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2004/06/02掲載
意義あるドロー
 
中村のスルーパスに三都主が抜け出し、左からダイレクトで深いマイナスのボールを折り返す。そこに走り込んだのは小野。十分に引き付けて、右足のインサイドで軽く合わせる。
ボールはイングランド代表GKジェイムスの足元を抜けてネットを揺らし、日本に歓喜の輪が出来上がった。

 会場はマンチェスター・シティのホーム、シティ・オブ・マンチェスター。
もちろん、完全なるアウェー。それも欧州選手権を控えてベストメンバーを送り込んで来た相手にドローという結果は、誇って良いものだろう。

 1995年のアンブロカップ。ウェンブリーに初めて足を踏み入れた日本は井原のヘッドで一度は同点に追いついたものの、終盤に柱谷哲のハンドからPKを与えてしまい、1-2で敗れている。

 あの時も健闘という評価がなされたものだが、今回とは試合の中身がまるで比べ物にならない。長くフォームを崩していたガスコインの復帰させた試合だったことに加え、ガリー・ネヴィルも当時の日本戦で初キャップを獲得。プラットらの主力はいたものの、その後対戦したブラジル戦のメンバーを見ても日本には、イングランドが意図的に落として来たことが明白だった。

 そして、がらがらのウェンブリー。代表の試合だというのに、日本からのツアー客や在留邦人の姿ばかりが目に付き、肝心のイングランドサポーターは拍子抜けするほどに少なかった。

 あの時を思えば、スタジアムを7割方埋めたほとんどが地元のサポーターであったことに、イングランドの日本に対する認識が大きく変わったことを実感させられる。9年前には、W杯の出場経験もなかった国。それが今では、稲本がプレミアリーグでプレーし、中田や鈴木なども欧州のカップ戦でブリテン島に足を踏み入れている。

 欧州の列強を相手にアウェーで戦うという蓄積も数多くなって来た今、日本は世界のどことやっても臆することはなくなっている。

 とはいえ、キックオフ直後から圧倒的な攻勢にさらされた日本。
イングランドの展開の大きさやパススピードの早さに全くついて行けず、ボールにも触われない状態であった。

 イングランドの圧倒的な支配。ジェラードが自在に動き回り、スコールズはペナルティエリアの中を主戦場にする。A・コールとG・ネヴィルの両サイドバックも非常に高い位置に構えて攻撃に参加し、クロスを入れて来る。

 ピッチの幅を存分に活かした攻撃に日本の守備陣は目を回し、ボールに寄ることすら出来なくなる。ルーニーやジェラードが歩いてボールを運んでも、日本の選手は誰一人詰めことができる距離にいなかった。

 エリクソン監督が欧州選手権で「優勝を狙う。」と公言している通りに、世界との差を見せ付けられ、日本は虫の息となりかけていた。

 22分、坪井のクリアを拾われてジェラードがミドルショット。これを楢崎が前に落とすと、すかさずオーウェンが詰めて先制。
 運もあって持ちこたえていた日本のゴールが破られた時、一体あと何点入れられてしまうのかと危惧した人も多かったのではないか。

 しかし、圧倒的な攻勢と先制ゴールに安心したのか、イングランドのペースが徐々に落ちて行く。
 イングランドの早い展開に慣れた日本。30分を過ぎた辺りから落ち着きを取り戻し、小野や稲本のところで防波堤を築けるようになると、まるで存在感のなかった中村にもボールが入り始める。

 そして、後半。日本は、全く別の顔を見せる。目が慣れたこともあってか、無闇にパスの後追いをすることもなくなり、逆に自分たちがダイレクトで素早い展開を生み出す。元気のなかった三都主が果敢に勝負を挑み、中村や小野が柔らかいタッチでスペースを使って行く。

