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2008/04/08掲載
【カーディフ・シティ】
 
準決勝に残ったトップリーグのクラブは僅かに一つだけ。1908年以来、実に100年ぶりとなる珍事が起こった今年のイングランドFA杯。

 先にプレミアリーグ勢として唯一勝ち残っていたポーツマスが79年ぶりに決勝への切符を手にしていたが、チャンピオンシップ(2部)同士の対戦を制してウェンブリー・スタジアムで再度戦う栄誉が与えられたのは、こちらも81年ぶりという決勝の舞台に立つカーディフ・シティに決まった。

 準決勝に残っていたのはプレミアリーグのポーツマス、2部に相当するチャンピオンシップに
所属するウェスト・ブロムウッチ・アルビオン、バーンズリー、そしてカーディフ・シティ。
 この中でウストブロムとバーンズリーはプレミアリーグに在籍した経験を持つクラブであるが、カーディフがトップリーグにいたのは半世紀も前のこと。
 しかも、僅か10年前にはフットボール・リーグの底辺にあたる4部に沈んでいた程である。

 それでも、このカーディフには1927年にイングランド以外のクラブとして史上唯一FA杯を掲げた栄光の歴史がある。

 創設は1899年。リバーサイド・クリケット・クラブのメンバーが冬季に行うスポーツとしてサッカーを選び、チームを結成した。
 翌年から地元カーディフのリーグに参加したリバーサイドAFCは、1905年にカーディフ・シティ
と名称を変更しようとしたが、すぐには市側から認められず。
カーディフ・シティとして活動を始めるのは、1907年まで待たねばならなかった。

 その後、1920年に2部リーグに加盟を果たす際には、当時ホームとしていたソフィア・ガーデンズ・グラウンドが、リーグを開催するのに十分な施設を備えていなかったために一旦は却下されてしまうものの、他の競技場を間借りすることでイングランドのリーグへと足を踏み入れる。

 すると、初めて主戦場をイングランドに移した1920-21年シーズンに、いきなり2位となって1部への昇格を決める。
 翌季は、初めてのトップリーグに臆することなく4位という好位置につけると、昇格4年目の1923-24年シーズンにはハダーズフィールドと壮絶な優勝争いを繰り広げた上で2位となった。

 この時のカーディフは、優勝したハダーズフィールドと同じ57ポイントを獲得。当時採用されていたゴール・アベレイジによって戴冠を阻まれた訳だが、現在のように得失点差による順位決定が行われていたなら、カーディフが優勝していた。(*参照:
ゴール・アベレイジ

 しかも、カーディフは最終節で後半にPKを失敗。それが決まってさえすれば、ゴール・アベレイジのおいてもハダーズフィールドを上回っていたという実に惜しい結果であった。

 とはいえ、リーグでも屈指の強豪として認知されるようになったカーディフは、1925年に初めてFA杯決勝にも進出。この時は過去3度の優勝経験を持つ強豪シェフィールド・ユナイテッドに0-1で惜敗した。

 そして、1927年。2年前の雪辱を期したチームは再びFA杯決勝に駒を進めると、今度はアーセナルを1-0で撃破し、悲願の初タイトルを獲得した。

 この時の主力は、現在でもクラブ最多ゴールの記録を持つレン・デイビースやFA杯決勝でゴールを決めたヒューイ・ファーガソンといった面々。
 彼らの活躍で数ヵ月後のチャリティ・シールドでもコリンシャンズを破ったカーディフは、再度リーグ制覇に向けて奮闘していたが、栄光のシーズンから僅か2年後の1929年にはリーグ最下位に沈み、2部へと戦いの場を移すこととなった。

 原因は至って明白だった。イングランドに旋風を巻き起こした世代が衰えを隠せなくなると、必然的にチーム力は低下。
 サッカーよりもラグビーが盛んな土地柄もあいまって、ウェールズでは運動能力が高い選手が十分に確保できない点等がネックとなり、弱体化は避けられなかった。

 一旦、2部に落ちてしまうと、転落の加速度は増すばかり。2部での2年目には、再度の降格という憂き目に遭い、南部の3部リーグへと落ちてしまう。

 その後、カーディフが再び1部まで這い上がるには、第二次大戦後の1952年まで20年以上を要することとなった。

 戦後間もないカーディフを代表した選手として有名なのが、タックルの王様と評されたアルフ・シャーウッド。
 ウェールズ代表として42度のキャップ数を刻んだフルバックは、あのスタンリー・マシューズを完璧に封じ込め、ウェールズに勝利をもたらしたことでもよく知られている。

 1部昇格と同時に加入したシャーウッドは、1956年にニューポート・カウンティへ去るまで守備陣の中心として活躍し、クラブの1部定着に尽力した。

 だが、歴史は繰り返す。トップリーグでの戦いを維持してきた選手たちが入れ替わるべき時期を迎えると、やはり戦力低下は否めず。
 1956年にシャーウッドと共に1部での生活を終ると、1960年にもう一度だけ1部へ帰って来るが、それも僅かなひと時。
 2シーズンでトップフライトを諦めることとなり、以後は下部リーグでの暮らしが常態となってしまった。

 そんな中でも、カーディフが陽の目を見る機会は完全に失われた訳ではない。ウェールズのクラブであるがゆえ、ウェールズ杯にも参加していたカーディフは、たびたびカップ・チャンピオンとなり、欧州カップ・ウィナーズ・カップに参加していた。

