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2005/09/20掲載
【グアテマラのサッカー】
 
日本の吉田主審が笛を吹き、前代未聞の仕切り直しとなったW杯アジア地区予選のプレーオフ。
 ウズベキスタンとバーレーン。まだどちらになるかは分からないが、その勝者が次に対戦するのは、北中米・カリブ海地区の
4位チーム。
 最後の関門は、どちらにとっても決して楽なものではないだろう。

 そして、現在のところ北中米・カリブ海地区で
4位につけているのは、中米のグアテマラ。今月頭、プレーオフ圏内を争うトリニダード&トバゴとのアウェイ・ゲームでは競り負けたものの、既に本大会への切符を手にした米国からは貴重な勝点1をもぎ取り、足踏みをしたライバルに先んじている。

北中米・カリブ海地区最終予選
       数
勝 分   得 失 
メキシコ
     8  6  1  1  16  5  19
アメリカ    8  6  1  1  14  3  19
コスタリカ   8  4  1  3  11  11 13
グアテマラ  8  2  2  4  11  12  8
トリニダード 8  2  1  5  7  14  7
パナマ    8  0  2  6  4  18  2

<残り試合>
10/08 パナマ - トリニダード&トバゴ
10/08 メキシコ - グアテマラ
10/08 コスタリカ - アメリカ

10/12 トリニダード&トバゴ - メキシコ
10/12 アメリカ - パナマ
10/12 グアテマラ - コスタリカ

 残るカードは、メキシコとコスタリカ。ライバルのトリニダード&トバゴが格下のパナマとの対戦を残していることを考えると、決して楽な道のりではないだろう。

 最終戦で当たるコスタリカが先にアメリカに勝利し、
W杯出場を決めていれば良いのだが、もし勝点差が2つに縮まった状況で当たるとなれば、トリニダード&トバゴが漁夫の利をさらってしまう可能性も大きくなる。

 太古の時代にはマヤ文明によって栄え、アメリカ大陸有数の都市国家が成立していたグアテマラ。
 北はメキシコ、南はエルサルバドルやホンジュラスと国境を接し、面積はカリブ海の大国キューバと同程度。

 東京都の人口と変わらぬ国民は、先住民の比率が高く、黒人選手も少なくないカリブ海地域の国々と違い、ラディーノと呼ばれる混血と人口を二分する。

 
16世紀からスペインによる支配を受け、19世紀初頭に独立。
1838年、グアテマラ共和国を成立させた。

 グアテマラという国名は、原住民の言葉から来ており、「木の沢山あるところ」という意味。
 紀元前から飲料として親しまれていたカカオから作るコーヒーやバナナなどを主要輸出品目とし、様々な加工製品を輸入する貿易形態は、貧困の要因とも指摘され、昔から大きな不満や軋轢を生んで来た。

 そのため、親米政権に対する反発から、
30年以上に渡る内戦も経験。
 中米最後のゲリラ闘争に幕が引かれたのは、
1996年も末になってからであった。

 そのグアテマラに英国産のサッカーが入って来たのは、
20世紀初頭と言われるが、古代にコパン王朝(ホンジュラス)の衛星都市として支配を受けていたキリグア(グアテマラ)が独立を果たしたのは、何とサッカーのおかげ。
 勿論、現代のルールから程遠いものであったとはいえ、キリグアの遺跡からは、その戦いがフットボールに分類される競技であったことを示す石碑などが見つかっている。

 グアテマラ・サッカー協会の創設は、
1919年。国内選手権も、この年に始まっており、1940年代からは首都グアテマラ・シティに本拠を構える3強の時代に突入する。

 ムニシパル、アウロラ、コムニカシオネス。長くこの
3チームが鎬を削り、グアテマラのサッカー界を牽引して来た。

 
1936年に設立されたディポルティボ・ムニシパルは、赤いユニフォームからロホスと呼ばれており、FWフアン・カルロス・プラタやベテランのMFフレディ・ガルシアなど、現在も多くの代表選手を輩出している。

