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2005/03/05掲載
【コートジボアールのサッカー】
 
世界各地でドイツを目指した争いが繰り広げられている現在、欧州や南米の予選は、日本にいながらにして見られるゲームも多い。だが、欧州、南米に次ぐ第三勢力として確固たる地位を築いて来たアフリカの試合は、なかなか目にする機会を持てない。

前回の日韓大会で、キャンプ地の中津江村へ到着が遅れたことから話題を集めたカメルーンは、一昨年のコンフェデレーションズ・カップでも準優勝を果たし、今回もアフリカのグループ3で本大会への切符を掴む最有力候補と目されていた。同組には、1990年のW杯経験国エジプトも顔を揃え、カメルーンを追うチームがどこになるのかに焦点が集まっていたが、現在グループ3で首位を走るのは、そのどちらでもない。

エジプトは4位、カメルーンは3位。伏兵のリビアが2位に付け、トップを走るのはコートジボアール。英語ではアイボリー・コースト、日本では直訳になる象牙海岸と呼ばれていた国である。

このところ、深刻な治安の悪化が国際ニュースとなり、かつてはエボラ出血熱の温床でもあると指摘されていた。とはいえ、政治経済全般で語ると西アフリカの優等生に分類されるほどで、ココアやコーヒーなどを輸出産品として安定的な貿易活動を行っている。

人口は約1,600万人と日本の1割程度だが、国土の広さは9割弱。セヌフォ族、バウレ族、グロ族、マンデ族など、60を超える部族から構成され、多数を占める伝統宗教とイスラム教、キリスト教が浸透している点も周辺諸国と似通っている。

首都はヤムスクロと制定されているが、実質的な首都機能は300万以上の人口を抱えるアビジャンに置かれており、国内の政治経済における最大拠点となっている。

古くは幾つかの王国が混在する土地であったが、帝国主義が世界を席巻した時代にフランスが占領。1958年にはフランス共同体に加盟する地域として自治権を持つようになり、1960年8月にコートジボワール共和国として独立した。当然ながら、サッカーが伝えられたのも欧州列強の支配下にあった時代であり、フランス人とイギリス人の入植者によってだった。

1936年には、国内初のサッカークラブが誕生しており、ステラ・アビジャン、アフリカ・スポーツ・ナシオナーレ、スタッド・アビジャンの3チームが同時期に産声を上げた。しばらくは、三すくみの戦いばかりが続いたが、10年以上がたった1948年にASECミモザ・アビジャンが設立され、現在のビッグクラブが全て出揃う。この4つのクラブは、これまで国内のタイトルをあらかた独占しており、今も揺るぎ無い地位を保っている。

正式な国内リーグが生まれたのは、国家独立と同じ1960年。数年後にはカップ戦も開始され、1975年からは優勝チーム同士によるスーパーカップも開催されている。

現在、国内シーズンは12月から8月。システムは2段階方式となっている。まず2地区各8チームによる地域リーグを第一ステージとして、その上位チームによるスーパー・ディビジョンを形成。第二ステージの優勝チームが真の王者となる。

また、各地域のリーグで最下位となったチームは、2部のチームと自動的に入れ替わる。

国内で最高の人気と実績を誇るのが、設立年では他のビッグクラブより新しいASECアビジャン。リーグ制覇はもうじき20回に迫り、カップ戦でも10回以上の栄冠に輝いている。1990年前後の強さは特に語り草となっており、1988年から1994年までの108試合、実に6年もの間リーグ戦では無敗を誇った。ちなみに、1996年に名古屋でプレーしたオリビエもここの出身であった。

これに続くのがアフリカ・スポーツで、リーグ、カップとも二桁の優勝回数を記録している。そして、スタッド・アビジャンとステラ・アビジャンも、それぞれ両手を使って数えるくらいのタイトルは獲得しており、常にこれらのクラブが上位を独占して来た。

この他、ASCブアケ、RCダロアといった地方都市のクラブもタイトルを手にした経験は持つものの、フロックに近いもので継続的な成功を収めるには至っていない。

代表チームの船出は、1962年のセネガル戦。W杯へのエントリーは、1974年の西ドイツ大会予選が初めてであった。オレンジのユニフォームに白いパンツで、ニックネームは象を意味するエレファンツ。

近年では1992年にセネガルで行われたアフリカ・ネイションズ・カップでガーナをPK戦の末に破って初優勝。

アフリカ王者として翌年のアフロ・アジア選手権で来日し、米国W杯アジア最終予選を控えた日本代表と対戦した。試合は延長にカズの決勝ゴールで日本が勝利したが、アフリカ制覇の原動力となった選手は、欧州でプレーするために半分程度しか来日せず、真の実力を見られたとは言い難いものであった。

当時の主力はアフリカ・ナンバーワンGKとも言われたグアメネなど、守備陣に多くのタレントを擁していたが、アメリカ行きのチケットをかけた戦いでは、イエキニらを擁したナイジェリアに得失点差で敗退。新大陸で猛威を振るったナイジェリアの代わりにコートジボアールが出場していても、大きな驚きを与えられたのではないかと言われている。

W杯や五輪本大会への出場経験こそないが、他のアフリカ諸国と同様に若年層での飛躍には著しいものがあり、1997年のU17選手権では3位に入っている。

過去のスター選手は、無敵のASECアビジャンでエースとして君臨したアブドライェ・トラオレが最も有名であろうか。1986年のアフリカ選手権では得点王に輝き、1986年から1996年まで6度の大会に出場。もちろん、初優勝時の主軸である。国を離れてサウジアラビアでもプレーした経歴も持つ。

また、往年のストライカー、ローレン・ポコウも同国の歴史を語る上で欠かせない選手。アフリカ・スポーツとASECアビジャンでプレーし、アフリカ選手権では1968年に6ゴール、1970年には8ゴールと2大会連続で得点王となった。同年は、フランス・フットボール誌が選定するアフリカ最優秀選手の投票で2位にランクされており、アフリカ選手権の歴代通算得点数でもナイジェリアのイェキニを抑え、今もトップに位置している。

現代表チームで著名な選手となると、チェルシーのFWディディエ・ドログバにアーセナルDFコロ・トゥーレが双璧と言えよう。2人とも欧州を代表するトップクラブで十二分な存在感を示しており、各方面からの評価も高い。

また、当然のごとく旧宗主国のフランスでも多くの選手が選手が活躍しており、サンティエンヌのMFディディエ・ゾコラやナントのヤピ・ヤポは、所属クラブでも中核を担うタレント。 ドログバがブレイクしたマルセイユにはCBアブドゥライ・メイテがおり、オーセールではカンガ・アカレやボナベントル・カルーが中盤を構成している。

ブンデスリーガやセリエAにも、コートジボアール人選手は幅広く所属。ベルギーのベベレンには、特に多くのコートジボアール人選手が所属し、一時はチームの半数に迫る勢いだった。

他のアフリカ諸国と同様、平均寿命が短いせいか(46.5歳)、選手の早熟さも際立つものの、数多のタレントを輩出している新興国がドイツの地で新たな衝撃を与える活躍を見せても、何ら不思議ではない。

1982年のカメルーン、1994年のナイジェリア、2002年のセネガルとアフリカ大陸を勝ち抜いてきた国々は、初出場であっても世界に大きな驚きを与えて来た。次は、コートジボアールの番かもしれない。

著者:らいてぃー 

 
 
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