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Banks,Steven スティーブン・バンクス
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ポジション:GK
生年月日:1972年2月9日
所属クラブ:ウエストハム〜ジリンガム〜ブラックプール〜ボルトン〜ロッチデイル〜
ブラッドフォード〜ストーク〜ジリンガム
偉大な先人と同じ名前から連想される通りのGK。ウエストハムのトレイニー育ちで1stチームでは僅か1試合にプレーしただけでジリンガムへ。1999年から在籍したブラックプールでもレギュラーの座をつかみ、170試合以上に出場した。
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Baradji, Sekou セクー・バラジ
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1984年4月24日生まれ。パリ出身。2005年夏の移籍期限ぎりぎりで獲得したフランス人DF。ル・マンのユースで育ち、2005年シーズンはレディングへ貸し出されていたが、シーズン開幕一ヶ月でウエストハムが完全移籍で獲得。
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Barnes,Bobby ボビー・バーンズ(David Oswald
Barnes)
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ポジション:F
生年月日:1962年12月17日
所属クラブ:ウエストハム〜スカンソープ(レンタル)〜オルダーショット〜スウィンドン〜ボーンマス〜ノーサンプトン〜ピーターバラ〜パトリック・ズィスル〜レンジャース(香港)〜トーキー〜ヘンドン〜フランクウェル(香港)
在籍:1980年〜1986年、43試合出場5得点
代表歴:イングランドY代表
アプレンティス出身のウィンガー。イングランド・ユース代表の肩書きを持ち、FAユース杯優勝等に貢献して1980年9月にプロ契約を勝ち取った。デビュー戦となった同月のワトフォード戦ではゴールを挙げて3-2の勝利を導き出し、将来のレギュラー候補に名乗りを上げたものの、なかなか先発には定着できなかった。1985年11月にはスカソープへ貸し出され、翌年3月には移籍金なしでオルダーショットへと放出された。するとオルダーショットではすぐにクラブ史上初のプレーオフ進出の立役者となり、その活躍が認められて1987年にはスウィンドンに引き抜かれ、以後はボーンマスやノーサンプトン、ピーターバラ、パトリック・ズィスルなど多くのチームを渡り歩いた。引退後はPFAの副委員長を務めている。甥っ子のガイルズはダービーの選手。
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Barrett,Jim ジム・バレット Snr(James William
Barrett)
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ポジション:DF
生年月日:1907年1月19日
在籍:1924年〜1939年、536試合出場49得点
代表歴:イングランド代表1回
地元ウエストハム生まれの選手で1923年、16歳のときに加入。ジョージ・ケイから「ビッグ・ジム」という異名を付けられたセンターバック。1925年からレギュラーをつかみ、戦間期にあって最もファンから愛された選手であった。1943年まで在籍。戦間期に69試合、平時に467試合、計536試合に出場しており、クラブ史上7位の出場数を誇る。息子も1950年代にトップチームでプレーした。
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Barrett,Jim ジム・バレット Jr(James Guy
Barrett)
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ポジション:FW
生年月日:1930年11月15日
所属クラブ:ウエストハム〜ノッティンガム〜バーミンガム
在籍:1949年〜1954年、85試合出場24得点
偉大なる父の後を追い、トップチームまで登り詰めたインナー。
幼少期からクラブに出入りし、第二次大戦直後に加入。1949年にプロ契約を勝ち取って
親子2代での成功を手にした。1954年のクリスマスにノッティンガムへ移籍。
1956-57年シーズンにはクラブのトップスコアラーとなる活躍を見せた。
引退後にはウェストハムやミルウォールの下部組織を手にかけた。
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Basilla,Christian クリスチャン・バシーラ
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ポジション:DF/MF
生年月日:1977年10月5日
在籍:2000年8月〜2001年5月、4試合出場0得点
所属クラブ:リヨン(96-99)〜スタッド・レンヌ〜ウエストハム(レンタル)〜ストラスブール(レンタル)〜スタッド・レンヌ〜サンダランド〜AELラリッサ(ギリシア)〜エネルギーコットブス〜ギャンガン
