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Kanoute, Frederic フレデリック・カヌーテ
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ポジション:FW
生年月日:1977年9月2日
所属クラブ:リヨン〜ウエストハム〜トッテナム〜セビージャ
在籍:2000年3月-2003年在籍、リーグ戦通算84試合29ゴール
代表歴:U21フランス代表〜マリ代表6試合5ゴール
独特の長いストライドをいかした突破を武器としたFW。フランスU21代表経験を持ち、2000年3月に期限付きでリヨンから加入。ディ・カーニオがスーパーボレーを決めたあのウインブルドン戦でデビューし、いきなりゴールを挙げてファンの心をつかんだ。
その年の5月には375万ポンドの移籍金で完全にアップトンパークに落ち着く。ディ・カーニオとの2トップは抜群尾のハーモニーを見せてレドナップ、ローダー両監督から1stチョイスのペアとして不動の地位を任された。
ただ、スピードを持ち味とする選手に多く見られるハムストリングを痛めることもしばしばで、幾度も戦線離脱を強いられた。2003年夏に、イングランドU21代表のマット・エザリントンとの交換で、トッテナムへと移っていった。セビージャではUEFA杯連覇に加え国王杯も獲得。自身はリーガの得点王に輝いている。192cm
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Katan, Yaniv ヤニフ・カタン
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ポジション:FW
生年月日:1981年1月27日カイラット・アタ出身
所属クラブ:マッカビー・ハイファ〜ウエストハム〜マッカビー・ハイファ(レンタル〜完全移籍)
在籍:2006年1月〜200
代表歴:イスラエル代表31試合5得点
2005-2006年シーズンの冬に加入したストライカー。少年期よりマッカビー・ハイファで過ごし、10代でフル代表入り。欧州チャンピオンズリーグでイスラエル人として2人目のハットトリックを記録したことでも話題となった。先輩ベナユンの存在が決め手となり、ブリテン島へやって来た。マッカビーハイファでは3度のリーグ優勝を経験している。
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Kay, George ジョージ・ケイ
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ポジション:DF
生年月日:1891年月日マンチェスター出身
所属クラブ:ウエストハム〜サウサンプトン
在籍:1916-1926年、259試合出場17得点
1923年にウエンブリーで初めてFA杯決勝が行われたボルトン戦で主将をつとめていたセンターハーフ。この年にはチームを牽引しウエストハム初の1部昇格を果たした。ウエストハムで初めてリーグ戦200試合出場を果たした選手。後にサウサンプトンへ移籍。選手上がりの者として初めてウエストハムのフロントにも入った。1936年にはリバプールの監督に就任。1947年の優勝へと導いている。長く病床に伏していたが、1954年に永眠した。
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Keeble, Vic ヴィク・キーブル
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ポジション:FW
生年月日:1930年6月25日生まれ
所属クラブ:コルチェスター・U〜ニューカッスル〜ウエストハム
在籍:1957-1960年、80試合出場49得点
1950年代のセンターフォワード。ジョン・ディックとのペアで57〜58シーズンに2部で優勝を果たしたときの立役者。1万ポンドでニューカッスルからやって来たときは、そのシーズンの最高額での移籍として話題を呼んだ。ニューカッスルの前は、テッド・フェントンが監督をしていたコルチェスター・Uでプレーしており、1955年のFA杯決勝にも出場している。怪我のため29歳の若さで引退を強いられ、ノンリーグのチェルムスフォードで監督を務めた。
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Keen, Kevin ケビン・キーン
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ポジション:FW/MF
生年月日:1967年2月25日
在籍:1986-1993年、279試合出場30得点
所属クラブ:ウエストハム〜ウルブス〜ストーク・シティ〜マクルスフィールド
童顔のウインガー。1980年代後半から90年代前半にかけてチームが1部と2部の間を行き来していた頃にレギュラーとして活躍した。アプレンティスから昇格し、1986年の19歳のときに2-5と敗れたリバプール戦でデビュー。スチュアート・スレイター、ポール・インスに続くアカデミー出身の注目株として、期待を集めた。1989-90年シーズンには2部リーグながらも二桁得点を記録している。浮き沈みの激しい時代のチームを支えながら、ウエストハムがプレミアリーグに昇格した1993年夏に60万ポンドでウルブスへ売られてしまった。後にストーク・シティへ移籍。現役生活の最後をプレーしたマクルスフィールドで2001年から指導者に転じて、2006年よりウエストハムのコーチに。2006年12月にはカービシュリー監督就任までの3日間、監督代行の座についた。父マイクは黄金期のQPRなどで活躍したMFだった。
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Keller,Marc マルク・ケレール
