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| 2004/09/01掲載 |
| 【ウエスト・ブロムウィッチ・アルビオン】 |
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5度のFA杯優勝経験を持つ古豪ウエスト・ブロムウィッチ・アルビオン。このたび、移籍期限ぎりぎりで稲本潤一の移籍先に決まり、にわかに注目を集める存在となった。
イギリス第二の都市、バーミンガムに隣接するウエスト・ブロムウィッチのクラブ。創設は、1879年(1878年という説も)。サルター氏のスプリング工場で働く労働者が結成したチームが、出発点となっている。
当初の名称は、ウエスト・ブロムウィッチ・ストローラーズ。これが1881年に今と同じW・B・アルビオンに改称され、1885年にプロ化。
現在に至っている。
ウエスト・ブロム(以下WBA)が台頭してきたのは、、プロ化してすぐのこと。1886年からは、3年連続でFA杯決勝に進出。最初の2年はブラックバーン、近隣のライバル、アストン・ヴィラに敗れて涙を飲んだが、1888年に三度目の正直でプレストン・ノースエンドに勝利。初のタイトルを手中にしている。(1882年のバーミンガム・カップ、1883年のスタッフォードシャー・カップは、ローカル・タイトル)
また、この1888年はフットボール・リーグ創設の年。
リーグでは、12チーム中6位となり、FA杯でも準決勝まで進むが、プレストンに前年の雪辱を果たされてしまう。
そして、次の戴冠は3年後の1892年。2度目のFA杯を掲げた。
翌年も決勝まで進み、10年で5度のファイナリストとなる黄金期を形成。
アストン・ヴィラと共にミッドランドの雄としてブリテン島全土にその名を轟かせた。
但し、この頃まではホーム・グラウンドも定まらず。各地を転々として、最初のクーパーズ・ヒルからダートマウス・パーク、バンズ・フィールドと
短期間で5度の移転を経験。現在も拠を構えるザ・ホーソーンズに落ち着いたのは、1900年になってからだった。
カップ戦での活躍はあったものの、なかなかリーグ戦では好結果を出せなかったウエスト・ブロム。1904年には2部落ちとなり、再び上がれたのは1911年になってから。そんな低迷状態を打破したのが、1919-20年シーズン。第一次大戦により中断されていたリーグが復活したシーズンだった。
エース、フレッド・モリスがリーグ最高記録を更新する37ゴールを挙げ、チームの総得点は、実に104。モリスの他にもDFジェシー・ペニントンらイングランド代表選手を7人も抱えるスター軍団は、2位バーンリーに、9ポイントの差をつけて圧倒的な戴冠となった。
豪華な陣容を誇ったWBAも世代交代に失敗すると、1927年には最下位となって再びトップリーグから陥落。
しかしながら、1931年に2位での昇格を決めると同時にFA杯も制覇。
2部のチームがカップを手にしたのは4チーム目であったが、同時に1部復帰を決めたのは、史上初めてのことだった。
1930年代の主力は、1935-36年シーズンに39ゴールで得点王となった
ウイリアム・ジンジャー・リチャードソン。1931年のFA杯決勝では、バーミンガムから2ゴール。1935年の同杯準優勝も、彼の活躍なしでは有り得なかった。
だが、第二次大戦後はWBAの栄光にも翳りの時期が長くなる。
1953-54年シーズンにはジョニー・ニコルズ、ロニー・アレンという傑出したアタッカーを擁してリーグで2位、FA杯には優勝とダブル・クラウンまであと一歩と迫ったが、次のタイトルまでには10年以上の歳月が流れた。
最後の黄金期は、1960年代後半。まず1966年にウエストハムを破って
リーグカップを獲得すると、翌年も決勝まで進出。
1968年には、クラブ通算5度目となるFAカップを手中に収める。
今もクラブの歴代最多出場記録と得点記録を併せ持つトニー・ブラウンに、ウェールズ代表のスチュアート・ウイリアムズ、ジェフ・アストル