リヨンではカヌーテともプレーしていた大型DF。仏国内でも将来性を高く評価される一人であったが、フランスのナイトクラブで喧嘩騒ぎを起こして、逮捕されたことから放出され、2000年夏にレンタルで加入。2000年8月のマンU戦でリオとの交代で初出場。しかしながら、その後は両親との死別や怪我によって精神的に不安定な状態が続き、満足にプレー機会を得ぬまま帰国の途に就いた。192センチ。
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Behrami, Valon ヴァロン・ベラーミ
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ポジション:DF/MF
生年月日:1985年4月19日出身
所属クラブ:FCルガーノ(スイス)〜ジェノア〜ヴェローナ〜ラツィオ〜ウエストハム
在籍:2008年7月〜200、19試合出場2得点
代表歴:スイス代表15試合2得点
2008年夏の新戦力第1号となったスイス代表。右サイドのサイドバックもしくは中盤サイドアタッカーとしてプレーする。当初の契約期間は5年で、移籍金は推定500万ポンド。スイス代表を選択しているが、本人はコソボ州出身のアルバニア人であり、幼い時に内戦を逃れて永世中立国へ移住している。186センチという恵まれた体躯を活かした当たりで攻守に貢献し、ダイナミックな上下動を繰り返す。
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Bellamy, Craig クレイグ・ベラミー
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ポジション:FW
生年月日:1979年7月13日カーディフ出身
所属クラブ:ブラッドパーク・アベニュー〜ノーリッジ・C〜コベントリー・C〜ニューカッスル・U〜セルティック(レンタル)〜ブラックバーン・R〜リバプール〜ウエストハム〜マンチェスター・C
在籍:2007年7月〜2009年1月、23試合出場9得点
代表歴:ウェールズ代表54キャップ16ゴール
2007年にリバプールから獲得したウェールズ代表。ノーリッジで頭角を現し、ニューカッスルでは欧州CLにも出場した。気性が激しく余計なカードも多いが、躊躇いのないフィニッシュや果敢にゴール前へ飛び出るスタイルはファンの受けが良い。175cm
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Bellion, David ダビド・ベリオン
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ポジション:FW
生年月日:1982年11月27日パリ出身
所属クラブ:カンヌ〜サンダーランド〜マンチェスター・U〜ウエストハム(レンタル)〜ニース〜ボルドー
在籍:2005年10月〜2006年1月、10試合出場1得点
2005-06年シーズンの開幕直後にマンチェスター・Uから借りてきたフランス人アタッカー。
カンヌで育ち、2001年にサンダーランドが無償で獲得し、2003年に200万ポンドでマンUへ。 驚異的なスピードを誇り、課題は安定感のみとも言われる。リーグカップでのデビュー戦でいきなりゴールを挙げたが、ベンチ入りするのが精一杯という扱いは変わらず。
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Benayoun,Yossi ヨーシ・ベナユン
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ポジション:FW/MF
生年月日:1980年5月5日
所属クラブ:アヤックス〜ハッペル・ベールシェバ〜マッカビー・ハイファ〜ラシン・サンタンデール
〜ウエストハム〜リバプール
在籍:2005-2007年、72試合出場8得点
代表歴:イスラエル代表49キャップ11ゴール
プレミア復帰を果たした2005-06年シーズンの目玉として、スペインのラシン・サンタンデールより250万ポンドを費やして獲得したアタッカー。フルネームはヨーゼフ・シャイ・ベナユン。オランダの名門アヤックスの下部組織で育ち、マッカビー・ハイファ時代に欧州チャンピオンズ・リーグでの活躍により注目を集め、10代のうちにイスラエル代表にデビュー。抜群の技量と卓越したセンスが光り、多くのクラブが触手を伸ばした。自ら切り込むだけではなく、周囲を使う視野も広く持ち合わせており、代表では完全なるエースとなっている。ウエストハムを選んだのは、母国の先輩ベルコビッチの助言によるもの。2006年FA杯決勝での脅威的な働きは長く語り種となろう。
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Bennett,Peter ピーター・ベネット
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ポジション:FW/MF
生年月日:1946年6月24日ミドルセックス生まれ
所属クラブ:ウェストハム〜レイトン・オリエント
在籍:1963年-1970年、47試合3得点
