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2005/03/25掲載
【トリニダード・トバゴのサッカー】
 
日本がドイツW杯アジア最終予選を戦う中、かつてない程にライバル国の情報も報道されているが、アジアから5番目の代表国となるべく最後の枠を争うことになる北中米・カリブ海地区予選の様子に触れられることはない。

準決勝リーグを終えて、アジアと同じく2月から最終予選に突入した北中米・カリブ海では、6チームが鎬を削る。3位までが自動的に出場権を獲得。4位のチームが、アジア5位となった国との大陸間プレーオフに回る。

多くのタレントを擁するアメリカと地域最強の座を守り続けるメキシコがが上位2席を占めることは間違いなく、焦点はプレーオフを回避できる3位争い。最有力候補は、日韓W杯にも出場したコスタリカ。その牙城を崩そうと策を練るのがグアテマラ、パナマ、トリニダード・トバゴの3ヶ国となっている。

先月行われた第1戦では、メキシコとアメリカがそれぞれコスタリカとトリニダード・トバゴにアウェーで辛勝。パナマとグアテマラが引き分けるという予想通りのスタートを切った。

その中で、代表チームからの引退を宣言していたドワイト・ヨークが復帰を果たしたトリニダード・トバゴは、コスタリカに続く存在になる可能性を秘めたチームとして注目を集めている。

トリニダード・トバゴ共和国は、カリブ海最南端の小さな島国。トリニダード島とトバゴ島を合わせた面積は千葉県と同じくらいで、総人口はわずかに130万人。

トリニダードは、島にそびえる3つの山から。トバゴという名称は、現地のタバコから名付けられたもの。南米大陸から北米へつながる麻薬の密輸ルートとして悪名が高く、密売組織による事件も頻発。一般人が銃撃戦の巻き添えにあうことも珍しくないと言う。

トリニダード島での治安悪化は特に著しく、近年は殺人事件が急増。誘拐や強盗、強姦などの犯罪も各地で多発している。首都ポート・オブ・スペインのダウンタウンでは、多くの犯罪組織が抗争を繰り返し、麻薬中毒者が昼間から徘徊する場所も少なくない。ターゲットは観光客から政府機関まで幅広く、1990年には武装した過激派組織がクーデターを企てている。

サッカーに目を移すと、協会の設立がカリブ地域ではハイチに次いで2番目に早く、1908年のこと。イギリスの植民地だったことから、英国人の船員がサッカーを持ち込み、20世紀初頭から国内リーグも行われていた。

しかし、1962年にイギリスから独立するまではFIFAにも加盟しておらず、国際舞台へ登場することもなかった。

1963年にFIFAの一員となり、1965年には初めてW杯予選にエントリー。スリナムとのホームゲームには勝ったものの、コスタリカには惨敗し、苦い初挑戦となった。

だが、1974年の西ドイツ大会予選では、メキシコやグアテマラを撃破。W杯への切符をつかんだハイチには及ばなかったものの、2ポイント差で2位に入る健闘を見せた。

更に1989年のイタリア大会予選では、コスタリカが独走した後の2位争いに加わり、最終戦のホームゲームで米国に勝てば自力でのW杯初出場が決まる状況にあったが、ポール・カリギュリのゴールによって0-1で惜敗。逆転での悲願成就は夢と消えた。

この時、国営のヘイズリー・クローフォード・スタジアムに集まった観衆は、収容能力を大きく超えた4万人。サポーターたちは、自国の敗戦に暴徒と化すこともなく、まずはW杯への切符を掴んだ米国代表チームへ拍手を送り、更には涙に暮れて一度は控え室に向かった選手たちが再び姿を見せると、割れんばかりの大歓声と拍手で19ヶ月にも及ぶW杯への挑戦を讃えた。フェアプレーの精神に満ちた人々の素晴らしい態度。これは、同年にFIFAがフェアプレー賞を送ることで永遠に刻まれることとなった。

フル代表が世界へあと一歩と迫ったことで、次世代に及ぼした影響は非常に大きかった。1991年のワールド・ユースには、見事地区予選を突破して初出場。結果はグループリーグ最下位に終わったものの、GKクレイトン・インス、MFアンガス・イブそしてFWドワイト・ヨークという今も代表を支える若きタレントが世界との距離を測った。

