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Fashanu, Justin ジャスティン・ファシャーヌ
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ポジション:FW
生年月日:1961年2月19日
所属クラブ:ノーリッジ〜ノッティンガム〜サウサンプトン〜ノッツカンティ〜ブライトン〜LAヒート〜マンチェスター・C〜ニューカッスル〜ウエストハム〜レイトン・オリエント〜トロント〜トーキー〜ハーツ
在籍:1999年3試合
非常に多くのクラブを渡り歩いたFW。1979年にノーリッジでキャリアをスタート。1981年にノッティンガムへ移籍した際は、黒人選手として史上初の100万ポンドプレーヤーとなった。期限付きで加入し、わずか3試合に出場しただけでクラブを去った。ウインブルドンなどでプレーした元イングランド代表CFのジョンは実弟。
レイトン・オリエント在籍時の1990年にサッカー選手で初めてゲイであることを告白し、その後のキャリアを棒に振った。アメリカの警察が少年時代のレイプ疑惑で追いつめたこともあって、1998年にはロンドンで自殺未遂を起こしている。
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Faubert,Julien ジュリアン・フォーベール
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ポジション:MF/DF
生年月日:1980年8月1日
所属クラブ:カンヌ〜ボルドー〜ウエストハム〜レアル・マドリード(レンタル)
在籍:2007年-201?年
代表歴:フランス代表1回
2007年夏に獲得したフランス人のサイドアタッカー。カンヌのアカデミーで育ち、ボルドーでブレイク、2006年の夏にはA代表デビューも果たしている。右サイドを主戦場とし、中盤でもDFラインでもプレーできる。当初はスコットランドのレンジャースへ行くことが有力視されていたが、610万ポンドの移籍金を提示したウェストハムにボルドーがゴーサインを出した。当初の契約は5年。180センチ75キロ。
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Fenton,Ted テッド・フェントン
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ポジション:FW/MF
生年月日:1914年、フォレスト・ゲイト生まれ
在籍:1932-46年(選手として)、1948-1961年(コーチ、監督として)
1950〜1961年のチームを率いた第3代監督。本名はエドワード・フェントン。1932年にコルチェスター・タウンから加入し、1946年まで主にウィングハーフとして活躍。通算176試合に出場して27得点を挙げているが、第二次大戦中のリーグでは、201試合出場44得点という記録も残しており、1940年のウォータイム・カップ優勝時の主軸でもある。戦後、南部リーグのコルチェスター・Uで選手兼監督となり、1948年にウエストハムへ戻ってチャーリーペインター監督の右腕として2年間働く。そして、1950年に監督に昇格。1958年にはクラブを1部へ戻し、B・ムーアやG・ハーストらのタレントを育て上げた。1960-61年シーズン終盤の3月に、2部の危機にさらされたことから辞任した。とはいえ、1964年にFA杯優勝を果たしたメンバーのうち、7人がフェントンによって引き上げられた選手たちであり、黄金期の基礎を作った指揮官として記憶されている。1992年、ピーターバラで交通事故により帰らぬ人となっている。
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Ferdinand,Anton アントン・ファーディナンド
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ポジション:DF
生年月日:1985年2月18日生まれ
所属クラブ:ウェストハム〜サンダーランド
在籍:2002-2008年、138試合5得点
代表歴:U18-U21イングランド代表、2007U21
2000年11月にDFとして世界最高額でリーズへ移籍したリオを兄に持つDF。小さな頃からクラブで過ごし、2002年夏に1stチームへの昇格を果たす。血筋ともいえる高い身体能力を活かした守備は柔軟性に富み、パスやキープ力の面でも高い技術を備える。右サイドバックだけでなく、センターバックやMFもこなす。2004年にU19代表、2005,2006年にはU21イングランド代表となっている。2006年1月にはフラム戦での素晴らしいゴールもあって、プレミアリーグ月間最優秀選手を受賞した。2008年夏に移籍金800万ポンドを提示したをサンダーランドへ売られ、その件を発端としてカービシュリー監督の辞任にまで発展した。178センチ78キロ。
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Ferdinand,Les レス・ファーディナンド
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ポジション:FW
生年月日:1966年12月18日
所属クラブ:QPR〜ニューカッスル〜 トッテナム〜ウエストハム〜レスター〜ボルトン・W〜レディング〜ワトフォード
在籍年:2003年14試合出場2得点
代表歴:イングランド代表17キャップ5ゴール