1963年にFAユース杯で初優勝した時のメンバー。1963年にプロ契約を果たし、翌年4月のボルトン戦でデビュー。期待のインナーとして注目を浴びた。1970年に10万ポンドで獲得したトミー・テイラーとの交換でレイトン・オリエントに放出された。ニックネームはレス。レイトン・オリエントでは程なくして主将を任され、200試合以上に出場してクラブの代名詞的存在となった。1979年引退。
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Berkovic, Eyal アエル・ベルコビッチ
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ポジション:MF
生年月日:1972年4月2日
所属クラブ:マッカビー・ハイファ〜サウサンプトン〜ウエストハム〜セルチック〜ブラックバーン
〜マンチェスター・C〜ポーツマス〜マッカビー・テル・アビブ
在籍:1997-99年、79試合出場12得点
代表歴:イスラエル代表82キャップ14ゴール
170cmと小柄だが非常にクリエイティブなMF。アップトンパークにいたのはわずか2年だが、キットソン&ハートソンの2トップに多くのゴールをプレゼントとした。技術的に高く、イスラエル代表でも10年以上に渡り中心的存在として活躍した。カッとなりやすいのがタマに傷。2006年に引退し、マッカビー・ネタニャのGMに就任している。
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Best, Clyde クライド・ベスト
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ポジション:FW
生年月日:1951年2月24日
所属クラブ:ウエストハム〜エバートン〜タンパベイ・ローディーズ〜フェイエノールト〜トロント・ブリザーズ〜ポートランド・ティンバース
在籍:1969年〜1975年、186試合出場47得点
バミューダ諸島代表という異色の肩書きを持つFW。15歳でフル代表キャップを獲得、パワフルなプレースタイルでロングショットを得意とした。バミューダ諸島協会の推薦により、グリーンウッド監督が獲得に踏み切った。1969年、17歳のときに加入。
1stチームでは、ジョン・チャールズに次いで2人目となる黒人選手で、相手サポーターからは、たびたび人種差別の野次が飛ぶ標的となった。1997-1999年には母国の監督に就任した。2006年MBE勲章を授与。
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Bilic, Slaven スラベン・ビリッチ
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ポジション:DF
生年月日:1968年9月11日
所属クラブ:ハイデュク・スプリット〜カールスルーエ(ドイツ)〜ウエストハム〜エバートン〜ハイデュク・スプリット
在籍:1996年2月−97年 54試合出場 3得点
代表歴:クロアチア代表(1998W杯3位)
頑強な身体を活かした激しい守備が売りのCB。気性も荒く、いわゆるマリーシアに長けた選手だった。97年に当時DFとしては英国で最高額となる450万ポンドでエバートンへ移っていった。98年のW杯でフランスのブランを退場に追い込んだ演技のため、大ブーイングを浴びたことでも有名となった。97年にはウエストハムでの活躍が認められてクロアチアの年間最優秀選手にも選出されている。2006年よりクロアチア代表監督をつとめ、2008年のEURO本大会にイングランドを破って進出するなど高い評価を得ている。
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Bishop, Ian イアン・ビショップ
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ポジション:MF
生年月日:1965年5月29日
所属クラブ:エバートン〜クルー〜カーライル〜ボーンマス〜マンチェスター・C〜ウエストハム
〜マンチェスター・C〜シェフィールド・W〜マイアミ・フュージョン〜バリータウン〜ロッチデイル〜ニューオーリンズ・シェル・ショッカーズ
在籍年:1989年12月〜1998年3月
マーク・ワード、プラス£50万の移籍金でマンチェスター・Cからやってきたテクニシャン。90年代を通して長く中盤の軸として君臨し、チームにも大きな影響を与えた選手。判断が早く、常に攻撃の起点となるプレーが出来た。1998年にディビジョン2まで落ちていた古巣シチズンズに戻ると、プレミア昇格までチームを牽引した。イングランドを離れてMLSや米独立リーグでもプレーした。リーグ、カップ戦などを含めて305試合に出場、17得点を記録した。
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Boa Morte, Luis ルイス・ボア・モルテ
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ポジション:MF/FW
生年月日:1977年8月4日リスボン出身
所属クラブ:スポルディング〜アーセナル〜サウサンプトン〜フラム〜ウエストハム
在籍年:2007年1月〜2010年、65試合出場1得点
代表歴:ポルトガル代表25回2得点
