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2004/11/30掲載
ソロモン諸島のサッカー
 
20年以上もの間、連盟からの代表をW杯に送り込んでいないオセアニア。 最後にオセアニア代表として桧舞台に立ったのは、1982年のスペイン大会 におけるニュージーランド。 かつて市原でのプレーもあり、ブレーメン時代には奥寺の僚友でもあった FWルーファーなどを擁していたが、3戦とも3点差以上をつけられる完敗を 喫して大会を後にした。 とはいえ、スコットランド戦ではオセアニア勢力として初のゴールも記録。 国民は健闘したと称え、選手たちは英雄のごとく凱旋した。

以降、オセアニア地区予選を勝ち抜いても、他の大陸とのプレーオフが 必ず設定され、毎度涙を飲んでいる。 その犠牲となり続けているのが、地域唯一の大国オーストラリア。 メキシコ大会ではスコットランドに。イタリア大会の予選では政治的思惑から イスラエルとの予選を強いられ、その後もアルゼンチン、イラン、ウルグアイ と対戦。常に、あと一歩のところで涙を飲んで来た。

2006年のドイツ大会では、当初オセアニアに1枠が割り当てられるはずで あったが、日韓の躍進を楯にとって5つの出場枠を譲らなかったアジアとの 綱引きに負けて、結局これまでと同じ0.5枠に落ち着いてしまった。

今回のオセアニア予選は、3段階方式。まず10チームが2グループに 分かれてのリーグ戦。 その後、各組2位までに入ったチームが、オーストラリアとニュージーランド を加えた6チームで、1回戦総当たりのリーグ戦を2次予選として行った。

オセアニアのサッカーは、W杯出場経験を持つ2大国が常に支配し、他の 国々はアウトサイダーの扱いであった。 イスラエルがUEFAに移管されて以来、3大会連続で他大陸との最終決戦 への切符を争ったのは、当然オーストラリアとニュージーランド。 他国が入り込む隙は皆無に等しかった。

それが、今年。オセアニア選手権を兼ねて開催された2次予選で、大きな 波乱が巻き起こった。 来年の9月3&7日に予定されている大陸間プレーオフ進出をかけた最終 予選に駒を進めたのは、順当な強さを見せたオーストラリアと伏兵の ソロモン諸島となったのだ。

5月末からオーストラリアのアデレードで行われた2次予選。ソロモン諸島 は、第2戦でニュージーランドに0-3と完敗。望みは早々に絶たれたようにも 思われたが、第3節でニュージーランドがバヌアツにまさかの敗戦。 タヒチ、フィジーを撃破したソロモン諸島にもチャンスが巡って来た。

最終節を前にしてソロモン諸島の勝点は9。ニュージーランドは勝点6で あったものの、得失点差で大きく劣るため、ソロモン諸島は負ければ3位 に転落する状態であった。 とはいえ、最終節の相手は大きな実力差があるオーストラリア。 1997年の仏W杯予選では、0-13という大差をつけられて完敗していた。

追い詰められたニュージーランドがフィジーに取りこぼすとは考えにくく、 誰もがいつも通りの結果となることを予想していた。 しかし、すでに最終予選進出を決めていたオーストラリアは、大きな モチベーションもなかったせいか、拙攻を重ねてゴールを奪えない。 逆に、前半終了間際に先制を許して0-1で折り返す始末だった。

この状況には、監督もさすがに怒り心頭であったようで、後半頭から 一気に3人を交代させて反撃を試みる。 すると、エバートンのMFケイヒルとブラックバーンのMFエマートンが、 立て続けにゴールを挙げて、わずか7分で逆転。 底力の違いを見せつけた。

それなのに、逆転弾とほぼ同時にオーストラリアはキスノーボが、この日 2枚目のイエローカードをもらって退場。10人となってしまう。 数的優位となったことで息を吹き返したソロモン諸島は、63分に2枚の カードを切ると、75分にエースのメナピが先制弾よりも遥かに貴重な同点 ゴールを決める。

