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2005/02/09掲載
【サポーターの世代交代】
 
今日から始まるドイツW杯へ向けたアジア地区最終予選。緒戦の相手となる北朝鮮戦代表が来日してからは、報道もかなり過熱気味となっている。

北朝鮮代表の合宿地にもTVクルーが大挙して押しかけ、ワイドショーや一般紙でも北朝鮮代表に関する情報が細かに報じられるのは、単にスポーツとしての興味からではない。フランス大会の予選において、UAEやウズベキスタンの練習を追いかけたメディアが皆無に等しかったたことを思い返しても、昨今の社会情勢が日本の北朝鮮に対する関心を異常な迄に高めているという側面は、否定できないだろう。

だが、メディアが散々煽っている一方で、サポーターは実に静かなもの。 会場となるさいたまスタジアム2002では、一昨日より自由席のチケットを購入した人々が早くも列を作っていたが、その数は僅かな警備員で十分に対応できる程度であった。

さいたまスタジアムでは、何日も前から徹夜組が出ることは認められず、今回は月曜日がその解禁日。 とはいえ、7年前の国立競技場周辺に出現したテント村を覚えている者にしてみれば、随分と熱が冷めたように思われるかもしれない。

確かにさいたまスタジアムの方が収容人員は多いが、ゴール裏における指定席というカテゴリー4に当たる席種は、かつて存在しなかった。フランス大会予選時における国立競技場の自由席は、今よりも範囲が広く販売されたチケットの枚数も確実に多いはず。そうした物理的事情に真冬という季節的要因を踏まえても、映像で伝え られる列は、随分と短いものに感じられる。

スタジアムが都内ではなく、立地条件が気軽に足を運べる場所ではないことや週の中日に試合が設定されていることもあり、徹夜組の大量発生は今回なさそうである。

熱心なサポーターがゴール裏の自由席に陣取り、立って声をからせる情景は、すでにお馴染みのもの。 夜を通して並ぶ者たちが減ったとしても、日本代表を応援する熱に翳りが見られる訳ではない。 今回の試合における申し込み延べ人数は26万人に達し、5分の1以下という難関をくぐり抜けたサポーターが集まる。スタンドが熱く燃え盛ることは、 確実だろう。

しかしながら、W杯出場をかけての最後の関門。日本のサポーターは、どのようなスタジアムを演出することになるのだろうか。

日韓W杯を契機にサッカーファンは著しく増加し、スタジアムに行かずともサッカーの虜になった人も少なくない。多くの新しいファンを獲得したことで裾野は広がったが、厳しい戦いを肌身で覚えているのはどの程度の割合か。その答えは、試合当日まで待つ必要がありそうだ。

現代表選手の中でフランス大会の予選を経験したのは、川口と楢崎のみ。ここに中田英が加わったとしても、3人にしかならない。7年前には楢崎が一度もピッチに立っていないことを考えれば、予選の厳しさを体験したのは2人だけとなる。ベンチ登録メンバー18人という枠で捉えれば、18分の3。予選の経験値は、実に17%となる。これと同じく、観衆の中に占める経験値も決して高くはないだろう。

よく「本大会はお祭りだが、予選は戦争。」とも言われるワールドカップ。 ホームゲームの重要性は言うまでもなく、ホーム・アドバンテージを引き出すような雰囲気を作り出すことも重要となる。

とはいえ、前回のW杯にホスト国として出場したために、刃の上で綱渡りをするような試合を経験して来なかったのは、サポーターも同じこと。 アウェーチームに威圧感を与えるような空気を作り出せるのかは、未知数に近い。

記憶にある限り、日本代表のホームゲームにおいて最も緊迫したスタンドが生まれたのは、フランス大会の予選、UAE戦。 中央アジア遠征で崖っ淵に立たされた経緯もあって、試合前から殺伐とした雰囲気が充満していた。

そして、呂比須のゴールも空しくドローに終わった際には、コスタリカの主審がロスタイムをほとんど取らなかったこともあり、マリオGKコーチらが激昂。 アウェー側ゴール裏では、騒然とした様子を撮ろうとしたカメラマンが大きなブーイングを浴びた上、通用口には多数のサポーターが殺到し、警備員と揉み合いになった。 選手のバスには卵が投げられ、放送局のバスに登ってパイプ椅子を投げる輩まで現れたことは、当然のように非難も多かったが、逆にW杯初出場を真剣に願う人が如何に多くなったかを物語る光景でもあった。

