サー・スタンリー・マシューズ
先週水曜日、サッカー界で初めてナイトの爵位を与えられ、初代の欧州年間最優秀選手
としても知られるスタンリー・マシューズ卿が亡くなった(享年85歳)。同日ウェンブリーで行われたアルゼンチンとの親善試合では、試合前に黙とうが捧げられ、
イングランド代表は喪章を付けて試合に臨んだ。 週末の国内リーグの全戦でも、同様の
措置が取られ、マシューズの功績にサッカーに関わる全ての者が敬意を表した。1915年2月1日、ストーク生まれ。 14歳の時に地元ストーク・シティのクラブオフィスの
アルバイトとして雇われたのが、キャリアの始まり。 そして、1932年3月19日、17歳の
時にバリーとのアウェイゲームでデビュー。 希代の右ウイングは「サソリ」と呼ばれた巧みな
ドリブルで注目を集め、19歳の時にはイングランド代表に選ばれる。 マジックと言われた
そのプレーの数々は、世界中のプレイヤーの教本となるものであった。32歳でブラックプールに移籍し、ボルトンワンダラーズと闘った1953年のFA杯決勝は、
「マシューズ・ファイナル」と呼ばれている。 1−3とリードされ、残り22分となった
ブラックプールは、マシューズの3ゴールで栄冠を勝ち取り、FA杯史上最も劇的な試合として
今も語り継がれている。 その後、古巣ストーク・シティに戻り、1965年2月6日に最後の
試合を迎えた時には、50歳となっていた。 このマシューズの記録は2度と破られることは
ないだろう。リーグ通算698試合出場で、71ゴール。 イングランド代表には23年間に渡り名を連ね、
54キャップを獲得。 11ゴール。 1948、1963年にはFA年間最優秀選手、1956年には
初代のバロン・ドールを獲得している。最後にマシューズの逝去を悼む人達のコメントを紹介したい。 ボビー・チャールトン(同じく
サーの称号を持つ)「我々は偉大なプレイヤーを失った。 当時のTV技術が今ほどでなかった
ことが残念でならない。 誰もが50歳を過ぎたら彼が本物の天才だと分かるだろう。」
マーティン・ピータース
「彼に何度か会うことができただけでもわたしは幸運だった。これはイングランドサッカーの
ー時代の終焉を意味するものだ。 マシューズは生きる伝説だったのだから。」ペレ
「サッカーをどうプレイすべきものなのかを教えてくれたのが彼だった。」ガリー・リネカー
「真のジェントルマンで、イングランドサッカーそのものだった。 いつも愛想よくて、親しみ
やすく、謙虚な方だった。」トニー・ブレアー英首相
「サー・マシューズの名は、永久にスポーツ史上に残るであろう。 我が国で最高のスポーツ
マンであるだけでなく、最高の英国紳士だった。」
(FOOTBALL時代の読み物 vol.7 2000/02/28掲載)