第一次黄金世代とも言うべき存在であったイタリア大会予選時のチーム。ここに新世代の才能がプラスされたことは、地域での大きなアドバンテージとなる。1989年に始まったカリビアン・ネイションズ・カップでは、初代王者の座に就くと、以後、1992年、1994年、1995年、1996年、1997年、1999年と優勝を重ね、カリブ海地域でも安定した強豪へと成長する。1995年はFIFAのムーバー・オブ・ジ・イヤー賞において、ジャマイカに次ぐ第2位に入る栄誉も戴いた。

とはいえ、自国から輩出した北中米カリブ海サッカー連盟(CONCACAF)の会長、ジャック・ワーナーが創設したゴールド・カップや五輪予選でもメキシコやアメリカの牙城を揺るがすことは出来ず。コスタリカやジャマイカなどがW杯での勝利を挙げる一方で、どの年代も世界への切符を掴むには至らぬまま。

2001年にはホスト国としてU17世界選手権を開催したものの、ブラジル、オーストラリア、クロアチアが揃うグループに入り、1勝も挙げられずに最下位へと沈んだ。

しかしながら、現在のトリニダード・トバゴが、着実に右肩上がりで成長を続けていることは確か。1999年にはプロリーグ(PFL)が創設されて国内の環境も整備され、今では代表選手の多くが海外でプレーしている。

元々英国の支配下にあったことから、19世紀のうちにサッカーが伝わったと言われる国。1908年にはすでにアマチュア・リーグが行われた記録が残っており、翌1909年には、ボナンザ・カップというリーグ戦とは別個の大会も開かれていた。初期の強豪はシャムロックやカジュアルズ、クライズデイルといった辺りで、いずれも首都ポート・オブ・スペインのチーム。

その後、徐々に参加チームを増やして行ったことで、1920年代からはトリニダード島全土にチームが生まれるようになり、リーグ戦の他に4つのカップ戦が乱立する程の盛況を誇った。

1950年代からはメイプル、マルバーンの2強が圧倒的権勢を誇ってほとんどのタイトルを独占。これにスポルティングやシャムロック、UBOTがかろうじて続く程度という勢力地図。そうした流れが変わったのは、1960年半ばから。公務員によって組織されたレジメントが台頭し、1970年代からは防衛軍(ディフェンス・フォース)と警察のチームが新たな主役となって行く。

ゴールドのユニフォームで親しまれる防衛軍は、今も自国のトップチームを抱える存在。1978年のCONCACAFチャンピオンズ・カップでは、メキシコのウニベルシダ・グアダラハラと優勝を分け合い、1985年には単独での栄冠にも輝いている。また、警察も1991年のCONCACAFチャンピオンズ・カップで準優勝しており、国際的な知名度を得たチーム。

1980年代までは、完全なアマチュア・リーグしか存在しなかったが、1991年にカリブ・ナショナル・リーグとして再編され、更に1996年からは4シーズンに渡ってセミプロリーグと銘打っての戦いが続いていた。

トップリーグのチーム数は時代により上下したが、12クラブで運営された期間は長く、Jリーグと同じくVゴールやPK戦を導入していた時期もあった。

そして、1999年。ついにトリニダード・トバゴにもプロリーグ(PFL)が創設され、新たな時代を築いていくこととなった。

当初の参加チームは防衛軍にジョー・パブリック、警察、フットゴフ、ポイント・フォーティン・シビック・センター、ドクズ・ケルワラース、Wコネクション、CLファイナンシャル・サンファン・ヤブロテの8チーム。

各チームはホームスタジアムを確保し、16人以上のプロ契約選手や監督、フィジオセラピストを保有し、選手には月2,000ドルを最低ラインとして保証しなければならないとされた。

だが、翌2000年にはフットゴフとポイント・フォーティン・シビック・センターの2チームが、財政的な負担に耐え切れずに脱退。カレドニアAIAとアリマ・ファイアが代わりに加盟した。

