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| 2004/12/25掲載 |
| 【シリアのサッカー】 |
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W杯最終予選の1週間前。壮行試合として大事な位置付けとなる相手に
選ばれたのは、中東のシリア。
1996年のアジア・カップ初戦(2-1)で当たって以来の対戦となるが、
1983年には1年のうちに互いが行き来して2度対戦するなど、かつては
決して関係の薄い国ではなかった。
一般にシリアと呼ばれているが、正式な国名はシリア・アラブ共和国。
名前からアラブの一員であることを、はっきりとうたっている。
19世紀までオスマン・トルコの支配下にあったが、1918年にフランスの
助力を得て独立を果たすと、すぐにフランスの委託統治領となる。
第二次大戦後の1946年。ようやくフランスからも離れて真の独立国家
を形成することになった。
かつては軍事的にもソ連との緊密な関係が築かれており、中東の中
でも孤立する場面が目立っていたものの、ソ連邦の崩壊とイラクによる
クウェート侵攻が重なってからは、西側陣営へ足場をシフトさせている。
シリアにサッカーが持ち込まれたのは1920年代のことで、侵入者である
フランス人によって。
サッカー協会の設立は1936年。翌1937年にはFIFAに加盟しており、
FIFA創設に尽力したフランスの庇護により、早くから国内にはクラブチーム
が誕生していた。
とはいえ、全国的な1966年にカップ戦が始まったのは1996年のことで、
リーグ戦は翌1967年になってからスタート。
トップリーグは14チームで構成されているが、いまだプロリーグではなく、
選手は全員がアマチュア。
以前は近隣諸国でプレー選手もいたようだが、相対的な地位が低い
こともあって選手の輸出もままならない状態にある。
著名なクラブは、1985年のアジアクラブ選手権で4位となったアレッポの
アル・イテハドや1998年のアジア・カップ・ウィナーズ・カップで準優勝して
いるダマスカスの名門アル・ジャイス。
2度のリーグ優勝経験を持つテシュリンや、1990年前後にシリア・カップ
で4連覇という記録を持つアル・ファウトゥアも強豪の一角を占める。
シリアは、アジアの中で最も早くW杯への挑戦を始めた国。
1949年、第3回ブラジル大会の予選にアジアから唯一参加して、歴史的な
痕跡を残している(トルコに0-7で大敗)。
1974年の西ドイツ大会予選では、3勝を挙げてイランに次いでB組の2位
となったように、国際舞台でも早くから存在を知らしめてきたが、主な戦績
というと、1966年と1986年のアラブ・ネイションズ・カップで準優勝した程度。
1987年の地中海諸国大会で金メダルを獲っているが、小国ばかりが
集まった中でのものであり、地域連盟主催のタイトルは持たない。
当然、五輪やW杯に出場した経験はないものの、1994年にジャカルタで
行われたアジア・ユースでは決勝で日本に競り勝ち、初優勝を遂げている。
ワールド・ユースには2度の出場経験を持ち、1991年にはベスト8。
1995年にはアジア王者としての出場だったが、グループ3位となって敗退。
とはいえ、今年のアジア・ユースでも4位となってオランダへの切符を
手にしており、3位決定戦では日本と1-1のままで延長、PK戦までもつれ
込んでいる(PK戦4-3で日本が勝利)。
また、アテネ五輪の予選では中国に3-2で勝利しており、得失点差により
惜しくも予選敗退となっている。
フル代表にも抜擢されたマヘル・ アル・サイドにイジャド・メンドゥ、そして
フィラス・アル・カティブ。攻撃を一手に担う3人は、高い評価を受けており、
将来の軸として嘱望される存在である。
だが、シリアではこうした若年層での好結果が、なかなか上の年代に
リンクされて行かない。
2001年の日韓W杯予選の際には、ホームでのオマーン戦で劇的な
試合展開の末に3-3のドローに持ち込むなど成長した姿を見せた一方、
アジア・カップの予選ではUAEに惨敗。毎度のように継続的な上昇カーブを
作れずにいる。
アジアカップ予選後にポーランド人のフォイニック監督が更迭され、
シリア人のナイザル・マーラウス監督が引き継いだものの、ドイツへの
チャンレンジはバーレーンを脅かすこともないうちに終了。
最下位となったキルギスタンにも2戦して勝利を得られず、バーレーンを
楽に走らせるだけとなった。
他の中東諸国の例に漏れず、戦術的にはカウンターがメインとなり、
MFアル・フサインを中心にFWシェク・エルシェラらが仕掛けて行く。
予選で2ゴールを挙げたラジャ・ラフェがスーパーサブとして働くが、
ホームでのバーレーン戦では2点を先取しながら追いつかれたように、
全体的な若さが見えてしまうチーム。
カザフスタン同様、最終予選前の小手調べとするには随分と力の差が
存在する相手と言えるだろう。
フル代表同士の対戦は、これまでに計4度。1978年のムルデカ大会で
3-2と勝利したのを手始めに、1983年2月の中東遠征では2-2のドロー。
1986年にはクアラルンプールで対戦して2-1で勝っており、日本が
負けたことのない珍しい国。
1983年6月にはジャパン・カップ(現キリンカップ)で初来日。
代表チームが日産のMF金田喜稔のゴールで1-0の勝利した他、前年度の
天皇杯で優勝したヤマハ発動機もシリアに勝っており、日本との相性は
良過ぎるくらいの相手。
あてにならないFIFAランクでも遥かに下に位置しており、シンガポール戦
のように不完全燃焼に終わる姿は見たくない。
気持ちの良いゴールラッシュを演じて、北朝鮮との試合に臨みたいところ
であろう。
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著者:らいてぃー
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