代表選手の意識はいったいどうなっているのだろう。
先日、某誌で代表の主カ選手が「休みが欲しい。」とサウジアラビアでグチをこぼしていたという記事を読み、大変ショックを受けた。
その記事では、『例えそう思っても口外すべきではなく、仲間うちだけにとどめるぺきである。また、その程度の意識の選手より、もっと代表に重みを感じる選手はいるはずだ。』とあった。正にそのとおりだと思う。代表選手となることは、何よりも価値あることであり、最高の勲章であると考えるのは、ファンだけなのだろうか。代表に選ぱれた者が、国際試合を戦うことの意義や名誉よりも、休暇を欲する気持ちの方が大きいと感じるのであれぱ、代表を辞退してもらいたい。そして、そのような選手は2度と選出してほしくない。
休みが欲しいと思いながら、サウジアラビアまで行った選手を出して勝てるわけがないし、他の選手やファンに失礼である。日本は、そんな選手を使わなければならないほど人材不足なのだろうか。
国際試合に飢えている選手はたくさんいるはずである。仏W杯予選後、カタールから戻った選手の中には、「あの負け方が良かったんだな。」と言った者までいたそうだ。これも代表選手としての意識を疑う発言である。日本のマスコミやファンの『感動をありがとう。』などというおかしな出迎え方のために勘違いしてしまったのだろう。
その点、さすがにカズは「おかしいよ。負けて帰っ来たのだから、もっと叩かれるぺきだよ。」と世界の常識を持っていた。
日本は選手だけでなく、周囲をとりまく人たちも世界の常識を知らなかったため、“FOOTABLL”の常識ではなく、“サッカー”の常識を勝手に作ってしまったようである。もし「負けて良かった。」と思い、休みが欲しいと口にした選手が同じであるのなら、そのような意識を持つ選手を選考し続けている協会と監督の定見のなさを暴露しているようなものだ。
代表選手には、高い扱術レペルはもちろんのこと、強い精神カが不可欠なはず。そして、常に高いレベルでの意識も要求されて然るべきである。代表にふさわしい選手というのは、ブラジルのことわざでいえば、『スパイクの先に心を入れて』プレーできる者であろう。ダイジェスト87年3月号の中で、ラモスは『白分が日本代表違手を選ぷとしたら』として11人を挙げ、その理由として「彼らならハートを持ってやってくれるだろうから。」と答えていた。
ラモスはもう『使える』選手ではなく、『使うぺき』選手でもないのかもしれない。
しかし、彼のようにハートを持って戦うことのできる選手が、いまのJリーグに一体何人いるだろう。
ラモス復帰を唱えていた人たちは、彼のような戦う姿勢が代表には欠けていると感じていたために、そう言っていたのではないか。また、当時帰化していなかった彼は「代表になれるのならやるよ。ピビるんだったら日の丸なんか付けない方がいい。」とも言っていた。
インターコンチネンタル選手権での惨敗は、メンパーや戦術、技術の差だけではなく、プロ意識における歴史の差がハッキリと現れた結果だろう。アルゼンチン戦での主将の態度は、まるでスパイクの中に試合放棄という言葉でも入れたかのようだった。
どうやら日本代表には“戦う”。ための意識から教えなければならないようだ。
一番大切なのは『スパイクの先に心を入れて』プレーすることだと…。