2007年冬の市場でフラムより獲得したポルトガル代表のアタッカー。スポルディングの下部組織で育ち、10代の頃にベンゲル監督に見初められてアーセナルに加入。フラムで出場機会を増やして代表にまで昇り詰め、2006年のW杯ドイツ大会にも出場した。両サイドの攻撃的ポジションを主戦場とする他、前線でもプレーできる。ギャンブル癖が問題となっていたエザリントンに代わる存在として期待されての加入でもあったが、たび重なる怪我に加えて決定力が余りに低いことからブーイングの対象となることも少なくなかった。
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Boere,Jeroen ヨルン・ブーレ
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ポジション:FW
生年月日:1967年11月18日、オランダ
所属クラブ:GAイーグルス〜ウエストハム〜ポーツマス(レンタル)〜WBA(レンタル)〜 クリスタル・パレス〜サウスエンドU〜大宮アルディージャ
在籍:1993年9月〜1995年8月、29試合出場7得点
J2時代の大宮アルディージャでもプレーしたオランダ人ストライカー。1993年9月に25万ポンドで海を渡り、大きな体躯を活かしたパワフルなプレーを売りものとした。トニー・コッティーとは抜群の相性を見せ、高さのあるポストワークでパートナーのゴールをお膳立てした。
初出場となったニューカッスル戦では、僅か20分で退場となったが、その判定にはいまだに疑問符が付けられている。2度のレンタルを経た後、イアン・ドゥーイーとの交換でイーグルスへ去っている。また、ボビー・ムーアのテスティモニアル・マッチでゴールを挙げた選手としても記憶されている。但し、キャリアの終焉は唐突に日本で訪れた。大宮でプレーしていた1999年5月、六本木の路上で目を刺されて失明。痛ましい姿でキャリアを終えてしまった。
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Bond,John ジョン・ボンド
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ポジション:DF
生年月日:1932年12月17日
所属クラブ:ウエストハム〜トーキー
在籍:1951-65年、428試合出場35得点
指導暦:ジリンガム〜ボーンマス〜ノーリッジ〜マンチェスターC〜バーンリー〜スウォンジー
〜バーミンガム〜ウィガン
クラブ史上最高の右サイドバックと言われており、1950-60年代の栄光を担ってきた選手。センスの良いポジショニングとルーズ・ボールに対する反応の良さは抜群で、ペナルティ・キックのスペシャリストでもあった。2部で優勝した1957-58年シーズンには、サイドバックながらも8ゴールを挙げて1部昇格に大きく貢献した。1964年FAカップのときもレギュラーであったが、翌年トーキーへ移籍し、1969年に引退した。その後、ジリンガムでコーチとなり、ボーンマスでは監督に。ノーリッジを率いた時代には、ピータースを呼び寄せたことでも知られている。ウエストハムの背番号2は、レイ・スチュアートが登場するまで彼の代名詞であった。現在はウィガンのコーチ。
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Bonds,Billy ビリー・ボンズ
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ポジション:DF
生年月日:1946年9月17日
所属クラブ:チャールトン〜ウエストハム
在籍:1967-88年、793試合出場59得点
20年以上に渡って在籍し、2度のFA杯優勝に貢献したセンターバック。1967年にチャールトンより加入。クラブでの通算793試合出場は、歴代トップの数字を誇る。トレヴァー・ブルッキングと同時代を共にして、クラブの栄光と苦難を共有してきた。試合に出始めた当初は空回りする右サイドバックという評価も聞こえたが、センターバックに安住の地を決めてからは不動の地位を築いた。
チーム事情によっては守備的MFも務め、セットプレーの際には空中戦の強さを発揮して貴重な得点源ともなっていた。不思議なことに、クラブ史上最も偉大な選手の一人であるのに、何故か代表とは縁がなかった。実直で勤勉な性格から多くの尊敬を集め、引退後わずかな時を経ただけで1990-94年シーズンには監督としてチームを率いた。1996年にはミルウォールも率いている。
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Boogers,Marco マルコ・ブージャース
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ポジション:FW
生年月日:1967年1月12日生まれ
所属クラブ:ユトレヒト−RKC−フォルトゥナ・シッタード−ロッテルダム−ウエストハム−フロニンヘン−ドルトレヒト
1995年に£80万で獲得したオランダ人ストライカー。95-96年シーズンの2戦目、8月末のマンチェスター・U戦でガリー・ネビルへの悪質なタックルにより退場になった後、突如行方をくらまる。9月になってからオランダの田舎町で発見されたが、もうイングランドでプレーする気力は失せており、翌年2月にフローニンヘンへ放出された。
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Bovington,Eddie エディ・ボヴィントン