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ポジション:MF
生年月日:1968年1月14日
在籍:1998-2001年在籍、57試合出場6得点
所属クラブ:マルハウス〜ストラスブール〜カールスルーエ〜ウエストハム〜ポーツマス(レンタル)
〜ブラックバーン
代表歴:フランス代表12回
1998年夏にドイツのカールスルーエから獲得したフランス代表のMF。ボスマン・ルールによりウエストハムにやって来た初めての選手で、鋭いクロスボールを武器とした。
本来は左サイドを得意とするのだが、両アウトサイドを起用にこなし、守備力も兼備えていた。UEFA杯に出た1999-00年シーズンには多くの試合に出場していたが、以後は出番を減らし、ポーツマスへのレンタルを経て完全移籍した。現役引退後はストラスブールの監督を務めた後、モナコのフロントで辣腕を振るっている。
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Kelly,David デイビッド・ケリー
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ポジション:FW
国籍:アイルランド
生年月日:1965年11月25日
在籍:1988-1990年在籍、64試合出場14得点
所属クラブ:オルブチャーチ〜ウォルソール〜ウエストハム〜レスター〜ニューカッスル
〜ウルブス−サンダーランド〜トランメア〜シェフィールド・U〜マザウェル〜マンスフィールド
1998年夏にトニー・コッティの代わりとして獲得したストライカー。スパーズからバイエンルンミュンヘンやPSGといった欧州の強豪クラブでプレーしてきた実績を持ち、大きな期待をかけられての入団だった。だが、クラブ史上でも最悪の部類に入る買物として記憶されるほどの散々な出来で、ファンの期待に応えることはできなかった。
結局、わずか1年でレスターへ移籍。その後はニューカッスルやウルブス、トランメアでもプレーした。トランメアではFA杯でウエストハムを破り、リーグカップ決勝にも進んでいる。
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Kiraly,Gabor ガボール・キラリー
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ポジション:GK
国籍:ハンガリー
生年月日:1976年4月1日
在籍:2006年在籍、試合出場0
所属クラブ:ハラダス〜ヘルタ・ベルリン〜クリスタルパレス〜ウエストハム(レンタル)〜アストンビラ(レンタル)〜バーンリー〜レバークーゼン(レンタル)〜1860ミュンヘン
代表歴:ハンガリー代表72試合
ベルリン在籍時にチャンピオンズ・リーグ出場経験を持つハンガリー代表の正GK。ウォーカーの怪我とキャロルの私生活上の問題によりサブGKが不在となったため、2006年11月に急遽イーグルスより2週間の約束で借り受けた。193センチ。
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Kilgallon,Matthew マシュー・キルガロン
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ポジション:DF
生年月日:1984年1月8日、ヨーク出身
所属クラブ:リーズ・U〜ウェストハム(レンタル)〜リーズ・U〜シェフィールド・U〜サンダランド
在籍:2003年8月-年月、3試合出場得点
代表歴:イングランドU20代表
2003年に短期レンタルでリーズから借り受けたイングランドU20代表のセンターバック。2002年のUEFA杯ハッペル・テル・アビブ戦で18歳にしてトップデビュー。ルーカス・ラデベの後継者と目されるタレントと評されていた。数ヶ月だけアップトンパークで過ごし、リーズに戻った後はワールドユースUAE大会にもレギュラーのCBとして3試合に出場したが、日本などに敗れてグループリーグで姿を消した。
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King,Syd シド・キング
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ポジション:DF
生年月日:1873年
所属クラブ:ノース・フリート〜スウィンドン・タウン〜ウエストハム
ウエストハムの初代監督であり、30年という長期に渡ってその地位にあった伝説の人物。ノース・フリートでフルバックとしてキャリアを始め、スウィンドン・タウン戦では、1つのゴールと3つのオウンゴールを献上するという珍しい記録も作っている。 1897年にニュー・ブロンプトンへ移籍。2シーズンを過ごした後、1899年にテムズ・アイアン・ワークスFCへとやって来た。
南部リーグでは屈指のフルバックと評され、当時フットボール・リーグにいたダービーからのオファーも即座に拒否している。
ウエストハムとしてチームが再出発するのに尽力。1902年に監督となったが、このときはまだ選手としてもプレーしていた。
クラブ創設期、キング監督の下で南部リーグでプレーしていたチームは、1919年に全国フットボール・リーグへ加盟。わずか5年で1部昇格を果たすと、FA杯決勝にも進出して「ホワイトホース・ファイナル」を経験させるという名誉をも得た。
1922年にストライカー、パドフットをスコットランドへ売った際には、監督に£300という高額なボーナスが支払われていたが、こうした経緯もあってクラブの役員からは高慢な人間と見られていた。
1930年代が近づいて来ると、キングの高齢化もあってチーム状況は悪化。下位に低迷することが多くなる。チームに変化が必要なことは明白だった。
