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2003/01/28掲載
【菅野賢一】
 
スピード豊かで思い切りの良いプレーがサポーターの心を捉えた 快足アタッカー、菅野賢一。

高校サッカー界屈指の名門、四日市中央工業では2年時から レギュラーをつかみ、中央大学では同学年の長谷部(現市原)らとともに 全国大学選手権などのタイトル獲得に貢献。

94年に先輩の沢田、横山らに続く中大閥からのイチ押し選手として 柏に加入した。

入団初年度こそ、ほとんど出番は巡ってこなかったが、柏がJ昇格を 果たした95年には突然輝きを放つ。
まず、95年のサントリーシリーズ(1stステージ)では、交代出場ばかりで 11試合に出場。トップチームへの定着を果たす。

だが、このサントリーシリーズでチームは最下位に沈み、ゼ・セルジオ 監督は解任。クラブはGKコーチのアントニーニョ氏を新監督として 昇格させた。
そして、ニコスシリーズ(2ndステージ)開幕前に行われたPSMの フラメンゴ戦。チャンスをもらった菅野は素晴らしい活躍を見せ、ロマーリオ、 サビオらを揃えたブラジル最強チームを破る殊勲者となった。

相手のコンディション不良という材料はあったものの、ここで存在を 強烈にアピールした菅野の株は急騰。
ニコスシリーズ初戦のC大阪戦でスタメンに抜擢されてプロ入り初ゴール を挙げると、続くG大阪戦でも2試合連続となるゴールを挙げてレギュラー の座をつかみ取る。
以後、12節の横浜F戦までスタメンの座を守り、4ゴールを奪った。

特に印象的だったのが、国立で行われた浦和戦。この試合では、 ゴールこそ挙げていないが、度々カウンターから鋭い矢となって相手DFを 切り裂き、胸のすくようなプレーを披露。
一部では代表候補として推す声も出始め、アントニーニョ監督にも 「将来の代表候補だ。」と明言させるほどの切れのあるプレーを見せた。

しかし、その後はフル出場が続いた疲れに加えて、2ndステージから 加入したベンチーニョが馴染んできたこと、そしてカレッカの負傷が 癒えたなどの要因も重なって、出場機会を失ってしまう。

翌96年もシーズン序盤こそゴールも挙げてトップに定着していたが、 激しいFWのポジション争いの中でその名を聞く機会は減少。
96年当時は、エジウソンが大爆発。絶対的なファーストチョイスとして 君臨しており、残された一つのポジションを柱谷を筆頭にカレッカ、 ワグネル、有馬、そして菅野らが争っていた。

その96年のオフ。大量の戦力外通告者を出したチームの中に残る ことは出来ず、菅野はJFLの川崎フロンターレに移った。

川崎Fでは、主に左アウトサイドやMFとしてプレー。移籍1年目こそは、 攻撃の重要なカードとして出場機会が多かったものの、J1昇格に向けて 次々と戦力補強を行なうチームの中で、翌年以降は徐々に出番を 減らしていく。

菅野はプロ生活2度目となる戦力外通告を受けて、J2の水戸 ホーリホックに移籍。
すでにベテランに近い年齢ともなってきたところで、今度はサイドバック に転向。持ち前のスピードを活かしたオーバーラップを武器に若いチーム を引っ張った。

現在は、今年度の天皇杯でも群馬県代表として本大会出場を果たした 群馬ホリコシ(前群馬FCフォルトゥナ)に所属。
元鹿島のDF奥野監督の下、元日本代表GK小島などの元Jリーガーを 擁して話題となっているザスパ草津としのぎを削りながら、JFL昇格へと 向けて奮闘している。

所属クラブ)柏〜川崎F〜水戸〜群馬ホリコシ
1971年8月8日生まれ
170センチ 67キロ

著者:らいてぃー 

 
 
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