結局、ソロモン諸島はそのままオーストラリアと勝ち点を分け合い、 フィジーを2-0で下したニュージーランドとの勝点差を縮められはしたが、 消し去ることはなかった。
オセアニア地区 第二次予選順位
 
オーストラリア 5 4 0 1 21 3 13
ソロモン諸島 5 3 1 1 9 6 10
ニュージーランド 5 3 2 0 17 5 9
フィジー 5 1 3 1 4 9 4
タヒチ 5 1 3 1 2 23 4
バヌアツ 5 1 4 0 5 8 3

ニュージーランドにしてみれば、最下位に終わったバヌアツとの試合が 全て。 一部ではオーストラリアがニュージランドを3位に落とすため、終盤に手を 抜いてドローを選択したという声も聞こえたが、 英国人監督アラン・ジレット を招聘して強化を図っていたソロモン諸島がオーストラリアを脅かす力を 発揮した事実には変わりがない。

アジアでは中国が前回大会の出場国として亥の一番に敗退となったこと が話題となったが、W杯経験国でもあるクウェートに競り負けるより、 FIFA加盟から15年にも満たない国がサッカールーに挑む図式となった 番狂わせの方が衝撃度は大きいものであろう。

ソロモン諸島は西太平洋、ニューギニアの東に浮かぶ島々から成る国家。 第二次世界大戦の戦地として有名なガダルカナルが最大の島であり、 首都ホニアラでも5万人しかいない小国。

総人口は44万人で、全島を合わせた面積も岩手県の2倍ほど。 古来のメラネシア系人種がほとんどを占めるが、列強の支配化に暮した 歴史から、中国系や欧州系の人々も住みついている。

16世紀にスペイン人が来航して以来、海洋資源の宝庫として見なされた この地域は、19世紀末にイギリスが南ソロモン諸島領有を宣言。 その後、イギリスがドイツから北ソロモン諸島を購入したことで、大英帝国 の一部として生きるようになる。

第二次大戦中には日本軍が占有した時期もあったが、大量の戦死者を 出す激戦の末に米軍が日本より奪回。戦後しばらくは米軍が駐留していた ものの、長く英連邦の一部として統治されてきた。 現政治体制も立憲君主制。国家元首をエリザベス二世女王と定めており、 英国総監も駐在している。

ソロモン諸島として自治政府が樹立されたのが1976年で、その2年後に ようやくイギリスからの独立を果たす。

サッカー協会の設立も同年であり、1980年からオセアニア・カップには 参加していたが、FIFAに加盟したのは1988年。初めてW杯予選にエントリー したのは、米国大会の予選からだった。

1995年にクック諸島を16-0で破った経験は持つとはいえ、今回の予選 でも1次予選突破が現実的な目標であった。 それが、オーストラリアとの最終決戦にまで進んだのだから、国民だけ ではなく、当の選手も驚きを隠せない。

周辺諸国の例に漏れず、ラグビーやバスケットに人気が集まる中、 代表チームの快挙はホニアラにあるローソン・タウ・スタジアムの改修まで 決定させた。 これまでは1万2,000人収容の小さな器であったが、2万近い観衆で埋め 尽くすために、予算が取られたと言う。 国旗に準じた緑・黄・青のユニフォームが、もう一波乱起すのだろうか。

先住民と移民の間で部族対立が激化し、太平洋諸島フォーラム加盟国の 軍隊による治安回復が図られた90年代の暗い影。 そうした亀裂を修復させるだけの求心力が、サッカーには存在する。

全員がアマチュアの選手とは言え、スロバキアがイタリアを破り、モルジブ が韓国と引き分ける時代。 意外なほどに健闘するソロモン諸島の姿が、再び見られるかもしれない。


著者:らいてぃー 

 
 
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