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2004/06/04掲載
インドのサッカー
 
世界で最も多様な国。10億を超える人が住み、英語やヒンドゥー語など公用語だけでも18を数え、方言に近いものまで含めれば、850もの言語が使われている。

 インドの語源は、大河(インダス川)を意味するヒンドゥーから。
ただし、国民の8割を占めるヒンドウー教徒は、自国をバラットと呼ぶことの方が多い。

 22の州で構成され、多岐に渡る風土や文化を持つインド。
近年ではIT大国としても知られるようになったが、その一方で、貧困層が圧倒的多数である状況は、変わっていない。

 質の良い香辛料に阿片などの麻薬。豊富な資源が欧州列強を引き寄せ、長く植民地とされていた歴史は周知の通り。
 そして19世紀末、英国の植民地だったインドにも入植者たちによってサッカーが伝えられた。
1892年にはカップ戦が行われ、1898年にはカルカッタでリーグ戦も開催
されていたことが記録されており、アジアで最も早くサッカーが広まっていたことは間違い無い。

 1937年には全インドサッカー連盟が組織され、独立後の1948年にFIFAへ加盟。世界の舞台へ出て行くようになる。

 インドが初めて国際舞台に姿を現したのは、1948年のロンドン五輪。
以後、1960年のローマ五輪まで4大会連続で本大会に出場している。

 中でも1956年のメルボルン五輪は、インド・サッカーにとっての金字塔。
アジアのチームで初めて準決勝まで駒を進め、3位決定戦ではブルガリアの前に0-3と敗れたものの、4位という好成績を収めている。

 この頃のインドは、アジアのトップチーム。
アジア大会では、1951年と1962年の2度優勝を果たしており、イランや韓国を破って王座に就いている。
 アジア大会では東京で開催された1958年にも4位となっている他、1964年のアジアカップでも準優勝している。

 だが、1970年のバンコク・アジア大会。3位決定戦で日本を破って銅メダルを獲得したのを最後にインドのサッカーは急速に力を低下させて行く。中東諸国や韓国などが着実に強化してきたことに加え、かつての宗主国イギリスからの影響力を排除しようという気運が高まったこともあり、母国の指導を受ける機会が減って行く。

 1986年になってから初めてW杯予選に参加したものの、かつての実力はとうに消え去っており、インドネシアに敗れて一次予選さえ通過出来なかった。以後も、まだW杯の一次予選を通過したことはない。

 古くからサッカーが持ち込まれたインド。しかしながら、全国規模のリーグが始まったのは、わずか6年前の1998年。それまでは、地域(州)毎のリーグ戦やカップ戦が行われていたに過ぎない。

 カップ戦は2つ存在し、サントシュ・トロフィーは、1941年より始まった権威ある大会。一般のクラブだけでなく、小さな州が選抜チームを送り込んだり、軍のチームも参加して競われる。
もう一つがフェデレーションカップで、こちらは1977年から。
いずれの大会もイースト・ベンガル、モーヒン・バガンというカルカッタの
2大クラブが覇を競っており、カルカッタ州選手権でも同様の構図を描いて優勝回数を争っている。

 恐らく、このイースト・ベンガルがインドで一番馴染みのあるチームではないだろうか。カルカッタ州選手権では20回以上の優勝を誇り、フェデレーション・カップとサントシュ・トロフィーを合わせると計30個以上にもなる。正にインド最大のクラブと言える。
 当然、アジアの大会でも常連。1997年のアジア・カップ・ウイナーズカップでは、ホームでヴェルディ川崎に勝った経験を持つ。

 一方、ライバルのモーヒン・バガンもイースト・ベンガルにひけを取らない数字を残しており、1998年の初代全国王者にも輝いている。
 また、1988年のアジアクラブ選手権ではベスト4に進み、インドのクラブ史上最高の成績を挙げたことは、ライバルにない栄光と言えよう。

 他の主要なクラブは、イースタン鉄道にベンガル・ムンバイ、JCTミルズ、モハメンダン・スポルディグ、FCコチンといったところが挙げられる。

 インドのシーズンは、11月から3月まで。初めの2年間は全国リーグが12チームで構成されていたが、2000年からは14チームに拡大。
まず、14チームを半分に分け、それぞれの上位チームだけでスーパーリーグと呼ばれる上位リーグを行ない、優勝を決める。なお、前半戦のリーグで下位に沈んだ2チームは自動的に2部へ降格することとなる。

 とはいえ、インドのサッカー界は、大きな問題を抱えている。
今年の2月、2部リーグで昇格を争うチームが揃って50点以上の大差を付けて勝ったことから、明白な八百長試合であると報じられた。
 協会もすぐ調査に乗り出したものの、2年前には100点差以上がついた試合があったと言うお国柄。八百長は決して珍しいものではない。
 90分しかない試合時間で、どうやったら100点以上も点が入るのかも不思議だが、そんな試合を公式戦として実際に成立させようとする選手、審判は一体何を考えているのだろうか。

 また、1998年にはカルカッタ・リーグで退場になった選手が、主審に暴行を働いてクビになると、それを逆恨みした選手の親戚やファンが審判の事務所を襲撃するという事件まで起こっている。こうした環境がインドのサッカーを衰退させた要因でもあるのだろう。

 現在、インドのFIFAランキングは139位。日本の25位とは比べるまでもなく、オーマン(61位)やシンガポール(110位)からしても完全に格下の相手。ホームということもあり、過去2戦のように苦しむことは許されない。

 チームの中心はイングランド、ディビジョン2のベリーに所属したこともあるFWバイチャン・ブティ。イースト・ベンガル出身でインドのマラドーナという異名を持つ選手であるが、国際舞台において一人で仕事を出来るほどの力量は備えていない。

 ただ、2002年7月から代表監督に就任したステファン・コンスタンチンは、ネパール代表のレベルアップに結果を出してきた人物。
 チェルシーのユース出身で、現役時代はアメリカなどでプレーしていたが、イングランド、アメリカ、キプロスなど多様な場所での指導歴を持つ。

 就任直後にベトナムで行われたLG杯では、U23代表を率いてベトナムのA代表を破って優勝。2004年にパキスタンで行われた南アジア大会では銀メダルを獲得と、小さいながらも着実に成果を出している。
 世界での指導実績からOBE勲章も手にしている指揮官は、何とか一泡吹かせようと策を練っていることだろう。

 ユニフォームは、国旗の色そのままに、上がオレンジ色でパンツは白。
ストッキングが緑となっている。

 コルカタ(カルカッタ)の国営ソルトレイク・スタジアムは12万人収容で、モーヒン・バガンやイースト・ベンガルがホームとして使用する他、主な国際試合もここで行われる。
インドとのアウェーゲームは、まだ暑さの厳しい時期に行われるだけに、特有の気候や独特の空気にリズムを崩さないでもらいたい。

著者:らいてぃー 

 
 
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