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ポジション:MF
生年月日:1941年4月23日ロンドン・エドモントン生まれ
在籍:1960年-1969年、183試合2得点
60年代に活躍したアカデミー出身のウイングハーフ。ムーアやハーケットと同じく1958-59年のFA杯ユース決勝に出場したメンバーの一人で、1960年のマンチェスター・U戦でデビューした。リーグ、カップ戦と通じて200試合近い出場数を誇るものの、ゴールは1965年12月のリーグ杯カーディフ戦と1966年10月の1部リーグ、ノッティンガム戦で挙げた僅か2つのみ。逆に1964年のFA杯準決勝でボビー・チャールトンを完璧に封じ込んだ試合が語り草になるなど攻撃よりは守備面で力を発揮した選手であった。28歳でファッション業界に転職して引退。後にスポーツクラブも手がけてマラソンランナーともなった。
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Bowen,Mark マーク・ボウエン
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ポジション:ディフェンダー
生年月日:1963年12月7日
所属クラブ:トッテナム〜ノーリッジ〜ウエストハム〜清水〜チャールトン〜ウィガン〜レディング
在籍:1996年8月〜1997年3月 20試合出場0得点
アップトンパークから直接Jリーグ入りした唯一の選手。1996年にノーリッジから無償で獲得。スパーズの下部組織で育ち、カナリーズで大ブレイク。ウェールズ代表のサイドバックとして確固たる地位を築いた。1991年のキリンカップでもA・メルヴィルらと共に来日している。
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Bowyer,Lee リー・ボウヤー (Lee David Bowyer)
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ポジション:MF
生年月日:1977年1月3日
所属クラブ:リーズ・U〜ウエストハム〜ニューカッスル〜ウエストハム〜バーミンガム
在籍:2003年&2006-2009年在籍、11試合出場
守備が崩壊したままで、勝ち星に見放されたチームが財政難に陥ったリーズから獲得したMF。この数年はアジア系青年への暴行容疑で裁判に追われたことが話題となった。地元出身で若くから代表経験もあった選手ということで、カンフル剤となることを期待された。
だが、わずか11試合で5枚のイエローをもらい、激しいプレースタイルが裏目に出た。出場停止になった期間も長く、到底チームに貢献したとは言い難い結果となった。チームの降格を受けて一番にニューカッスルへの移籍を決めた。イングランド代表。
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Boyce,Ronnie ロニー・ボイス
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ポジション:MF
生年月日:1943年1月6日
在籍:1960-73年、339試合出場29得点
1960年代半ばのウエストハム黄金時代においてチームの心臓として働いたセントラル・ミッドフィルダー、インサイドライト。非常にシンプルなプレーを安定してこなせる選手で、ピンポイントのパスをFWに供給する目と技術を持っていた。64年のFA杯準決勝ではマンチェスター・Uを破る2ゴールを挙げ、決勝でもプレストンNEを下すヘディングシュートを決めている。その貢献度は実に多大なものがあったが、それに相応しい十分な名声を得ているとは言い難い選手の一人と評される。引退後はトッテナムのチーフスカウトを務めていた。
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Boylan,Lee リー・ボイラン
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ポジション:FW
生年月日:1978年9月2日、エセックス出身
在籍:1997年7月〜1999年8月、1試合出場0得点
所属クラブ:トレイニー〜ウエストハム〜トレルボルズ(スウェーデン)〜エクセター〜キングストニアン〜ヘイズ〜スティーブネイジ〜ラシュデン〜カンベイ・アイランド
リオやフランキーとウエストハム・ユースの黄金期を築いたFW。1996/97年シーズンの最終戦、シェフィールド・Wを迎えたホームゲームにおいて途中出場でトップデビューを果たしたが、以後は1stチームに定着することが出来ず。1999年8月にスウェーデンのトレルボルズに移籍した。
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Brabrook,Peter ピーター・ブラブルック
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ポジション:FW
生年月日:1937年11月8日
所属クラブ:チェルシー〜ウエストハム〜レイトン・オリエント
在籍:1962-68年、214試合出場43得点
