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2005/03/22掲載
【アウェ−への熱】
 
明後日、W杯ドイツ大会アジア地区最終予選で最大のライバルとなるイランとのアウェーゲームを控える日本。ドイツで事前合宿を行っていた代表チームも昨日テヘラン入りし、決戦に備えている。

試合会場となるアザディ・スタジアムに日本代表が立つのは、1989年1月の中東遠征以来、16年ぶりのこと。とはいえ、1999年にジュビロ磐田がエステグラルを破り、アジア王座に就いた際もここで戦っており、藤田や福西にとっては勝手知ったるところ。

それ以前には、日産自動車が1993年のアジア・カップ・ウイナーズ・カップの決勝でピルズィと対戦。見事に栄冠をつかんでいることからも、決して分の悪い場所ではない。

標高が1,300メートルになることから高地対策も必要だと言われているが、通常高地トレーニングが必要になるのは標高1,600メートル以上の土地に行く場合で、マラソンランナーが行う高地トレーニングも2,000メートルの場所で行われるのが普通だと言われている。

ブラジルやアルゼンチンが、エクアドルのキトやボリビアのラパスでの試合に苦しんだ姿を思い出す人もいようが、アンデス山脈にある街とイランでは全く訳が違う。

アザディ・スタジアムの標高は、ラグビーやサッカーの合宿地として有名な菅平高原と同程度。サッカーマガジン誌主催の同好会大会なども長年開催されていることから、菅平でプレーした経験を持つ人も少なくないだろう。

菅平では気候の違いこそ感じるものの、平地と比べて空気の密度差を感じる程ではない。息の上がる時間が早くなったり、慣れない空気に違和感を感じることも多少はあろうが、欧州でプレーする選手が多いイランも条件は同じ。日本に特別不利な環境と言う必要もないだろう。

試合は金曜日。FIFAの定める国際カレンダーでは、主に水曜日と土曜日がインターナショナル・デーとして国際Aマッチの開催日となっているが、それは欧州や南米のキリスト教国が幅を利かせているため。

イスラム教圏の国では金曜日が安息日となるので、当然試合も金曜日に設定されることが多く、大きな大会なども木曜日や金曜日に開会することがほとんど。今回の予選でもイランとバーレーンのホームゲームは、安息日の金曜日かミッドウィークにあたる火曜日になっている。

明日、木曜日の夜には羽田空港からチャーター便が就航し、1,000人単位の日本人サポーターがテヘランに向かう。日本の外務省や在日イラン大使館からは、観戦上の注意事項として、女性サポーターに肌や髪を露出しないことやスタジアム内に持ち込める物などが示された他、入国審査時の問答についても但し書きがついた。

とはいえ、今回のツアーはその多くが0泊3日の強行軍。しかも、JFAのオフィシャルツアーと銘打ったものがほとんどで、一度に多数の日本人が入国することから、厳しい審査は行われないのではないかと推測できる。

また、街中を見て回るにしてもわずかな時間しかなく、団体で行動する率が高いことも加味すれば、トラブルに巻き込まれることも少ないはず。何より、イランは親日派の人々が多い国。一時は日本でも多数のイラン人が見受けられたこともあるように、日本人に対する印象は決して悪くない。

中東諸国の人々は意外なほどフレンドリーで、車中から他のドライバーと目が合った時でも軽く手を振ってくれることも多い。街中で地図を広げていると、すぐに誰かが案内を買って出ようとするなど親切心も広く表に出て来る。

日本人だと見て、イランが勝利するというスコアを指で示して来るようなこともあろうが、むきになって反論しなければ何事も起こることはない。

それにしても、これだけ多くのサポーターが簡単に海を渡るようになったのは、いつの頃からだろうか。欧州のように、電車やバスで隣国に行ける訳でもない島国、日本。だが、これまでも多数のサポーターを韓国やマレーシア、フランスなどに送り込み、アウェーとは思えない大応援団を組織して来た。