 まず1964-65年シーズンに準々決勝まで進出、2戦合計2-3という僅差でレアル・サラゴサに苦杯をなめると。翌1965-66年には準決勝まで進み、ハンブルガーSVと対戦。ここでも2戦合計3-4という接戦を演じて欧州にその名を馳せた。

 こうした成功を導いたのが、当時の監督ジミー・スカウラー。
 ポーツマスやニューカッスルで活躍した元スコットランド代表のハード・タックラーは、1964年にカーディフの監督に就任すると、チームにカップ戦での強さを植え付け、欧州の舞台だけではなく1965-66年にはイングランドのリーグ・カップでも準決勝まで駒を進めている。

 その後、UEFAの規約改正によってウェールズとイングランド、双方の協会が主催するカップ戦に出場して欧州への道を切り開くことはできなくなってしまい、リーグでも下位に属する2つのテーブルが主戦場となっていた20世紀のカーディフ。彼らが最後に最下層のリーグを抜け出たのは、21世紀の声を聞いてからのことだった。

 まず2001年に2位でディビジョン2(3部)へ昇格、それから2シーズンをかけてプレーオフに辿り着き、2003年にディビジョン1(2部)へ昇格。以後は、悲願のプレミアリーグを目指せるチャンピオンシップ(2部)での戦いを続けている。

 2002年から2005年まではチャールトンやミドルスブラでも結果を出した経験を持つレニー・ローレンス監督が率いていたチームは、2005年からサウサンプトンを幾度も降格の危機から救い、ウルブスをプレミアに導いた実績を持つデイブ・ジョーンズ監督を招聘。着実な進歩を続けている。

 そして、現在。カーディフ・シティには、日本でも良く知られた選手が複数在籍している。

 まず10番を背負い、腕章を巻いているのが、リーズ・Uで欧州の舞台も経験した元アイルランド代表のMFステファン・マクファイル。
 攻撃陣には2001年のプレミアリーグ得点王でチェルシーやミドルスブラでの活躍も記憶に新しい元オランダ代表のFWジミー・フロイト・ハッセルバインクや2002年のW杯日韓大会でイングランド代表のレギュラーとしてプレーしたトレヴァー・シンクレアがいる他、同じくW杯経験者のロビー・ファウラーといったビッグネームまで顔を揃えており、ネームバリューではチャンピオンシップの中でもトップクラスの陣容を誇る。

 しかしながら、カーディフはウェールズのアイデンティーに支えられたチーム。彼らのようなスター選手よりも、準決勝で貴重な決勝弾を決めた売り出し中のMFジョー・リドリーやMFポール・パリーのようなウェールズ代表のユニフォームにも袖を通す選手の方が、サポーターから多くの寵愛を受けている。

 また、17歳にしてU21ウェールズ代表に名を連ねる新鋭MFアーロン・ラムゼーにはリバプールやエバートンといったクラブからもオファーが届いているというが、サポーターは自前のスター候補生と共にトップ・フライトを実現することを夢見ているのではないか。

 それでも、上を目指すには、やはりウェールズの血に拘ってばかりはいられない。
 小粒な駒をやりくりする巧さには定評があるジョーンズ監督は、MFガビン・レェやDFケビン・マクノートン、FWスティーブン・トンプソンといったスコットランド代表経験を持つ選手たちやイングランドU21代表の主軸となっているMFピーター・ウィッティンガム、北アイルランド代表DFトニー・カパルディらのような英国産の選手を中心にしてチームを構成している。

 外国人選手といえば、オランダ人のハッセルバイクとCBグレン・ルーベンス、それに正GKマイケル・オークスの怪我によりブラックバーンより借りて来たフィンランド代表GKペテル・エンケルマンくらいであり、チームの半数近くが外国籍選手に占められているポーツマスとは雲泥の差となっている。

 愛称はブルーバーズ(青い鳥)。その名の通りチームカラーはポーツマスと同じ青色であるため、決勝戦ではどちらかがアウェーキットを身にまとうこととなるが、今季のウェンブリーでの試合がFA杯決勝戦を最後とはしたくないはず。

 現在、カーディフはチャンピオンシップで13位ながらも、プレーオフ圏内にいる6位クリスタル・パレスより消化試合が2つ少ない中で勝点6差にある。
 ライバルは少なくないものの、上位同士が潰し合う対戦も多く残っているため、十分にプレーオフを狙える可能性がある。

 FA杯とプレーオフを合わせて1シーズンに3度もウェンブリーに立つことを選手たちも現実的な目標としていることだろう。

 ホーム・スタジアムは、全シートがチームカラー一色に塗られているニニアン・パーク。
現在の収容人員は20,376人であるが、1961年のウェールズ対イングランドの試合には、6万人以上が詰め掛けたという記録も残っており、当時の名残である立見席も一部現存する。

 但し、100年の月日を刻んだニニアンパークでの戦いは来季が最後。
来年5月には2万5,000人収容のニュー・カーディフ・スタジアムが完成し、ラグビーの名門カーディフ・ブルーズと共有して行くことが決定している。

 今季、カーディフがプレミアリーグへの道を切り拓けば、ウェールズのクラブとして初めてとなるだけでなく、フラム以来久しぶりにテラスを持つスタジアムでのプレミアリーグ開催も実現することとなる。

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著者:らいてぃー 

 
 
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