「調子」について

 

「調子がいい」「調子が悪い」という言葉をよく耳にするが、「調子」とは一体何なのだろうか。この「調子」という言葉は、身体的コンディションと同様に扱われることもあるが、一般に
言われている「調子」と「コンディション」とは別物と考えられる。

年末の某番組で、西武ライオンズの松坂投手が153KM/Hの球速を記録した時の投球を振り返り『肩が抜けて飛んでいきそうな感じだった。』と語っていた。 昨シーズン、松坂投手の
球速はその時を最高に、以後それ以上のスピードを記録することはなかった。

確かに、この時身体的コンディションの相当高い状態にあったことは、松坂投手自身も
周囲も一致することだが、彼が最も調子の良かった試合として挙げたのは全く別の試合で
あったのだ。
つまり、肉体的に最高点に近いことが可能であっても、それが自分の描く
イメージ通りだとは限らないということであろう。

さて、これをサッカーに置き換えてみるとどうなるだろうか。 身体的コンディションが良い状態というのは、怪我をしていないことはもちろん、疲れも感じにくく、持久力、瞬発力も高い
レベルで発揮できるようなことを指すのは言うまでもない。
ただ、これが一概に調子の良さにつながるとはいえないところが面白いところでもある。

疲れが抜けきっていないと感じる時でも、普段は見えないパスコースが見えたり、ゴールの
枠が大きく見えたり、蹴るボールの正確性が普段よりはるかに精度が高いとしたら、
その選手は「今日は調子がいい。」と感じるはずである。
通常の状態よりも精度の高い
プレー、冷静な判断力、時間の流れの感じ方、全てにおいて自分の描くイメージに近い
プレーが出来る時、これが調子の良い自分というものを認識させる。

いつもと同じことをやっているつもりでも、それがことごとくうまくいくような時(それは偶然
かもしれないが)、いつもと違う力を感じる人もいるかもしれない。 こうした経験は、中高の
部活動などで実際にプレーしてきた人には多かれ少なかれ思い当たるところがあるのでは
ないだろうか。 こうした「調子」は、コンディションが抜群に良い状態にある時によくなる
可能性が高いが、万全のコンディションのはずなのにどうもイメージ通りにいかないという
のであれば、「調子は良くない」ということになってしまうのである。 プロの選手に聞いても
本当に調子の良いと感じる試合は、年に数回程度。 あるいは、全くないと答える人さえ
いるのだ。

しかし、身体的コンディションを良好に保ちながら、ピッチで自分のイメージするプレーの
何%をこなして行けるかがプロとしての力量と言えるだろう。 自分の役割をこなせたか
どうかが、よく評価の観点として取り上げられるが、自分の役割をこなすことはあくまで
試合の中での最低限のことであり、要求されることが高いレベルのためにこなすことに
精一杯となっている選手ばかりでは、観ている方も試合の興味をそがれてしまう。

完全に気力・体力が充実し、イメージ通りのプレーが出来るような時というのは、そうはないのだから、そのギャップをうまくすり合わせて高いレベルのプレーを実践出来るように
努めるがプロとしての仕事だろう。 「調子が悪いから」というのは言い訳にしか過ぎないし、観客は選手の調子が良くなるのを首を長くして待っている訳ではないのである。 いかにして
調子の良い自分を作り上げるか。 それを観るため、確認するために観客は足を運ぶ
のだから、プロとしての自覚を持って、しっかりとしたコンディションで今季の開幕を迎えて
欲しいものだ。

 

 

(FOOTBALL時代の読み物 vol.8 2000/03/03掲載)

 

 

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