現在はユース(U17)チームのコーチを務める白髪の好々爺。現役時代は切れ味鋭いウイングとして活躍し、1958年のW杯スウェーデン大会にも出場している。全盛期はチェルシーで過ごしたが、1962年に£35,000でウエストハムに加入。アウトサイド・ライトのポジションを掴み、クラブ初のFA杯獲得に大きく貢献した。
1970年にレイトン・オリエントの3部優勝に貢献して引退。以後、素晴らしい人材を次々と送り出してアカデミーの発展に大きく寄与している。
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Bracey,Lee リー・ブレイシー
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ポジション:GK
生年月日:1968年9月11日
所属クラブ:ウエストハム〜スウォンジー〜ハリファクス・タウン〜ベリー〜イプスウィッチ〜ハル・シティ
地元バーキング出身のGK。1stチームに一度は登録されながら、一度もピッチに立つことなくスウォンジーへ売られてしまった。後に所属したベリー等の下部リーグではポジションをつかむが、イプスウィッチで出番のないままに現役を退いた。
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Brady,Liam リアム・ブレイディ
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ポジション:MF
生年月日:1956年2月13日
所属クラブ:アーセナル〜ユベントス〜サンプドリア〜インテル〜アスコリ〜ウエストハム
在籍:1987-90年、89試合出場
代表歴:アイルランド代表、54キャップ3ゴール
イタリアでも成功したアイルランド代表のMF。若くしてアーセナルでエースとなり、79年にはPFA選出の最優秀選手に選ばれた。81年にマンチェスター・Uから£150万で誘いが来たが、ユベントスに£60万で移籍。イタリアでは4つのクラブを渡り歩き、7年の時を過ごした。
アップトンパークへ来たのは1987年3月、31歳のとき。アスコリから£10万で加入した。初めこそ豊富な経験がチームに安定をもたらしたが、若返りを図る時期とも重なり、1990年に引退。
後にセルティックで(プレー経験のない初めての)監督となり、ブライトンを経て古巣アーセナルのユース・チーム監督に就任している。
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Breacker,Tim ティム・ブリッカー
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ポジション:DF
生年月日:1965年7月2日
所属クラブ:ルートン・T〜ウエストハム〜QPR
在籍:1990-99年、289試合出場8得点
代表歴:イングランドU21代表2キャップ
本名ティモシー・ブリッカー。ビリー・ボンズが監督となってから、最初の獲得選手となった右サイドバック。1990年にルートンから£60万で加入した。激しいタックルと忠実で力強い守備を武器にチームのプレミア定着に貢献。パスセンスやクロスにも長けており、近代的なサイドバックとして活躍した。プレーとは裏腹に、温和な生活で人望も厚かった。晩年は足首の怪我に悩まされた。QPRへの期限付き移籍を経て、99年2月のアーセナル戦を最後にロフタス・ロードへ去り、引退後はQPRのコーチとなった。
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Breen,Gary ガリー・ブリーン
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ポジション:DF
生年月日:1973年12月12日
所属クラブ:ジリンガム〜ピーターボロ〜バーミンガム〜 コベントリー〜ウエストハム
〜サンダーランド〜ウルブス〜バーネット
在籍:2002-2003年在籍、18試合出場
代表歴:アイルランド代表62キャップ7ゴール(2002年W杯出場、5試合1得点)
現役アイルランド代表として2002年のW杯でも活躍しただけに、大きな期待を背負っての加入だったCB。冷静な守備が出来て高さもある選手だが、スピード不足は否めず。レプカやデイリーのポジションを脅かすことができずに、先発で13試合、交代出場を含めても18試合にしか出ることはなかった。2009年よりバーネットで選手兼助監督となっている。
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Brevett,Rufus ルーファス・ブレベット
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ポジション:DF
生年月日:1969年9月24日ダービー出身
所属クラブ:ドンカスター〜QPR〜フラム〜ウエストハム〜プリマス・A〜レスター〜オックスフォード・Utd
在籍:2003年1月-2005年、29試合出場1得点
2003年1月にフラムから獲得したベテランの左サイドバック。柔らかいタッチのクロスに読みの良い守備で、ラバントやウインターバーンの後釜に座った。プレミアから降格したシーズンにあって、最も出来の良かった途中獲得選手だとしてファンからの支持も得ていた。2003-04年シーズン開幕直後に足首を骨折するという大怪我に見舞われ、長期離脱を強いられた。その間に、チャールトンからクリス・パウエルが加入し、レギュラーポジションを失った。172センチ74キロ。