 その流れが実ったのが、小野の同点ゴール。決して偶然ではない、美しい形でのフィニッシュ。このとき、日本の躍動感は完全に相手を上回っていた。

 直後から目の色を変えたイングランド。反撃に出る姿勢を強めるものの、試合当日の午前中にも練習を行なっていたというチームは、足が止まる。エリクソン監督は、残り15分を切るまでカードを切ることを待ってベストの布陣に期待したが、それも諦めてユーロ本番に向けたテストを開始する。

 先に2トップを入れ替えていた日本。前線の運動量が落ちないlことで、来た流れを渡さない我慢は出来ていたが、そう何度も決定機を作れる訳ではない。終盤、FKによるチャンスは巡って来たものの、そのままスコアは動くことなくドロー。
W杯予選直前の英国遠征を、負け無しで終えた。

 試合後に小野が「(先に)1点取られても問題ない。」と語ったように、ビハインドを打ち破った流れのある攻撃は、エース中田がいなくとも十分に機能していた。

 三都主が再三に渡って中へ切り込み、中村が外に流れて配給役となる。小野と稲本は縦の関係になる時と横並びとなる時を上手く使い分け、主導権を握って行った。トップの一人が引き出し役となり、サイドのサポートを待ってから素早く逆に展開した場面では、ダイレクトパスがピッチを横断し、スタンドの感嘆を誘っていた。

 少なくとも、後半だけを見れば、この数年で最高の出来に近いものであったのではないか。

 個の力に頼り過ぎとの批判が多かったジーコのチームは、稲本がピッチ内外でサッカーの話をする時間が格段に増えたと言っている通りに、お互いのコミニュケーションを密にすることで成長していることを示した。

 チェコ戦の前にはジーコ解任要求のデモを行なうとの報道もあったが、その首謀者たちは、この試合を観ても同じ思いを抱くのだろうか。
 トルシエのチームでも結果が見え始めたのは、2000年6月のモロッコ遠征から。就任からの期間を考えれば、ジーコもほぼ同じ時期から結果を出し始めたとみて良いのかもしれない。

 W杯後にジーコに代表を託したのは、監督の考える戦術に固まり、想定パターンの打破をできなかったチームに限界を見たためであったはず。確かに、世界でも屈指の実力を持つイングランドの早さに慣れるのには、時間がかかった。
 それでも、未知なる世界ですぐに応用が効いた背景には、選手たちの意識が能動的なものに変化していた事実があるような気がする。

 フラット3や左サイドを基本にした展開など、特殊と言われたトルシエの理論を崇拝していた人達は、約束事を執拗に求めていたが、選手自身がこれを作り上げて来た。この成長は認めざるを得ないはず。

 あくまでも親善試合ということで、ジーコの采配という面を特に評価するべきではないだろうが、これまでと違った色を持つ日本代表が誕生していることは間違いない。

 ただ、試合終了近くになって稲本がバットとの接触から左足のひ骨を折り、全治3ヶ月の重症となったことは大きな誤算。
 他の選手と比べても、フィジカル面でのアドバンテージを示していた主軸の離脱は相当に痛い。

 しかしながら、次の相手はインド。遥かに格下のチームであるし、その上、ホームゲーム。稲本や中田の不在が苦戦の原因となるようでは、再びジーコ解任論が再燃しても然るべきであろう。

2004年6月1日(火)
3ヶ国対抗戦 シティ・オブ・マンチェスター
イングランド 1(1-0/0-1)1 日本
得点者:オーウェン(22分)、小野(53分)
イングランド
GK ジェイムス
DF G・ネヴィル(P・ネヴィル)、カンベル、テリー(キング)、A・コール
MF ベッカム(J・コール)、ランパード(ハーグリーブス)、
ジェラード(バット)、スコールズ(ダイアー)
FW オーウェン(ヴァッセル)、ルーニー(ヘスキー)


日本
GK 楢崎
DF 坪井、宮本、中澤
MF 加地、稲本(福西)、小野、三都主、中村
FW 久保(柳沢)、玉田(鈴木)


著者:らいてぃー 

 
 
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