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2004/08/05掲載
アジアカップ決勝を前に
 
いつから日本代表は、こんなに粘り強く戦えるようになったのだろう。 これ程までに勝利への気持ちを絶やさずにいられるようになったのは、 いつの頃からだったのか。

「最後の最後まで絶対に諦めない。」 口では簡単に言えることだが、ピッチ上でそれを実現させ、結果まで ひっくり返す力を持つのは、容易なことではない。

追いつめられた中でゴールに至るプロセスをシンクロさせ、チームとして 統一されたイメージを描きながらプレーする。 また、疲労や精神的感などをかかえながらも、それを打開する個の力。 こうした逆境を跳ね返す要素は、一朝一夕に生まれて来るものではない。

「執念深い」とも形容出来るほどの粘りを見せている今の日本代表。 川口が「一戦一戦成長している。」と語るように、チームが逞しく育って いる要因は、一体何だろうか。

まず第一に挙げられるのが、Jリーグや過去の国際大会などにおける 経験値。 獅子奮迅の働きを見せている中澤が、退場者が出たことについても、 「それほどピンチだとは思わなかった。(クラブで)慣れてるし、相手は若い 選手が多く、油断すると思っていたから、そこに付け込もうと考えてた。」と 余裕のコメント。 これはJリーグ等で継続的に多くの真剣勝負を戦って来たおかげであり、 様々な状況に適応するシミュレーションが行われてきたことを意味する。 劣勢になっても慌てることなく、最後まで諦めてはいけないことを身体が 覚えている。 だからこそ、中澤の頭によって起死回生の同点弾が生まれたのだろう。

そして、退場となった遠藤が準決勝を切り抜けた要因として挙げた、勢い とチームワーク。 これは大会を制する上で非常に重要な要素となる。ユーロでのギリシア やUEFAチャンピオンズ・リーグでのポルト。そして、リベルタドーレス杯に おけるオンセ・カルダスは、それぞれ戴冠までに非常に厳しい試合を 経験し、そこから這い上がってきた。 勝つことで流れが生まれ、チームに新たな力が備わる。 チームは生き物。鮮度が高ければ、それを調理して生まれる味も一層 際立つこととなる。

中澤が「グループリーグではバラバラのところもあったけど、今は まとまっている。」と言えば、中村も「10人になっても会話してカバーした。」 と語るように、チーム内でのコミニューケションが密になっていることが、 選手たちの言葉からも読み取れる。

トルシエ時代には、ベンチの方を向く選手がやけに多かった日本代表。 今では、交代選手が入ったからといって、ベンチに聞き耳を立てる選手も ほとんどいない。 交代選手の持つ意図は、入って来た選手を見れば解かることであり、 監督にその都度確認する事項ではないということ。 そして、流れの中でフレッシュな選手をどのように活かして行くのかは、 臨機応変に対処されるべきもので、選手自身の意志によってチームを 動かして行くことが求められている。

加えて、藤田や三浦淳など年上の選手たちが、出場機会が無くとも 真摯な姿で日々取り組んでいる姿を見せているとなれば、団結力は 自然と高まって行くものであろう。

最後に、ジーコ監督が持つ勝利への強い執念。これがチームに乗り 移った部分も多分にあることは誰も否定はしないだろう。

鹿島サポーターは、ジーコがチームを離れた今までも「ジーコ・スピリッツ」 と書かれた大きな旗を毎試合掲げている。 Jリーグ発足以降、最も多くのタイトルを獲ってきたのは鹿島。 年間王者に輝くこと実に4度。いつの間にか、ずる賢いとか汚いだのと 批判する声も増してきたが、勝利への飽くなき執念は、クラブの伝統として 形成されてきた。 「敗者は忘れ去られる。後に残るのは勝者の姿だけ。」というのは、 本田や秋田が幾度も口にしていること。

準決勝で敗れた昨年の天皇杯でも、3回戦、4回戦と劇的な勝利を収めて 秋田との別れを先延ばしにしたように、勝利への渇望を現実のものに 変える力は、国内でも屈指の存在となっている。

