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| 2004/08/18掲載 |
| 【選手の異名】 |
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アテネ五輪代表にとって最後の対戦相手となったガーナ。日本と同時に大会を去ったが、イタリアに2点を先行し、首位通過となったパラグアイにも勝った実力は、ナイジェリア、カメルーンに次ぐアリフカ勢3連覇の可能性を感じさせた。
日本と初めて対戦したアフリカ大陸の国でもあり、ボロスでの勝利が各年代を通じ、対ガーナ初の公式戦白星であった。
初顔合わせは、1964年の東京五輪。この時は杉山、八重樫の得点も虚しく、2-3で敗れている。その後、1993、95年にはワールドジュニアユースで対戦。いずれも0-1で涙を飲む。
1994年には、2軍半ともいうべき若いメンバーながら、初めてフル代表が来日。西京極などで2つの親善試合を行い、3-2、2-1で日本が連勝している。この時は、新しいガーナの至宝と呼ばれたニィ・ランプティもいたのだが、20歳そこそこの布陣は、チームとしてのまとまりに乏しく、大きな脅威を感じさせることもなかった。
そして、1997年のワールドユースでは準々決勝でぶつかり、延長戦までもつれ込んだが、Vゴールを奪われてマレーシアを後にしている。
アフリカ大陸西部に位置し、かつてはゴールド・コースト(黄金海岸)と呼ばれていたように、豊富な鉱山資源が眠るガーナ。面積は、日本の3分の2ほど。カカオ豆やダイヤモンドなどを主な輸出産品として、日本からは車や鉄を輸入している。親日家の国でもあり、ローリングス前大統領は、頻繁に日本を訪れて両国の関係強化に力を注いでいた。
サッカーにおいては、ブラック・アフリカを代表する強国の一つ。
特に、近年は若年層で華々しい成果を挙げている。
ガーナにサッカーが伝わったのは、1900年頃。当時の宗主国がイギリスであったことから、ごく自然に広まって行った。現在は公用語も英語で、国民の半数近くがキリスト教徒となっている。
1911年には国内最古のクラブ、ハーツ・オブ・オークが創設され、1922年には、ゴールド・コースト・サッカー協会も設立された。独立を果たしたのは第二次大戦後の1957年で、この前年には全国規模の国内リーグがスタート。初代チャンピオンは、ハーツ・オブ・オークだった。
1958年にはカップ戦が導入され、クラブの数も徐々に増えて行った。
だが、ガーナでプロリーグが創設されたのは、Jリーグと同じ1993年。
1992年のバルセロナ五輪における銅メダル獲得が後押しとなり、国内シーンも活況を呈するようになる。ガーナ・プレミアリーグは12チームで構成され、最下位になると1部リーグへ自動降格。11位のチームは1部で2位となったチームとプレーオフを戦う。
ハーツ・オブ・オークが最も伝統あるクラブであることは間違いないが、五輪代表にも多くの選手を送り込んだアサンテ・カトコも近年の主役。
他にグレイト・オリンピックス、オブアシ・ゴールドフィールズといったあたりが上位グループを形成することが多い。
ガーナを代表する名手と言って真っ先に思い浮かぶのは、マルセイユ在籍時代にチャンピオンズ・カップ優勝も果たした英雄アベディ・ペレ。
フランス・フットボール誌が選定するアフリカ最優秀選手3年連続で選出
され、名実ともにアフリカのトップ・プレイヤーとして君臨した。また、フランクフルトやリーズなどで活躍したFWアンソニー・イエボアも、近年に世界的な名声を勝ち得た選手である。
古くは、1971年にイブラヒム・サンデイ。1978年にカリム・アブドゥル・ラザクと、2人のアフリカ最優秀選手を輩出していた国。アフリカ・ネイションズ・カップには、4度優勝し、決勝進出は計7度を数える。U17世界選手権では、1991、1995年と2度優勝。日本で行われた1993年には、準優勝。1997年にも準優勝を遂げて1999年には3位と、上位の常連になっている。ワールド・ユースでは、優勝こそないものの、1993年と2001年の大会で準優勝。ギリシヤに集めたメンバーは、2001年大会の主力がほとんどで、所謂黄金の世代。若くして欧州に渡った選手も多く、久し振りのメダル獲得も有力視されていただけに、敗退が決まっていた日本に土を付けられたのは、大きな誤算であったはず。
現在、最も著名な選手といえば、ブンデスリーガのバイエルン・ミュンヘンに所属するDFサムエル・クフォーであろう。2001年のトヨタカップでは延長戦で貴重な決勝ゴールを奪い、MVPにも輝いた。当初は、アテネ五輪でも、オーバーエイジでの選出が有力視されていた一人。柔らかい守備を見せ、カバーリングにも秀でたタレントである。このクフォーという名字は、ガーナでは比較的多いもので、現在の大統領もジョン・アジェクム・クフォーと言う。
また、オーバーエイジの選手として10番を背負い、獅子奮迅の活躍を見せたのが、イタリアのユベントスに所属するMFステファン・アッピア。パルマで頭角を現し、今ではセリエAの中でも屈指の若きタレントの一人に数えられる。昨季、オランダ代表のMFダービッツをバルセロナへ放出したのも、アッピアの成長があったためと言われているほど。
他には、フランスのリヨンで確固たる地位を築いていたMFエシアンも五輪に呼ばれるはずだったが、クラブとの綱引きの結果、断念することとなった。
次の目標は当然、まだ踏んでいない最後の大舞台、W杯。2大会連続出場の南アフリカと同組になったが、6月のホームゲームでは3-0とバファナバファナを一蹴。2010年の本大会開催を決めて浮かれ立つライバルをリードした。
他のアフリカ諸国と同様にアカン族、エベ族、ダゴンバ族、マンプルシ族、ガ族と多くの民族から構成されているにも関わらず、部族間の対立は非常に少ない。黒い流星の意を持つ「ブラック・メテオス」の中にも、部族、宗教が違う選手が混ざり合っているが、代表チームに対する忠誠心の下にまとまる力を持っている。ドイツの地で、再び日本と激突する可能性も少なくはないだろう。
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著者:らいてぃー
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