といった名手たちが、チームを牽引。ジミー・ヘイガン監督が基礎を作り、アラン・アシュマン監督が花を咲かせた。1968-69年シーズンには、欧州カップ・ウィナーズ・カップで準々決勝まで進んでいる。
そして、WBAが最後に自前のスターを生み出したのが、1970年代後半。名将ロン・アトキンソンの下でローリー・カニンガム、サイリー・レジス、そしてイングランド代表とマンチェスター・Uで不動の地位を築いた闘将ブライアン・ロブソンが育ち、1978-79年シーズンは3位に入り、翌季のUEFA杯でも準々決勝まで駒を進めた。
しかしながら、才能ある若手がビッグクラブへ引き抜かれて行くと、チームは急激に弱体化。1986年に2部へ落ちると、1991年には史上初めて
3部まで転がって行き、暗黒の時代を迎える。
幸い、1シーズンでこの危機を脱すると、現東京ヴェルディのアルディレス監督も指揮を執り、名門の再建に尽力した。
現在の指揮官、ガリー・メグソンは、2000年3月から指揮を執っており、
今季の昇格が2度目となる。エバートン、ニューカッスル、マンチェスター・C、ノーリッジなどで選手生活を送り、ノーリッジ時代にはプレミア初年度に3位に躍進する原動力として活躍した。
ストーク、ブラックプール、ノーリッジで指導者としてのキャリアを積み、2003年にはプレーオフに勝利して初のプレミア昇格を勝ち取ったものの、戦力不足は如何ともし難く、1シーズンで降格。それでも、同時に落ちた3チームの中で唯一、1シーズンでのカムバックを果たしている。
現在のチームを見渡しても、ビッグネームと呼べるのはナイジェリア代表のFWヌワンコ・カヌくらいなもの。新戦力は、デンマーク代表DFマルティン・アルブレクセンや、元イングランドU21代表の経歴を持つDFダレン・パースなど、実に小粒。資金力で劣るため、ハンガリー代表のMFゾルタン・ジェラを同国の名門フィレンツェバロシュから獲得しても£150万で済ませているように、お買い得感のある選手が中心となっている。
他の主力選手も、スイス代表のDFベルント・ハーズにジャマイカ国籍のダレン・ムーア、元デンマークU21代表MFトーマス・ガドソーと強豪国の代表でレギュラークラスといえる選手は皆無に等しい。
移籍期限締め切り直前の8月30日、ザンビア出身のウェールズ代表FWロバート・アーンショウを獲得を発表し、£300万を費やしたのも、クラブ
にとっては大きな決断であったはず。カーディフでは205試合で107ゴールと、2試合に1点以上の得点率を誇っていたストライカーを手に入れたことで前線の厚みは増したが、中盤の補強は思うように進んでいない。
熱心に声をかけていたウエストハムのマイケル・カリックには、あっさりと首を振られた。そこで、稲本に白羽の矢がたったのではないだろうか。
ガ大阪との移籍金を交渉する以前に、本人がプレミアリーグでのプレーを強く希望する稲本であるなら、獲得資金も微量で済む。
怪我から復帰する時間を考慮しても、フラム時代の実績を買ってくれたことを素直に喜ぶべきであろうし、フラムよりもレギュラーに定着する可能性は大きいのではないだろうか。
愛称は、バギーズ。青と白の縦縞のユニフォームが稲本に似合うかどうかは置くとしても、初めてロンドンを離れることで、環境も大きく変わって来る。著名な選手もおらず、選手の顔と名前を一致させることから始まることは、大きな困難を伴う。
それでも、イングランドに渡って既に3シーズンを終えた経験は、何事にも代え難い財産。持ち前の勝負強さが発揮されれば、プレミア残留が命題となるチームにとっても大きな助けとなることであろう。
ホームスタジアム、ザ・ホーソーンズはミッドランド・メトロやBRの駅からも近く、アクセスの良さは抜群。ロンドンからの日帰りも可能な範囲となる。25,396人収容とこじんまりした印象であるが、ゴール裏に大きなマフラーが描かれたスタンドは実に粋。古豪のファンから大きな喝采を浴びる日を、一刻も早く見てみたい。
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著者:らいてぃー
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