そして、その源流を辿れば、ジーコに行き着くことは言うまでもない。 どんなことにおいても、負けず嫌いが顔を出すという指揮官。 ブラジル代表、フラメンゴと常に勝利を義務づけられたチームで培われた 勝負への執着心は、並大抵なものではない。

奇しくも、母国のセレソンが先月のコパ・アメリカを制した決勝戦でも、 試合終了間際にドラマが生まれている。 87分、アルゼンチンに決勝弾と思われる一撃を浴びたにも関わらず、 ブラジルは残り僅かな時間で同点に追いつき、PK戦の末に戴冠を 果たした。

こうした劇的な試合を幾度も見てきたジーコが、最後まで試合を捨てない のは、当然のこと。 その強い気持ちがピッチへと伝染したという面も、多分にあるのでは ないだろうか。

だが、専門誌やネットの世界では、相変わらずジーコへの戦術的批判は 収まる気配がなく、W杯予選への不安をかき立てる者も多い。 トルシエがアジア・カップを制した4年前と比べ、苦しみ過ぎている内容に、 日本代表が弱くなったと切り捨てる意見も見受けられるが、果たしてそう だろうか。

確かに、大勝した試合が多かったレバノン大会を思い返すと、今大会の 日本は、綱渡りのような状態。 スロースターターといえば聞こえは良いが、ここまでの5試合で先制 できたのが1試合しかないという事実。ゲームへの入り方に対する 指示が徹底されていない、と感じる向きも多いだろう。

また、すぐにメンバーを固定する傾向のあるジーコ監督の采配が、選手 の疲労を増した面も否めない。 イラン戦ではドローでもOKだった相手に、守備的な選手を送り出して、 早めに矛先をしまうサインを送ることもなかった。 怪我を抱える選手もスタメンから外すことはなく、コンディションの良い 選手を選んでいるとは言い難い面はある。

とはいえ、タイ戦での後半からの布陣変更も当たっているし、ヨルダン戦 で最後カードを切らなかったのも、田中の負傷があり、結果的には間違い ではなくなった。 そして、バーレーン戦では、遠藤の退場により急遽送り出した中田が 1ゴール1アシストの活躍。 守りに入る消極的なカードは極力避けて、ゴールへの姿勢を失わせない 態度は、一貫している。

「今の日本はこの形で戦う。」と頑固なまでに明示することで、チーム としての完成度を高めていることには、異論も出ないはず。

日本は、前回の覇者。優勝しても、強くもなったというレッテルが貼られる ことはない。監督自身が言う「ノルマを果たしただけ。」となる。 それだけに、タイトル防衛に対する意欲は強いものがあるだろうし、 アジアでの戦いを忘れかけていた選手たちにも、勝負に徹する気持ちを 植え付ける絶好の場となっている。

オマーンに自信を付けさせたとか、最終予選でのライバルが増えた という意見も当然あろう。日本からみれば、アジアのレベルアップは、 最大の目標であるドイツW杯出場への障害が増すことと同義語。

だが、どのチームも日本に勝っていないという事実も忘れてはいけない。 オマーンの側からしてみれば、アウェーで負け、ニュートラルな地でも 日本には勝てなかった。 例え試合内容がいくら良くなっていても、ホームなら勝てるという自信を 付けるに至っただろうか。 恐らく、オマーンの中に「やはり日本には勝てないのか。」と思った選手 もいたのではないか。 それも中田英に小野、久保、高原、稲本。多くの主力を欠いた日本に 勝てなかったと捉えているのが、普通であろう。

いくらオマーン若く伸び盛りにあるチームとはいえ、次の対戦は10月。 オマーンは、あとわずか2ヶ月強の間に日本を確実に上回るだけの力を 付けないと、最終予選には進めない。 引き分けは許されない。プレッシャーもかかる中、オマーンが日本に 2点差をつけるだけの成長を見せることは、非常に難しいはず。

3試合で中国から帰ったオマーンに対し、明確な目標を持ってアジアの ライバルたちと6試合を戦う日本。どちらにチームとしての成長が見られる かは、言わずもがなではないか。