Jリーグでの場合でも、多くの仲間がいるホームゲームより、少ない人数で戦うアウェーの方が燃えると言うサポーターは少なくない。それが異国の地でW杯という舞台をかけて戦うのであれば、闘志にも一層火がつくというものであろう。

海外へ行くのに裕福な階層に属する必要もなく、学生でさえアルバイトで容易に資金を調達できる経済大国という環境が、アウェーへの熱を後押しする。

一般的な海外旅行が庶民の間でも普及して行ったのは、1980年代から。新婚旅行先でも宮崎や沖縄、北海道などがメインとされていた時代が、航空会社の熱心なキャンペーンもあってハワイに移り変わると、一気に世界中へ日本人が大挙して押し寄せるようになった。

1980年12月のW杯スペイン大会予選は、香港で行われたこともあり、日本サッカー狂会の主要メンバーを中心にツアーが組まれ、わずかな人々が若き日本の戦いを見守った。

1985年のメキシコ大会予選でも香港や韓国とのアウェーゲームには、日本サッカー狂会や日本のサッカーを盛んにする会の人々が出向き、W杯への夢を追った。

しかしながら、大挙してサポーターが海を渡ったのは、やはりJリーグの発足年に開催された1993年の米国大会予選から。UAEと日本において2セントラル方式で行われた1次予選には、幾つもの旅行会社がツアーを企画。アブダビやドゥバイのスタンドに少なくない青い一団が生まれた。

当時は、未曾有のJリーグ・ブーム。サポーターが歌う日本代表の応援ソングもCD化され、選手だけではなくJリーグ各チームのサポーターにも脚光が当たるほど。TV局が日本代表のイタリア遠征にも着いて行くサポーターを密着取材したり、雑誌が著名なサポーターのインタビュー記事を載せるなど、新たな人気スポーツの誕生を煽っていた。

そんな中で行われたドーハでの最終予選は、JTB、近畿日本ツーリスト、日本旅行、日通旅行といった大手旅行代理店がこぞって応援ツアーを送り出し、ウルトラス御用達のパシフィック・ツアー・システムや古くからJFAとの結びつきが強かった西鉄旅行も多くのサポーターを集めた。

メイン会場であるカリファ・スタジアムには大きな横断幕が幾つも張り出され、統一された手拍子に声を枯らして歌うサポーターの姿は現地の新聞にも幾度となく取り上げられた。

旅行会社対抗のサッカー大会も行われ、奥寺康彦、前田秀樹といった元日本代表選手も参加してサポーターたちを喜ばせていた。

初めの3戦こそ人数もそれ程多くなかったが、第4戦の韓国戦からは申込者が多かったこともあり、エジプト航空が成田とドーハを結ぶ直行便を用意する。(通常は、東南アジアと中東で2度のトランジットが必要。)これが日本のサポーターが初めて航空会社をも動かした最初の事例となり、より多くの人々がドーハの悲劇を体感した。

そして、次にサポーターが海を越えて集結したのは、1996年3月にマレーシアで行われたアトランタ五輪予選。世界への扉を四半世紀ぶりに開く姿を見届けようと、多くのサポーターがシャーアラム・スタジアムに集い、前園のゴールに歓喜し、川口のセーブに酔いしれた。

だが、日本サポーターの数の力が本当に発揮されたのは、何と言っても1997年のフランス大会最終予選から。UAEのザイード・スタジアムやウズベキスタンのパフタコール・スタジアムにも飛行機を乗り継いで声援を送るサポーター。初めて体験するホーム&アウェー方式の最終決戦は、セントラル方式の時とは違って、多くの人数を送り出すには不向きとも思われた。

しかも、UAEとホームで引き分け、後がなくなった日本。そんな崖っ淵に立たされた中でソウルの蚕室スタジアムに向かった日本人は、1万人を超えた。警察だけではなく、軍も出動させた厳戒態勢の警備体制。1階席、2階席ともゴール裏を真っ青に染め上げ、歴史的な大応援団を組織したことは、韓国でも大きな話題となった。