2002-03年のプレミアシップで降格ゾーンにあえぎ得点力不足に悩むチームが、年明けになってトッテナムから急遽獲得した大ベテランの元代表FW。リーグ最終戦、Stアンドリュースでの先制ゴールは光るが、14試合で2ゴールでは物足りなかったと言わざるをえない。かつてのアップトンパークのヒーロー、リオは従兄弟に当たる。現役のうちにサーの称号を手にした希な選手でもある。2005年にMBE勲章を受賞。自叙伝のタイトルからサー・レスとの相性で親しまれた。179センチ85キロ。
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Ferdinand,Rio リオ・ファーディナンド
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ポジション:DF
生年月日:1978年7月11日ペッカム生まれ
所属クラブ:ウエストハム・U(ボーンマスへ2ヶ月のレンタル時期有)〜リーズ・U〜 マンチェスター・U
在籍:1995年−2000年在籍、158試合出場2得点
代表歴:イングランド代表54キャップ1ゴール
現在世界No.1とも言われるセンターバック。技術、高さ、強さ、スピード、全てに秀でた上にカバーリングの能力も抜群と、正にアカデミーが生み出した最高峰の選手。国内外からの度重なる高額なオファーにもクラブは放出を渋っていたが、2000年11月ウエスト・スタンド改修のために1,800万ポンドでリーズ・Uへ謙ることになった。その経緯からアップトンパークに戻って来ても拍手を受ける数少ない選手。
1995年にアプレンティスとして契約。96年のFAユース杯準優勝に貢献し、5月のシェフィールド・W戦でトップ・デビューを果たしたときにはまだ17歳だった。ボーンマスへの期限付き移籍を経てレギュラーに定着し、チームのUEFA杯出場などに大きく貢献してきた。
1997年12月のカメルーン戦でフル代表にデビュー。すでに2度のW杯を経験しており、2002年の日韓W杯ではイングランド代表不動のレギュラーとして活躍した。
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Ferguson, Bobby ボビー・ファーガソン
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ポジション:GK
生年月日:1945年3月1日
在籍:1967年月〜1979年月、276試合出場
所属クラブ:〜〜キルマーノック〜ウエストハム 〜シェフィールド・W(レンタル)
1967年にキルマーノックから6万5,000ポンドで獲得。1967〜79シーズンの12年間に渡りトップチームのGKとして活躍。リーグ・カップを合わせて276試合に出場した。1967年、ジム・スタンデンに取って代わると、以後6シーズンはレギュラーとしてゴールマウスに立ち、マーヴィン・デイが頭角を現わすまでポジションを守り続けた。イプスウィッチではボビー・ロブソンの後を受けて監督となった。後年、オーストラリアに移り住み、海洋施設を立ちあげたが、友達だったはずのサメに殺されるという最期を遂げた。
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Feuer,Ian イアン・ファウアー
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ポジション:GK
生年月日:1971年5月20日
在籍:1994年3月〜1995年9月&2000年2月〜6月、3試合出場
所属クラブ:FCブルージュ〜モーレンビーク〜LAサルサ〜ウエストハム
〜ピーターバラ(レンタル)〜ルートン〜MSL〜ラシュデン&ダイアモンズ
〜カーディフ・シティ〜ウエストハム〜ウィンブルドン
2度に渡って在籍したラスベガス出身のアメリカ人GK。最初はルードのバックアップとして、LAサルサから70万ポンドで獲得。次はヒスロップが骨折し、フォレストがゴールド・カップでカナダ代表に召集されたためにカーディフから移籍金なしでの加入であった。1995年にルートンへ売却した際は、580万ポンドという獲得時の8倍もの移籍金を得ている。
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Finn,Neil ニール・フィン
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ポジション:GK
生年月日:1978年12月29日
所属クラブ:ウエストハム〜ドンカスター(レンタル)
地元ダゲナム出身のゴールキーパー。ウエストハムのトレイニーから1stチームに昇格。 プレミアリーグのデビューは若干17歳の時で、ルードが出場停止、シーリーが怪我という巡り会わせだった。しかしながら、ウエストハムでピッチに立ったのは、その1996年1月のマンチェスター・C(1-2で敗戦)だけで、ドンカスターへレンタルされた以後は消息不明。
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Fletcher, Carl カール・フレッチャー
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ポジション:DF/MF
生年月日:1980年4月7日
所属クラブ:ボーンマス〜ウエストハム〜ワトフォード(短期レンタル)〜クリスタルパレス
在籍:2004-2006年、52試合出場3得点
代表歴:ウェールズ代表11キャップ
2004年夏に移籍期限ぎりぎりで獲得したウェールズ代表のDF。移籍金は£25万。もともとはCHだが、2年程前からCBにコンバートされた。プロデビューは、ボーンマスのユースに在籍していた1998年2月。前所属のボーンマスで、2002年1月のブラックプール戦からクラブ史上最年少の主将となり、リーグ、カップ戦をあわせて225試合に出場。
昨季はプレーオフのリンカン戦で2ゴールを記録。5-2の勝利に貢献し、チャンピオンシップ昇格を果たしていた。祖母の血筋から昨季のスコットランド戦でウェールズ代表にデビュー。
