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2004/07/10掲載
レオネル・サンチェス
 
スペイン、イタリア、ドイツ。今年の欧州選手権では、優勝経験国が揃ってグループリーグで敗退した。その中で、最後のブルガリア戦で劇的な勝利を収めながらも、同組のデンマーク−スウェーデン戦が2対2で終わったために姿を消したイタリアは、特に悔しさが募ったことだろう。

イタリアが早期敗退した元凶と名指しされたのは、フランチェスコ・トッティ。アズーリのエースは、デンマーク戦でクリスチャン・ポウルセンに向かって唾を吐きかけたことが明るみに出て、3試合の出場停止処分を受けた。

だが、ビデオカメラによる確認作業により、ピッチ上では行われなかった処分が下されるようになったのは、近年になってからのこと。

かつては、TVの映像に明らかな反則行為が映っていても、後追いで制裁を加えることなどしなかった国の方が多かった。
何せ過去には、相手選手を殴り倒しても注意さえ受けなかった選手がいた時代もあったのだ。

レオネル・サンチェス。1962年、母国チリで開催されたW杯。4ゴールを挙げて得点王に輝いたアウトサイド・レフト。
南米屈指のサイドアタッカーとして名を馳せていたサンチェスは、相手を
試合中にノックアウトしてしまったことでも有名な選手となっている。

W杯チリ大会は、非常に荒れた大会として認識されている。
特にひどかったのが、イタリアに対する扱い。イタリアの記者が、「チリの生活水準は、W杯を開催するのに相応しいものではない。」とした記事を書いたため、国民感情が一気に悪化。グループリーグのチリ−イタリア戦は、試合が始まる前から不穏な空気が流れていた。

激しい野次やブインーグが飛び交う中、ピッチに現れたイタリアは明らかに平静を失っており、前半のうちに2人の退場者を出してしまう。

そして、後半。相手コーナー付近でウンベルト・マスキオともつれ合ったサンチェスは、相手と向き合うと、いきなり顔面に左フックを見舞う。
余りに鋭いパンチ。一瞬にして砕けるように倒れ込むマスキオ。
すぐに双方のチームメイトが飛んで来たが、この場面をイングランドのアストン主審は背を向けていて目撃しておらず。2人の副審も、自分の目から一番遠い場所で起こった出来事を把握していなかった。

結局、「サンチアゴの戦闘」と呼ばれるほどに殺気立った試合は、チリが終盤の2ゴールでイタリアを下したのだが、TV映像にノックアウトしたシーンがはっきりと映っていたサンチェスにもお咎めは一切無く、3位決定戦までの全6試合にフル出場を果たしている。

サンチェスの父親は、プロボクサー。父から受け継いだ拳の力は半端なものではなく、マスキオの鼻骨は完璧に折れていた。当時の中継を担当し、ボクシングにも精通していたBBCのアナウンサーは、「素晴らしいパンチだった。」と場違いなコメントを残したとも言われている。

チリはこの大会、地元の大声援を受けてグループリーグを2位で通過。
準決勝では大会二連覇を飾ったブラジルに敗れたものの、3位決定戦ではロスタイムの決勝弾によりユーゴスラビアを撃破。
開催国として最後まで国民を楽しませた。

サンチェスは、スイスから2点、ソ連、ブラジルから1点ずつを奪い、ババ、ガリンシアらと共に得点王を分け合った。

1936年4月25日生まれというから、大会当時は26歳。正に脂が乗りきった頃であった。同ポジションの第一人者と言われたペペ(ブラジル)のような強シューターではなく、マリオ・ザガロ(ブラジル)みたいな勤勉さや頭脳も持たない。しかしながら、ペナルティエリア付近になると、途端に力を発揮してゴールに絡んで来る。

生涯に唯一所属したウニベルシダ・デ・チリでは、6度のリーグ優勝を果たしており、チリ代表としても106試合に出場している。
ただし、国際Aマッチだけに限ると、その数は62試合。

とはいえ、地元では間違いなく比類なき英雄。サンチェスを失った後、ウニベルシダ・デ・チリは、1969年から1994年まで実に四半世紀もの間優勝から遠ざかった。

ウニベルシダ・デ・チリの青字に赤色でUと記されたユニフォームは今も
変わらない。そして、サンチェスがクラブの代名詞となっていることも変わることはない。

著者:らいてぃー 

 
 
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