更に、アジア第三代表を決定する戦いが行われるマレーシアの最南端ジョホール・バルでは、凄まじい光景が生まれた。会場となるラルキン・スタジアムには、どこを見渡しても日本人ばかり。テント村でごった返した国立競技場の雰囲気がそのまま移動して来たようで、外国であることを忘れさせるほどの日本社会が出現していた。

日本人の懐を目当てに土産物や食べ物などを売りに来ていた地元の人々も余りの数に圧倒され、始めはマレーシア・リンギットやシンガポール・ドルだけで取引していたものを日本円でもOKとして大儲け。「日本人が行くところに金が落ちる」という言葉を、地で行く世界を作り出した。

2万人以上を収容するスタジアムの9割以上が青くなり、イランにとっては中立地ではなく、完全なるアウェーの状態。日本と重要な試合を戦う国は、国内で開催しない限り、圧倒的にスタンドを支配されると痛切に感じたのではないだろうか。

こうして、代表チームを追いかけて海外まで足を運ぶことが、多くの人にも特別なことではなくなると、翌1998年のフランス本大会には延べ数万人の日本人が一斉に足を運ぶ。

トゥールーズのミニシュパル、ナントのボージョワールでも多数派を占めたのは、日本の青いユニフォーム。それもフランスまで来ていながら、TV画面に声援を送った人が相当数いた上でのこと。チケットの空売りが行われ、主要な旅行代理店が軒並み詐欺にあったことは、アルゼンチン戦やクロアチア戦で多数のチケット難民が出現させただけではなく、ジャパン・マネーにつけ込むもうとする人が如何に多いかを知らしめる結果となった。

これ程、日本のサポーターが熱心に世界中を行脚するようになると、日本代表が真のアウェーゲームを体験するのは稀なことともなって来る。昨年の欧州遠征のように、親善試合ではサポーターも財布の紐を緩めないため、アウェーの空気を感じ取ることにはなるが、公式戦で厳しい環境に立たされた回数は、ごく僅か。

1999年に地元パラグアイと対戦したコパ・アメリカでは、地球の真裏ということもあり、日本サポーターの姿を探すのが難しかったが、2000年のアジア・カップではレバノンと当たることもなく、悠々と戴冠まで漕ぎ着けた。

それが昨年のアジア・カップで、中国から憎悪を露にした扱いを受けたのは、久しぶりの体験。アスンシオンのディフェンソーレス・デル・チャコでは、日本に勝つのは当たり前。ブーイングをするより、パラグアイの応援にしか興味がないという空気が漂っていたが、中国人民は明らかに日本が倒されることを第一に考えているかのような態度であった。

決勝戦を行った北京の工人体育場では、日本大使館の公用車が襲われるなど、国際関係に影響を及ぼすことにもなりかねない蛮行が見過ごされ、異常な環境下で連覇を達成した。日本チームにとってこうした珍しい経験は、必ずドイツへの糧となるのではないだろうか。

アウェーの地でも熱心なサポーターがついている。それも旅慣れたサポーターが。今回渡航する人の中で、初めてパスポートを取った人など少数派であろうし、日本代表の試合を初めて海外で観る人も多数派ではないはず。厳戒なボディチェックや荷物検査もあろうが、旗竿を持ち込んだり、無用な抵抗を見せなければ、日本人が警戒されることも余りない。

しかし、「予選は戦争」とも言われるW杯への険しい道。ドーハではサウジアラビアのサポーターが日本人の乗るバスに石を投げつけ、アブダビではバイクに乗った集団が日本サポーターを煽りに来たこともある。

サッカーはスポーツの一つに過ぎないが、決して友好的な気持ちだけで片付けることが出来る存在ではない。試合展開などによっては、興奮した大観衆が青い集団に矛先を向けることも十分に有り得る話。選手やスタッフだけではなく、応援する側にも周囲に気を配るアンテナが必要となろう。

著者:らいてぃー 

 
 
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