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Brooking,Trevor トレヴァー・ブルッキング
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ポジション:MF
生年月日:1948年10月2日生まれ
ウェストハム在籍:1967-84年、636試合出場102得点
代表歴:イングランド代表47キャップ5ゴール(82年W杯出場)
1975年のFA杯で優勝、翌年のカップ・ウイナーズ・カップでは準優勝。1980年にもFA杯優勝と多くの栄冠を手にしてきたMF。特に、チームが2部にいた1980年のFA杯でアーセナルとの決勝戦で珍しいヘッドによる決勝点を決めたことが有名。1948年10月2日エセックスのバーキングで生まれた。イルフォードの高校を出た後、1965年7月にアプレンティス(練習生)として契約。翌66年5月にプロ契約を果たし、1967年8月29日のバーンリー戦でトップデビューを果たす。
このバーンリー戦はムーア、ハースト、ピータースという3人のW杯優勝メンバーが1点ずつを挙げたものの、引き分けに終わっている。
U23代表ではわずか1試合に出場しただけだったが、フル代表としては通算47試合に出場。1982年のスペインW杯にも出ており、予選ではイングランドを3大会ぶりの本大会へ導く貴重なゴールも挙げている。
ウエストハムでの最後の試合は、1984年5月14日のエバートン戦で、リーグ戦通算528試合に出場、88得点。カップ戦では108試合で14得点を挙げている。
1971-72年シーズンにクラブの年間最優秀選手に選ばれると、通算3度この栄誉に輝いている。
引退後はBBCで解説者となり、スポーツ・カウンシルの会長やウエストハムの役員にも就任した。1981年にはMBE、後にCBE勲章を受賞し、2004年にはナイトの爵位を授かっている。
2003年のリーグ終盤にはグレン・ローダーの後を受けて監督代行として指揮をとったが、チームを降格ゾーンから救い出すまでには至らなかった。
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Brown,Ken ケン・ブラウン
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ポジション:DF
生年月日:1934年2月16日
所属クラブ:ウェストハム〜トーキー〜ヒアフォード
在籍:1952-67年在籍、455試合出場4得点
非常に頑強なセンターバック。17歳でプロ契約を勝ち取り1950年代前半からプレーし、1957-58年シーズンに1部昇格を決めた際にはB・ムーアの隣で中央の守備を固めた。1964年のFAカップや、翌年の欧州カップ・ウイナーズ・カップ制覇を経験した黄金時代のメンバーの一人。見かけによらずスピードもあり、高い集中力を持った守備ができて、空中戦にも強かった。ただし、組み立てのボールを供給するような技量は余り持ち合わせていなかった。イングランド代表としては1度だけキャップを獲得している。1967年にトーキーへ移籍した。息子ケニー・J・ブラウンJrは1990年代にファーストチームに昇格し、77試合出場。
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Brush,Paul ポール・ブラシュ
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ポジション:DF
生年月日:1958年2月22日
所属クラブ:ウェストハム〜クリスタルパレス
在籍:1976-85年在籍、151試合出場1得点
地元プライストウ出身のストットランド人フルバック。1975-76年シーズンに18歳でファーストチームに引き上げられ、2年後にデビュー。80年前後の2部暮らしを強いられた時代には左サイドバックのレギュラーとして活躍した。1部復帰後は徐々に出番が減り、1985年にクリスタルパレスへ移籍した。後にクリスタルパレスの監督を務めた。
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Bunbury,Alex アレックス・バンベリー
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。ポジション:FW
生年月日:1967年6月18日
所属クラブ:ハミルトン・スティーラ−ズ〜トロント・ブリザーズ〜モントリオール〜ウェストハム〜マリティモ(ポルトガル)〜カンザスシティ・ウィザーズ
在籍:1992-93年在籍、3試合出場0得点
代表歴:カナダ代表64試合17得点
カナダ代表では歴代3位となるゴール数と歴代4位のキャップ数を持つストライカー。ウェストハムではリザーブチームでの生活が大半であったが、ポルトガルに移ってからはリーグで最もよく知られた外国人FWとなった。186センチの長身を生かしたプレーがイングランドのスタイルにマッチすると考えられての契約であった。現役生活を故郷のモントリオールで終えようとするも、MLSのカンザスシティで足首を痛めてスパイクを脱いだ。引退後はミネソタ州のバングーFCで指導者となった。
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Burkett,Jack ジャック・バーケット