 
1974年のCONCACAFチャンピオンズ杯では、スリナムのトランスバールを2戦合計4-2で破って優勝しており、国際的な知名度も高い。
 
1998年の中央アメリカ大会は、コスタリカのサプリサに敗れて準優勝に終わったものの、当時のチームからカルロス・ルイス、ギジェルモ・ラミレスという2人のMLSで活躍する選手を産み出した。

 オーロラを意味するアウロラは、
1945年の創立。1960年代に黄金期を迎え、1994年のCONCACAFカップ・ウイナーズ・カップではメキシコのネカサに敗れて準優勝という実績を持つ。
 他の
2強とは異なり、国内最大のスタジアム、マテオ・フローレスを使用せず、エスタディオ・デ・エヘルシトを本拠とするためか、今は斜陽の状態に陥っている。

 そして、
3強の中で最も歴史の浅いコムニカシオネスFCは、1950年に誕生。リーグ優勝は20回以上を数え、3連覇も3度経験している。
 
CONCACAFチャンピオンズ・カップでは3度の決勝進出を果たしており、現代表チームにもFWドワイト・ペサロッシなど半数近い選手を送り込む。
 クリーム色のユニフォームを着用していることから、クレマスという通称で親しまれている。

 他には、複数の代表選手を抱えるコバンに、近年、急速に力をつけて来たスチテペケス、シェラフといったあたりが
1部リーグを構成するクラブ。

 
1991年よりカップ戦も全国規模で整備され、国内リーグはプロ化へ。
1部リーグは10チームで構成され、前期、後期に分かれた2シーズン制を採用している。
 但し、優勝決定へのプロセスは複雑で、ホーム・アウェー方式によるリーグ戦を終えた上で、上位
2チームをシードした形でノックアウト方式のトーナメントに入る。
 こうして決定した優勝チームが前期と後期で異なった場合のみ、真の年間王者を決定するプレーオフが実施される。

 また、下位に沈んだチームには、降格チームを決定するリーグ戦が別途設けられており、上位陣とは全く違った争いを繰り広げる。
 これは、
1部よりチーム数が多い2部リーグでも同じ方式が採られており、リーガ・デ・アスセンソと呼ばれる昇格争いとリーガ・デ・ディスセンソという名の残留争いのリーグ戦に途中で枝分かれして行く。

 一方、
1946年にFIFA1961年にCONCACAFへと加盟したグアテマラであったが、国際舞台での活躍は難しく、W杯やワールドユースに出場した経験もない。

 地域レベルでは、
1967年のCONCACAF選手権に優勝したことや、1969年の同大会でコスタリカに敗れて準優勝した実績を持つとはいえ、誇れる実績は、主に五輪でのものとなっている。

 グアテマラは、
1968年のメキシコから始まり、1976年のモントリオール、1988年のソウルと、過去3度の大会に出場。
 中でも、日本が銅メダルを獲得したメキシコ大会では、ベスト
8進出という好結果を残している。

 メキシコ五輪本大会の参加チームは
16。絶対的な差があるとされたメキシコがホスト国として予選を免除されたため、エルサルバドルと共に予選を勝ち抜いたグアテマラは、チェコスロバキア、ブルガリア、タイと同組に入りながらも、2位でグループリーグを通過。
 準々決勝で優勝候補筆頭のハンガリーと対戦した。

 グアテマラは、戦前の予想を覆して大健闘。
 準決勝では日本を
5-0で粉砕し、決勝でもブルガリアを4-1で一蹴したハンガリーと互角に渡り合い、1ゴールしか許さない惜敗に持ち込んだ。

 この時のグアテマラは、組み分けの妙にさえ恵まれれば、メダル獲得も
夢ではなかったものと評されている。

 
W杯予選に参加したのは、1958年スウェーデン大会の予選からで、初めて最終予選まで駒を進めたのは、1974年の西ドイツ大会予選。
 以後、計
4度最終予選まで辿り着いているが、予選突破が現実味を帯びるには至っていない。