先制された上、退場者を出しての勝利。それだけの底力がある国は、 今のアジアでは日本だけと言っても良いのかもしれない。

1992年のアジアカップ準決勝でも中国戦で、GK松永が退場となった後、 同点に追いつかれているが、それを振り切って初優勝を遂げている。 こうした逆境を跳ね除けた勢いは、吉と出ることが多い。

土壇場まで追いつめられても、決して最後の俵を割ることのない姿は、 当時の日本とダブって見える部分が数多い。 北朝鮮戦は中山が気迫の同点弾。イラン戦では、カズが終了間際に 決勝ゴールを挙げて次へとつないだ。 決勝戦では、それまでゴールのなかった高木が値千金の決勝弾を 決めてサウジアラビアを撃破。初のビッグタイトルに、日本の歴史が 変わったと言われた。

そして、今。準決勝で周りから「そろそろ決めろ。」と言われていた玉田 が覚醒。見事な2ゴールでファイナルへと導いた。 どことなく、広島の時と同じ流れを感じている人も多いだろう。 当時のオフト・ジャパンはノスタルジーをもって語られることが多いが、 今のジーコ・ジャパンも、戴冠の暁には同様の想いを抱かれる可能性を 秘めている。

前任者の戦術に縛られた日本に格別な思い入れを持つ人も多いが、 あのチームはこうだったと、そらんじて語ることのできるチームでなければ、 ノスタルジーは生まれてこない。

85年の森ジャパンは語られても、87年の石井ジャパンは語られない。 オフトの功績は認めても、加茂の功績には疑問符が付けられる。 82年のセレソンは誰もが懐かしがるが、90年のセレソンには誰もが眉を ひそめる。 記憶に残るのは、いつの時代にもチームの骨格が固まっていた場合に 限られている。あるチームが歴史となる条件があるとするなら、今の日本 には、その資格があるのではないか。

決勝の舞台となる工人体育場は、1992年のダイナスティ・カップで、 日本が初めて国際タイトルを獲った縁起の良いスタジアム。

中国側は「抗日決戦」と煽っているが、中国のファンもかつては日本を 応援したことを覚えている人は多いはず。 12年前のダイナスティカップ、中国戦。オフトは「途中から中国のファンも 日本を応援する。」と予言し、その通りになったことは有名な話。

当時の日本がサッカー新興国の扱いで、中国チームの不甲斐なさに 怒った観衆がひいきの引き倒しで反応したという事情もあるのだが、 韓国との決勝戦後、日本のビクトリーランの際には、カズ、ラモス、北沢と いった日本の主力と嬉しそうにタッチする中国ファンの姿があった。

それを考えると、政府首脳までもが反日の姿勢に言及せざるを得ない 現況は、やはり異常。 日本チームのバスに指を立てたりしているのが、大半が若い世代で あることから、1989年の天安門事件以降、中国が江沢民国家主席の下で 右傾化した教育政策を続けて来た結果の産物であろうことは、想像に 難くない。

近年の買春事件や靖国神社参拝問題に加え、タイ戦の翌日には、 防衛庁が戦時中に日本軍が中国で致死性の高いマスタードガスを使用 したことを公表するなど、タイミングの悪いニュースもあったことは事実。

それでも、日本がここまでブーイングを受けるのは、中国にとっての 日本サッカーは明らかに格上であると認識していることの現われ。 他国の試合では半官びいきの応援をしていた観衆が、日本にめくじらを 立てるのは、日本が前回のチャンピオンであり、W杯の成績でも上を行く 存在であるから。 日本が、この大会で突如変貌して勝ち上がったチームであるなら、 または1980年代の力関係なら、日本に対する敵意も薄かったものと推測 できる。

フランスW杯では、万単位のサポーターを送り出した日本。 シンガポールでW杯予選を戦ってもホームのような状態になる今、 圧倒的なアウェーを感じる機会は少ない。 貴重な経験だと楽しむような気持ちを持ち、勝負への執着心を欠くこと さえなければ、カップを再び持ち帰ることが出来るだろう。

著者:らいてぃー 

 
 
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