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| 2004/07/17掲載 |
| 【ラディスラブ・クバラ】 |
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古くはネルソン吉村、ジョージ与那城。近年ではラモス、呂比須、三都主
と、ブラジルから帰化して日本代表となった選手は少なくない。
これまでは日本で外国人枠から省かれるためというより、日本代表に
入るために帰化を決意したケースがほとんどだった。
しかし、闘莉王のようにフル代表への道も見えないまま、日本人となる
ことを選んだ選手は珍しい存在といえるだろう。
もちろん、五輪終了後にはドイツを目指すチームに昇格する可能性も
あるが、宮本や田中がいる中、追越すべきライバルは数多い。
こうした帰化選手は、いったん日の丸が着いたユニフォームに袖を通すと、
生を受けた母国の代表となる資格を失う。
それはU23代表であっても同じで、ユースレベル以下では無い限り2ヶ国
の代表となることは出来ない。
国籍変更は、シニアレベルでは認められていない。
一度決めた以上、自分の生まれ育った国が違っても、両親の母国が
他にあったとしても、もうサッカー界における国籍は変えられない。
それゆえ、代表を目指すべき国籍の選択には慎重になるし、代表入り
が可能であるのかという目算が確実なものである必要がある。
しかし、そうした取り決めが形成される以前は、違う国のユニフォーム
を着てW杯に出た選手も珍しくはなく、特に、南米の選手が欧州の金持ち
クラブに買われた後、代表チームにまで入ることは日常的でさえあった。
著名なところでは、ペレと並び称されるアルフレッド・ディ・ステファノ
(アルゼンチンとスペイン)やオマール・シボリ(アルゼンチンとイタリア)。
更にはフィレンツェ・プスカシュ(ハンガリーとスペイン)のように、異なる国
でW杯に出場した選手さえいる。
しかしながら、3つの国で代表となった選手というと、さすがに希有な存在
となってしまう。
ラディスラブ・クバラ。1927年6月10日、ハンガリーで生まれたアタッカー
は、欧州の強豪国で3つの異なる代表キャップを手にした唯一の選手。
キャリのスタートは、故郷にほど近いTEブダペスト。その後、国内屈指の
強豪フィレンツェバロシュへ移籍し、本格的なプロ選手として歩き始める。
その後、隣国チェコスロバキアのSKブラチスラバへプレーの場を移すと、
ここで代表入りを打診されて、それに応じる。
その後、ハンガリーへ戻ってバシャス・ブダペストに在籍。今度は、
母国ハンガリーの代表に選ばれ、マジック・マジャールと呼ばれる以前の
チームに加わる。
しかしながら、1940年代末には、第二次大戦後に社会主義体制となった
2つの祖国に別れを告げて、イタリアへ亡命。
難民によって作られていたチーム、プロ・パトリアに籍を置くこととなる。
プロ・パトリアは、国籍を持たないチーム。ゆえにリーグに属することも
なければ、公式戦を戦う環境にもない。
必然的に各国でエキシビジョン・マッチを行なう以外には、人目に触れる
ことさえなかった。
そんな中、スペイン遠征を敢行したチーム。抜群の技量を見せる
クバラに、FCバルセロナの関係者は目を引かれた。
荒々しいほどの突破力。パワーとスピードに長けたインサイドレフトは、
間違いなくワールドクラスの実力を備えていた。
カタルーニャの巨人は、すぐさま契約を決意。スペインに留まることを
求めた。
バルサでは5度のリーグ優勝に貢献し、UEFA杯の前身フェアーズ杯も
2度掲げることに成功。
クバラは、バルセロナで不動の地位を固めて行くと同時に、スペイン代表
にも選出される。
だが、クラブでの華々しい活躍とは裏腹に、W杯には縁がなかった。
1950年代前半に栄華を誇った母国ハンガリーは、残念ながらクバラ抜き
でも十分に偉大なチーム。
プスカシュ、ヒデグチ、コチシュなどの存在は傑出しており、人材不足を
嘆くような布陣ではなかった。
また、チェコスロバキアもマソプスト、ノバクといった名手の存在があり、
1962年のチリ大会では準優勝。クバラを失ったことを思い出す者も、皆無に
近かった。
そして、スペインでもクラブでの同僚スアレスやヘントといったスター選手
がいたことから、主役の座を勝ち得るには至らず。
実力はあるものの、完全なトップ扱いをされるには、同じポジションに
ひしめくライバルが多過ぎた感もある。
1961年の欧州チャンピオンズ・カップ決勝でポルトガルのベンフィカに
敗れた後、同市内のライバル、エスパニョールへ移籍。
スペインを離れた後は、スイスのFCチューリッヒでプレーした後、カナダ
へ渡ってトロント・ファルコンズへ。
国外への移籍自体も珍しかった時代にあって、5ヶ国で選手生活を送り、
現役生活を終えた。
引退後は、バルセロナとスペイン代表でコーチを務めた時期もあり、
多彩な環境で養われた見識を次世代へと伝えて行った。
チェコスロバキアで7、ハンガリーで3。そして、スペインでは19度の
代表キャップを獲得。
もう、こんな記録を持つ選手が現われることは、永久にない。
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著者:らいてぃー
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