1931年、クラブはキングに一部の株式を譲渡。31-32年シーズンには、ついに2部降格の憂き目に遭う。翌1932年11月7日の理事会では、満場一致でチャーリー・ペインターを新監督とすることが決定され、解雇予告がキングに通知された。このとき、キングは酒を飲んで理事会に出席し、少なくとも一人の理事を罵ったと伝えられている。だが、これは遅すぎた決定だった。
クラブ全体がキングを週£3の年金で追い出すことを決めたときはキングの精神はボロボロ。1か月後、キングは痛ましいことに自殺を遂げてしまう。検死記録は「相当心身が参っており、そのためにことに及んだ。」の見解を残している。悲惨な最後を迎えたキングだが、「ミスター・ウエストハム」と呼ばれたほどにクラブを表わす存在だった。(ケント州出身、1873年〜1932年)
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Kinsell,Harry ハリー・キンセル
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1950年代のディフェンダー。ウエストブロム、ボルトンを経てレディングから加入。ボルトン時代には一度イングランド代表に選ばれていた。アップトンパークでは主将も長く務め、引退後はストラッドフォードで銃器店を営んだ。
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Kirkup,Joe ジョー・カークップ
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ポジション:DF
生年月日:1939年12月17日生まれ
所属クラブ:ウエストハム〜チェルシー〜サウサンプトン
在籍:1957年5月-1966年3月、165試合出場6得点
北東部出身で、非常に人気のあったフルバック。グランド・スタッフとしてクラブに入ると、1958年12月に19歳でトップデビューを果たす。ムーアに遅れること2ヶ月という差だった。1964年のFAカップ獲得の際には、レギュラーではなかったが、翌年の欧州カップ・ウイナーズ・カップ決勝ではウェンブリーで欧州タイトルの獲得に貢献した。1966年3月に、£2万7,000でチェルシーへ移籍。サウサンプトンでプレーした後に南米へ移住し、ジョニー・バーンとともに働いた。1976年にはブリテン島へ戻り、現在はイーウェルでニュースエージェンシーを経営している。
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Kitchen, George ジョージ・キッチン
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ポジション:GK
生年月日:1876年ダービーシャー出身
所属クラブ:エバートン〜ウエストハム〜サウサンプトン
在籍:1905-11年
1905-11年の間に在籍し、184試合に出場したGK。GKにもかかわらず、デビュー戦でゴールを挙げるという珍しい記録を持っている。1905-06シーズンの開幕スウィンドン戦でPKを蹴って成功させている。以後もPKキッカーとして登場し、通算6ゴールを記録している。チームの主将として大きな信頼を得ていた選手であった。プロゴルファーとしても活躍し、クリケット選手としても有能だった。1969年に93歳で亡くなった時にはクラブのドアマンとして働いていた。
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Kitson, Paul ポール・キットソン
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ポジション:FW
生年月日:1971年1月9日
所属クラブ:レスター・C〜ダービー・C〜ニューカッスル・U〜ウエストハム〜チャールトン・A
〜クリスタル・パレス〜ブライトン&HA〜ラシュデン&ダイアモンズ〜オルダーショット
在籍:1997年2月-2002年在籍、81試合出場22得点
加入後の14試合で8ゴールを挙げたゴールハンター。わずか2日前に加入していたハートソンと良いコンビを築き上げ、ゴール前での嗅覚を発揮。頑強なCFというタイプではなかったが、一瞬の切れを武器にして勝負強いところをアピールした。長く怪我に苦しんだ後、2001-02年シーズンのチャールトン戦でハットトリックを決めた活躍は語り種となっている。3度のレンタルを経て無償で放出され、ブライトンに拾われた。イングランドU21代表7キャップ
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Kovac, Radoslav ラドスラフ・コバッチュ
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ポジション:MF/DF
生年月日:1979年11月27日 プラハ出身
所属クラブ:シグマ・オロモウツ〜スパルタ・プラハ〜スパルタク・モスクワ〜ウェストハム
代表歴:チェコ代表25試合1得点
在籍:2009年1月-年在籍、試合出場得点
2009年1月にスパルタク・モスクワから借りてきた長身のセンターハーフ。ロングフィードを得意とし、恵まれた体躯を活かしてセンターバックとしてもプレーできる。2004年からチェコ代表となり、2006年のW杯ドイツ大会やユーロ2008にも出場している。191センチ
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Kuciak,Dusa ドゥーサン・クチャク
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2005年1月にスロバキアのMSKジリナから借りて来たスロバキアU19代表のGK。
1985年5月21日生まれ。194センチ87キロ。
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