を巻き起こしたセネガルと同様、ブラック・アフリカ諸国に特有の驚異的なバネを持つ選手たち。アトランタではナイジェリア、シドニーでは南アフリカ。いずれのチームも日本に苦戦を強いた相手であり、アフリカ勢との対戦経験に乏しい日本にとっては、マリとの試合が貴重なレッスンになることだろう。

著者:らいてぃー 

 
 
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