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ポジション:DF
生年月日:1942年8月21日生まれ
所属クラブ:ウェストハム〜チャールトン〜ミルウォール〜サウスエンド
在籍:1962-67年、181試合出場4得点
カンウェルを師としてその座を引き継いだ左サイドバック。テッド・フェントンからロン・グリーンウッドに監督が代わってから使われるようになった。1964年からのFA杯、カップ・ウイナーズ・カップ獲得の栄光を担った選手の一人。抜群のスピードを誇り、常に安定したプレーを見せた。激しいタックルを仕掛けるより対面のウイングを頭脳的にあしらう術に長けた選手だった。
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Butler,Peter ピーター・バトラー
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ポジション:FW
生年月日:1966年8月27日、ハリファクス出身
在籍:1992年8月〜1994年10月、77試合3得点
所属クラブ:ハダーズフィールド84-86〜ケンブリッジ(loan 1/86)〜ベリー86〜ケンブリッジ86-88
〜サウスエンド 88-92〜ハダーズフィールド(loan
3/92)〜ウエストハム〜ノッツ・カウンティ
〜グリムズビー(loan 1/96)〜 WBA
(3/96)〜ハリファクス・T(8/98)
粘り強くボールを追いかけるミッドフィルダー。1992年8月にサウスエンドから12.5万ポンドで獲得すると、すぐにレギュラー・ポジションを獲得。チームのプレミアリーグ昇格に大きく貢献した。1994年10月に35万ポンドを提示したノッツ・カウンティへ移籍。
コーチングに長け、敵からボールを奪う能力も高かった。常に敵を攻撃するような姿勢を絶やさず、昇格を目指す戦いの中で重要な役割を果たした。
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Byrne,Johnny ジョニー・バーン
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ポジション:FW
生年月日:1939年5月13日生まれ
在籍:1962-67年2月在籍、190試合出場107得点
所属クラブ:クリスタル・パレス〜ウエストハム〜クリスタル・パレス〜フラム〜ダーバン・シティ
1962年に国内のクラブ間では史上最高額となる£6万5,000の移籍金でクリスタル・パレスより加入したFW。
創造性豊かで卓越したスキルを持ち、インサイドFWとしては驚異的な率でゴールを挙げた。ずうずうしくも冗談好きな性格で、控え室を明るくし「バッジー」というあだ名で呼ばれた。ピッチにも元気を与える存在で1964年のFA杯初優勝時には大きな働きを見せた。
ただし、翌年の欧州カップ・ウイナーズ・カップには、膝にひどい怪我を負ったため、ほとんど出場することはできなかった。
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Byrne,Shaun ショーン・バーン (Shaun Ryan Byrne)
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ポジション:DF
生年月日:1981年1月21日生まれ
所属クラブ:2001-04年3試合
在籍:ウェストハム〜ダブリン〜チェサム〜バーナム〜ヘメル・ヘンプスタッド
アイルランド・ユース代表では主将を務めたDF。1997年にアプレンティス契約。ブリストル・Rへのレンタルを経験した後、2000年1月のニューカッスル戦でトップデビューを果たした。175cm73kg
早くから将来を嘱望されながら、怪我が多かったこともあってなかなかトップに定着出来ずにいる。
2004年スォンジーヘレンタル
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Bywater,Stephen ステファン・バイウォーター (Stephen
Michael Bywater)
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ポジション:GK
生年月日:1981年7月7日
所属クラブ:ロックデイル〜ウエストハム〜ハル・シティ(レンタル)〜ワイコム(レンタル)〜ウルブス(レンタル)〜カーディフ(レンタル)〜コベントリー(レンタル)〜ダービー〜イプスウィッチ(レンタル)
在籍:1998-2006年、59試合
非常に高い潜在能力を持ったGK。1998年、ロックデイルのアプレンティスだったうちに£30万でウエストハムに加入した。ハル・シティとワイコムへの期限付き移籍で経験を積み、トップチームに定着。
GKに怪我人が続出したこともあって、2000年のブラッドフォード戦で18歳にしてトップデビューを果たした。99年FAユース杯優勝の立役者の一人でもある。チャンピオンシップへの降格時にはレギュラーとなり、クラブのプレミア復帰に貢献したが、キャロルらの加入によって再び定位置を失い2006年にダービーへと移った。元イングランドU21代表。
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