 それでも、国内で最も盛んなスポーツであるサッカーは、常に大きな関心を集めており、人々の熱狂を生んで来た。
 但し、国民の熱意が悪い方に転がった事例もあり、
199610月にはW杯仏大会予選のコスタリカ戦で、両国のサポーター同士の争いから死者80名を出す大惨事を引き起こしている。

 国際試合が行われるのは、
5万人を収容する首都グアテマラ・シティの国営スタジアム、マテオ・フローレス。
 クレマスとムニシパルが本拠地にしている他、大きな試合は、例外なくここで開催される。
 また、クレマスとムニシパルの戦いは、グアテマラのクラシコと呼ばれ、毎回多くの観客を集めている。

 グアテマラ代表のチームカラーは、上が青で下が白という国旗と全く同じ配色。
 薄めの青は太平洋とカリブ海からとられたもので、「正義」と「誠実」を表し、白は「清純と平和」を意味するという。

 代表チームを率いるのは、ホンジュラス人のラモン・マラディアガ監督。
 大型選手がいないこともあり、ショートパスをつないでからスピードに乗った攻撃を仕掛けるスタイルを徹底させて戦って来た。

 そして、グアテマラのエースとして君臨するのが、
MSLのダラス・バーンでプレーするカルロス・ルイス。
 今予選では、既に
8ゴールを挙げて大きな存在感を示している。

 ロサンゼルス・ギャラクシー時代の、
2003年、2004年と2年連続でMLSの得点王に輝き、リーグのMVPにも選ばれた経歴を持つ。

 身長は
170センチと小柄ながら、スピード豊かな突破を武器として高い決定力を備えストライカーである。
 リトル・フィッシュの愛称でも知られており、
12歳でムニシパルのユース組織に入り、16歳でトップデビューを果たした逸材。
 
2000年には短期間であったが、ギリシアのPASイオアニアにも籍を置いていた。

 そして、もう一人の国外組が、ロサンゼルス・ギャラクシーに所属する
MFで、代表チームの主将を務めるギジェルモ・ラミレス。
 彼もカルロス・ルイスと同じムニシパルで育ち、ギリシアやメキシコでもプレーした経験がある。
 ムニシパル時代には
80ゴール以上を記録した攻撃的MFで、チームの核として欠かせない存在となっている。

 現在の
FIFAランキングは、59位。国内のレベルは決して高くないと、マラディアガ監督も認めており、実力的には北中米カリブ海の予選を通過しても、アジア勢に勝てるかどうかは未知数となろう。

 だが、本当ならば、グアテマラは今予選を戦うことが出来ることだけでも幸運だったのかもしれない。

 
20041月、国際サッカー連盟は、政府がグアテマラ連盟を管理下に置いて役員らを締め出した事態に対し、資格停止処分を科していた。
 政府の介入を許したことで、代表チームだけではなく、クラブチームにも国際試合への参加禁止が通達され、
W杯予選から排除される危険さえあった。

 幸い、処分はごく短期間のうちに解除となったが、同年
3月には、更なる衝撃が襲う。
 代表の
GKダニー・オルティス(ムニシパル)が、国内リーグの試合中に相手選手との衝突から意識を失い、命を落とすことに。
 ピッチ内外での大きな事件に、国民にも大きな動揺が走った。

 ライバルとなるトリニダード&トバゴは、ドワイト・ヨーク(シドニー)やシャカ・ヒスロップ(ウエストハム)などのベテランを呼び戻すだけではなく、ウエストハムのプレミアシップ復帰に貢献した
FWボビー・サモラにも
代表入りを要請している。

 かつてのジャマイカがそうであったように、イングランドでプレーする選手を帰化させる戦略が間に合うかは分からないが、予想を上回るチーム力を発揮しているグアテマラがアジアとのプレーオフに行ける可能性は決して低くない。

 最終戦はホームゲーム。エクアドルと同じく「
Si, Se puede(やればできる)」という声がつんざくように響き渡る中、標高1,500メートルという地理的条件も優位に働くだろう。グアテマラの悲願達成は、成るのだろうか。

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著者:らいてぃー 

 
 
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