現在では、かつて隆盛を誇った警察チームなどが降格し、新たにスターワールド・ストライカーズ、サウスウエスト・ドリラーズ、トバゴ・ユナイテッドがトップリーグでプレーしている。

ただ、国内組で代表に名を連ねるのは、防衛軍のDFアントン・ピエールやジョー・パブリックのMFデレク・キング、DFマーロン・ロハスに代表チームの主将も務めるアリマ・ファイアのMFデンシル・セオボルドなど少数派。

今週末、グアテマラやコスタリカとの対戦を控えた中、米国マイアミでの事前合宿に召集した20名のうち、13名が海外でプレーする選手。英国の植民地だったことから公用語は英語。そうした環境もあってブリテン島や米国でプレーする選手が多くなっている。

トリニダード・トバゴで最も著名な選手は、言うまでもなくマンチェスター・Uで欧州チャンピオンに輝き、アンディ・コールとの2トップで欧州を席巻したFWドワイト・ヨーク(現バーミンガム)。2001年の日韓W杯予選で敗退した後、代表からの引退を宣言していたが、最終予選に進出したことで翻意。監督や国民からのラブコールに応えて再び赤いユニフォームを身にまとった。

類稀なるゴールへの嗅覚と、高い戦術眼で敵の急所を突くセンスは、正に超一流。かつてのような爆発力が影を潜めた分、ゴール近くでの仕事に専念している。

また、ポーツマスのGKシャカ・ヒスロップも日本で知られている一人。ロンドン生まれでイングランドU21代表に選ばれた経験もあり、ニューカッスルやウエストハムでもレギュラーとしてプレー。高い運動能力を持った守護神であり、堅実さのあるキーピングが売り。移籍当初は出場機会もあった川口能活が、ベンチ以下へと追いやられたのは、ヒスロップの存在があったから。

そして、コベントリーのストライカー、スターン・ジョンはここまでの予選で計6ゴールを挙げており、チームのトップ・スコアラー。昨季まではバーミンガムに所属しており、プレミアリーグの空気も知る。

他に、サブのGKクレイトン・インスもイングランドのクルーに所属する選手。DFラインに目を移しても、ケンウィン・ジョーンズはサウサンプトン、ブレント・サンチョはダンディー。それに、マービン・アンドリュースは、スコットランドの巨人、グラスゴー・レンジャースでプレーしている。

中盤では、1991年のWYメンバーで、イングランドのチェスター・CなどでプレーしたベテランMFアンガス・イブが精神的支柱。長く主将を務めたMFアンソニー・ラウガイアーは、ハイバーニアンやポートベイル、レディングで過ごした後、今は中国リーグの南京に籍を置いている。それに、今季より横浜FCに加入したMFシルビオ・スパンは、U20代表とU23代表でキャプテンを務めていた選手であり、ペルージャにも在籍した経験を持つ。

最前線ではヨークとジョンの新旧エースが不動の地位を得ているのだが、MLSの選手たちがベンチに控える。FWスコット・シーリーはカンザス・シティ・ウィザーズ。FWコーネル・グレンは、ダラスでプレー。他にダンディー・UのFWジェイソン・スコットランドは、昨年の韓国戦でゴールを決めており、決して層が薄い訳ではない。

代表チームのバーティル・セント・クレア監督は、超の付く現実主義者。経験豊富なメキシコ、アメリカ、コスタリカの一角を崩し、プレーオフを回避出来る3位以内を狙うには、グアテマラとパナマから確実に勝点3を奪い、3強とのホームゲームでドローに持ち込むことが重要だという認識を変えることはない。

最新のFIFAランキングでは60位。すぐ上にはオーストラリアやオマーン、中国などが並んでいる。アジアで5位となるチームとの実力差は無きに等しいものと言えるだろう。

フランスではジャマイカが日本に勝ち、コスタリカも日本のホームで引き分けたように、北中米カリブ海のレベルは決して低くはない。どこの国が出て来るにしても、アジアとの大陸間プレーオフは、拮抗した試合となるのではないか。

著者:らいてぃー 

 
 
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