フランス予選当時、Jリーグは完全に下火となっていた。1994年のシーズンをピークに1試合当たりの平均観客動員数は下降線を辿り、1万人を割ろうかというところまで落ち込む有様。

代表チームに対する熱も、ドーハ以後に大きなうねりを生み出すには至らず。サポーターは完全に離れて行った。1995年のパラグアイ戦では22,544人、サウジアラビア戦でも37,576人と、国立競技場に大きな空席が目立つことも珍しくはない状態。 そうした傾向は、フランスへの道程が始まっても変わることなく、一次予選のマカオ戦、ネパール戦ではいずれも3万人に届かず。オマーン戦こそチケットは売切れたものの、雨もあって満員とはならなかった。

こうした状況下、ドーハでの無念を覚えていたJ創成期からのサポーターは、熱心に代表を後押しする雰囲気を作ろうとしていた。残暑の残るウズベキスタン戦では、これまでにないほどに大量の紙吹雪が用意され、オマーン戦で起こったようなブーイングも封印された。

そして、UAEでのアウェーゲームをドローで終えると、最大のライバル韓国とのホームゲーム。 この試合から泊り込むサポーターが大量発生したことを覚えている人も多いだろう。 そうなった理由は、当時最終予選と平行して行われていたJリーグのため。 韓国戦前日の国立競技場で、浦和対G大阪が開催されたせいでもあった。

リーグ随一の人気を誇る浦和に、驚異的な身体能力で衝撃を与える活躍を続けていたエムボマを擁するG大阪との対戦は、ナイトゲーム。昼間に近隣での試合を観戦して国立に向かった人も多く、浦和とG大阪の試合が終わる頃には、スタジアムを取り囲む長い列が出来ていた。

当時は日本サッカー協会後援会の会員は自由席のチケットを無条件で手に出来た上、最終予選4試合の通し券も1万セット限定で発売されており、協会側でも集客努力を講じていた。

そして、ショッキングな韓国戦での敗戦を受けて、UAE戦、カザフスタン戦のチケットが同時に発売されると、瞬く間に完売。再び、W杯出場が国民全体の悲願であるかのような報道も増えて行った。

10月のUAE戦では泊り込む人の数が更に増え、朝の段階で隣の絵画館前も人で埋め尽くされるほど今ではすっかり有名になったJ-NETでも、国立競技場を取り囲むように出現したテント村の様子が載せられるようになった。

徹夜組のほとんどが前日からのみだった韓国戦とは違い、UAE戦では2日、3日前から自由席組の並びが激化。 韓国でのアウェーゲームを終えて帰国すると、カザフスタンとの最終決戦を前にした国立競技場では、既に新たなテント村が生まれていた。

文字通りの長蛇の列。並んでいる間に仲間の輪が増え、交代でテントを守った思い出を持つ人も少なくないはず。

当時のサポーターは、ドーハの悲劇を強く心に刻んだ人々が中心。Jリーグブームに乗っただけのファンが消えた後も離れなかったサポーターは、各クラブでコアな層へと変容し、サッカーの火を消すまいと奮闘していた。

韓国戦の応援風景はCFにもなり、カザフスタン戦ではプレーオフ進出を確信する思いを確実にピッチへと伝えていた。国立競技場は日本の聖地としての荘厳さを醸し出し、ホームスタジアムとしての格を十分に備える舞台となった。それでいて、UAE戦では怒りをぶつけることも厭わず、厳しい姿勢を忘れることもなかった。

だが、当時のような戦いの場を感じさせる雰囲気は、ドイツW杯を目指す一次予選で見られることはなかった。親善試合と何ら変わらぬ応援のボルテージ。お祭り騒ぎを味わいに来ただけの空気もあちこちから漂う。 オマーン戦ではロスタイムの歓喜に、内容への不満が相殺され、インド戦ではゴールラッシュにただはしゃぐだけ。消化試合となったシンガポール戦でも、モチベーションの低さがスタンドに伝染していた。