ここまで3キャップを獲得している。今季で契約切れとなることもあり、ボーンマスでもコーチを務めていたピーター・グラントが推薦し、入団に至った。178センチ73キロ。
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Foe, Marc Vivien マルク・ビビアン・フォエ
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ポジション:MF
生年月日:1975年5月1日
所属クラブ:ランス〜ウエストハム〜リヨン〜マンチェスター・C
加入年:1999-2000年在籍、42試合出場1得点
代表歴:カメルーン代表65キャップ8ゴール
1999年1月にクラブ史上最高額となる450万ポンドでフランスのランスから加入したMF。以前はマンチェスター・Uの加入が囁かれ、リバプールへの移籍話もあった。ダイナミックな展開力と長いリーチをいかした抜群のキープ力が特長であり、高い身体能力をも武器として中盤の制圧に力を注いだ。
18歳でカメルーン代表になり、1994年のW杯米国大会にも出場。1998年のフランス大会こそ骨折のために棒に振ったが、2002年日韓大会でも主力として活躍した。カリックとランパードの成長もあって、2000年にフランスのリヨンへ£600万で売られている。
2003年のコンフェデレーションズ杯で、試合中に突如倒れて帰らぬ人となった。192センチ86キロ。
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Forrest,Craig クレイグ・フォレスト
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ポジション:GK
生年月日:1967年9月20日
在籍年:1997-2002年在籍、37試合出場
代表歴:カナダ代表56キャップ
所属クラブ:イプスウィッチ・T〜コルチェスター・U(レンタル)〜イプスウィッチ〜チェルシー(レンタル)〜ウエストハム・U
バンクーバー出身。チェルシーを経て97年にイプスウィッチより加入したカナダ代表のGK。ヒスロップのサブという扱いではあったが、常に準備万端で少ない出場機会にも落ち着いた守備を見せた。マンチェスター・Uとの相性が悪いことでも有名で、何故か大敗することが多い。
カナダ代表としては2001年のゴールド・カップでは母国に初の国際タイトルをもたらし、自らはMVPに選ばれる活躍だった。また、同年のコンフェデレーションズ・カップではブラジルを完封するなど、近年のカナダ躍進はフォレストのプレーによって支えられていた。2001-02年シーズンをもって現役引退した。
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Foster, Colin コリン・フォスター
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ポジション:DF
生年月日:1964年7月16日
在籍年:1989年9月〜1994年3月在籍、111試合出場6得点
所属クラブ:レイトン・オリエント〜ノッティンガム・F〜ウエストハム〜ノッツ・カウンティ〜ワトフォード〜ケンブリッジ
ルー・マカリ監督が1989年に獲得したDF。ウエストハムではリーグ、カップを合わせて107試合に出場し、6ゴールをあげている。最もよく記憶されているのが91年のFA杯準々決勝、エバートン戦での貴重なボレーショット。これがチームを準決勝に導いた。ノッツカウンティーにレンタルで出された後に、ワトフォードへ移った。
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Foxe,Hayden ハイデン・フォックス
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ポジション:DF
生年月日:1977年6月23日
在籍年:2000-02年在籍、12試合出場
所属クラブ:アルミニア・ビーレフェルト〜広島〜ウエストハム〜ポーツマス〜リーズ〜パース・グローリー
代表歴:オーストラリア代表14試合2得点
サンフレッチェ広島でプレーしていたオーストラリア代表の大型センターバック。就労ビザの取得に時間がかかり、なかなか登録されなかったが。2000年からは貴重なバックアップとして度々登場した。
2002年には戦力外とされたが、見初めたレドナップ監督に誘われてポーツマスへ移籍。プレミア昇格を果たしている。ドイツでのプレー経験も有。2000年のシドニー五輪代表。193センチ83キロ。
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Futre, Paolo パオロ・フットレ
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ポジション:FW&MF
生年月日:1966年2月28日
所属クラブ:スポルディング・リスボン〜FCポルト〜アトレチコ・マドリッド〜ベンフィカ
〜マルセイユ〜ACミラン〜ウエストハム〜アトレチコ・マドリッド〜横浜F
代表歴:ポルトガル代表41キャップ6ゴール
FCポルト時代には欧州制覇も果たしているポルトガルの至宝。エースナンバー10を与えられ、大きな期待を背負っての加入だったが、膝の故障のためにわずか9試合に出場しただけでクラブを去った。スピーディーで滑らかなドルブルと高い戦術眼がうまく噛み合えば面白い存在だっただけに残念な結果となった。後に横浜Fでもプレーした。175cm72kg
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