そして、今回。いくら日本国民が一番嫌悪感を覚える国が相手といえども、相手に大きなプレッシャーを感じさせるようなスタジアムを作れるのだろうか。

政治的な軋轢もあって、政府筋からも冷静な対応やフェアな応援を呼びかける旨コメントが出されているが、必要以上に行儀良くすることはない。敵がボールを持っただけでブーイングをするのも良いだろうし、相手のシュートに無反応を決め込むのも悪くない。

敵に気持ちよくプレーさせる必要など全くないし、日本代表の勝利のために後押しとなる流れを四方から作り上げるべきであろう。

政治的な意味合いを含んだバナーは撤去を求められる可能性も強いが、昔から社会情勢や歴史的軋轢を完全に隔絶させた戦いなど存在しない。1982年のスペイン大会では、対戦することがなくともフォークランド紛争の当事国が互いを揶揄した言葉を掲げていたし、今大会の予選でもキプロスという火種を抱えるトルコとギリシアが同組となり、双方の主張がスタンドに見受けられた。

全員が在日である北朝鮮サポーターを刺激するような直接的批判は誉められるものではないが、多少のブラック・ジョークを含んだ挑発くらいは、許されても良いのではないか。

しかしながら、日本のサッカーファンは総じて年齢層が低く、Jリーグ創設以降は、常に若い世代のスポーツとして捉えられている。ゴール裏で元気に飛び跳ねているのは、今も10年前も若年層が中心。日本代表の試合に足を運ぶサポーターは、随分と世代交代が進んでいる。

これは、ある意味自然な現象。ガングロ、厚底ブーツなど女子高生の作り出すブームが3年も持たずして廃れてしまうのと同じく、3年前後でサッカーから離れる層が多いのも確か。

常に厚別競技場を満員にし、札幌ドームでも多くの観客を集めていた北の優等生、札幌もJ2降格以後は、かつてほどの集客力を持たなくなっている。サポーターの熱狂度で常に話題となる浦和にしても、J2降格を機に観客層が入れ替わったと言われている。

7年前から大分トリニティのサポーターだった人はごく僅かだし、今現在、新潟ビッグスワンを埋めている人々の多くは、Jリーグの試合を見たこともなかったはず。

どこのチームでも成績の浮き沈みなどをきっかけとして、観客層の入れ替えが起こっている。 チケット発売日に並んだのは90年代半ばまで。90年代後半から電話予約に忙殺された人も、今では抽選に身を委ね、ネット・オークションを眺める羽目になった。

チケット入手の仕方も様変わりする中、サポーターの中から予選の厳しさを感じさせる空気が生まれて来るのか、些か懐疑的になってしまう。

全席指定の日韓W杯では大いなる盛り上がりを見せたものの、2002年のアルゼンチン戦でゴール裏も自由席にすると、大きな反対運動が勃発。結局、ゴール裏での指定席という席種を新設して自由席を残す方向へと落ち着いた。 気心の知れた仲間が周りにいないと応援が盛り上がらないという声もあるだろうし、応援をリードするグループの傍で声を枯らしたいという意見も聞こえて来る。

だが、自由席存続の要因となった中には、日本のサポーターが世代交代を進めたことによって生じた応援風景の軽さも挙げられよう。いくらサポーター組織が肥大化しても、痛さを感じるほどの雰囲気を作り出す環境に身を置いていなければ、その厳しさは遺伝子として伝わらない。

フランスへ初めて代表チームを送り出す際に生まれた熱き思いは、ドーハがあったからこそ生まれたもの。 サッカーの原体験が日韓W杯という人にとって、W杯予選は完全に未知の世界となるが、上の世代が引っ張って行くことで空気も変わるはず。

クラブへの忠誠心が強く芽生えることで代表への思い入れが薄れ、気持ちが向かない人も多いかもしれない。選手選考、戦術に批判的な人もいるだろう。そうした層が生まれて来ること自体、日本サッカー界の裾野が広がった証明でもあるので、悲観すべき事柄ではないが、冷たい空気の中に刃物のような鋭さを感じる独特の空気が消えてしまうのは、決して良いことではない。

すでに成熟したコアな層が去った訳でもなく、最終予選を通じて経験値の低いサポーターも成長するであろう。わずか3試合しかないホームでの戦い。足を運びたくも叶わなかった多くの人々の声を届ける意味でも、W杯予選に相応しいホームゲームとなることを願いたい。

著者:らいてぃー 

 
 
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