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Labant,Vladimir ウラジミール・ラバント
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ポジション:DF
生年月日:1964年6月8日生まれ
所属クラブ:スパルタ・プラハ〜ウエストハム〜スパルタ・プラハ〜ラピッド・ウイーン
在籍:2002年1月-2003年7月、15試合出場
代表歴:スロバキア代表26キャップ2得点
2002年にチェコのスパルタ・プラハから£90万でやって来たスロバキア代表のベテラン左サイドバック。堅実なDFと機を見たオーバーラップを売りにしてウインターバーンからポジションを奪った。
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Lampard,Frank Snr フランク・ランパード・Snr
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ポジション:DF
生年月日:1948年9月20日
所属クラブ:ウエストハム〜サウスエンド・ユナイテッド
在籍:1965年〜85年、660試合出場22得点
代表歴:イングランドU23代表4キャップ、A代表38キャップ10ゴール
クラブの伝説的サイドバック。1967〜85年までファーストチームに在籍し、リーグ・カップを合わせて計663試合に出場した(21得点)。1967年11月にトップデビューを果たし、ほどなくレギュラーポジションを獲得。1972年10月のユーゴスラビア戦でイングランド代表にも名を連ねた。歴代の試合出場数ではビリー・ボンズに次ぐクラブ第2位。強烈な左足のキックを武器にした左サイドバックとして活躍、1980年のFA杯準決勝ではエバートンを相手に決勝への切符をつかむ貴重なゴールも挙げている。その時エランドロードのコーナーフラッグを回った喜びのパファーマンスは、ゴールとともに語り種となっている。のちに義兄弟ハリー・レドナップのもとで助監督を務めた。息子フランク・ランパード・Jrもクラブの生え抜きとして育ち、イングランド代表にまで成長した。1985年にB・ムーアが率いていたサウスエンドに移籍し、1シーズン限りで引退。1994年にクラブへ戻り、レドナップ政権の助監督となった。
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Lampard Jr,Frank フランク・ランパード・ジュニア
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ポジション:MF
生年月日:1978年6月20日
在籍:1994-2001年在籍、186試合出場39得点
所属クラブ:ウエストハム〜スウォンジー(レンタル)〜ウエストハム〜チェルシー
代表歴:イングランド代表48キャップ12ゴール
クラブ伝説の左SBであり、助監督であった父を持つサラブレッド。94年にアプレンティスとして加入。96年1月のコベントリー戦で、17歳にしてトップデビューを果たし、一躍注目を集める。同年のFAユースカップでは準優勝を遂げたチームの主力としてリオ・ファーディナンドらとともに著しい活躍を見せた。
期限付きで移籍したスウォンジーで修行を積み、トップに定着。視野の広いMFで、正確でスピーディーな展開力を持つ。これからのイングランド代表の軸を担う存在としても期待を集める。前線への推進力にも長け、数々の貴重なゴールも生んで来た。イングランドU18,U21代表時代には、主将も務めた。
2000-01年シーズン終了後に、叔父のハリーレドナップ監督と助監督だった父がクラブを去ったのを受けて、自らもチェルシーへ移籍。スタンフォード・ブリッジで大きな成長を見せてイングランド代表の主軸にまで成長した。
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Lastuvka, Jan ヤン・ラシュツフカ
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ポジション:GK
生年月日:1982年7月7日生まれ
在籍:2008-09年在籍、試合出場
所属クラブ:所属クラブ:MFKカルビナ〜バニク・オストラバ〜シャフタル・ドネツク〜フラム(レンタル)〜ボーフム(レンタル)〜ウェストハム(レンタル)
代表歴:U16〜U21チェコ代表キャップ
リチャード・ライトが古巣イプスウィッチに戻ったため、ミクロスコの推薦で借りてきたクラブ史上3人目となるチェコ人ゴールキーパー。シャフタル・ドネツクでは常に控えの存在であったが、2006-07年シーズンにはフラムでのプレー経験もあり、昨季は小野伸二が所属するボーフムで25試合に出場し、UEFA杯出場権獲得に貢献した。バックアッパーとしての立場をわきまえた上での移籍であり、ウォーカーとベンチの座を争う。191cm87kg
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Lazaridis, Stanley スタンリー・ラザリディス
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ポジション:MF
生年月日:1972年8月16日生まれ
在籍:1995-99年在籍、86試合出場4得点
所属クラブ:ウエスト・アデレード〜ウエストハム〜バーミンガム〜パース・グローリー
代表歴:オーストラリア代表64キャップ
オーストラリア人のウインガー、またはMF。ウエストハムでは必ずしもその能力を発揮出来ていたとは言い難い。左ウイングとして加入したが、右サイドバックや右MFなどを任されることも多く、フルシーズンでの完全なるレギュラーとはならなかった。95年夏、30万ポンドでウエストアデレードから加入。きっかけはオフシーズンに行われたオーストラリアツアーで対戦相手だったスタンの働きが余りに顕著だったため。1999年に£150万でバーミンガムへ移籍。
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Lee,Robert ロバート・リー
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ポジション:MF
生年月日:1966年2月1日ウエストハム生まれ
在籍:2003年8月〜2004年11月、19試合出場
所属クラブ:チャールトン〜ニューカッスル〜ダービー〜ウエストハム〜オールダム〜ワイコム
代表歴:イングランド代表21キャップ2得点
中盤であれば中央もサイドもこなす万能型MF。守備的な選手であるが、前線に絡む意識も強く、豊富な運動量と正確な技術でつなぎ役となる。
ニューカッスルなどで活躍し、イングランド代表として1998年の仏W杯にも参加。ダービーでの生活を経て、2003年に移籍金なしでアップトンパークへやって来た。178センチ73キロ。
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Leslie, Lawrie ローリー・レスリー
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ポジション:GK
生年月日:1935年3月17日エジンバラ生まれ
在籍:1961年8月〜1963年11月、61試合出場
所属クラブ:チャールトン〜ハイバーニアン〜エアドリー〜ウエストハム〜ストーク。シティ〜ミルウォール〜サウスエンド
代表歴:スコットランド代表5回
1961年に1万4000ポンドで獲得したスコットランド代表のGK。1961−63年の間にリーグ、カップを合わせて61試合に出場した。非常に勇気ある選手で、少年期には足の病を患ったにもかかわらず、医者に歩けるようになっただけもラッキーだと言われていた。足の骨折が直った後、63年にストーク・シティに加入時と同じ金額で売られていった。サウスエンドやミルウォールでもプレーを続け、しばらくは指導者ともなっていた。
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Ljungberg, Fredrik フレドリク・リュングベリ
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ポジション:MF
生年月日:1977年4月16日
所属クラブ:ハルムスタッド(1994-98)〜アーセナル(1998〜2007)〜ウエストハム〜シアトル・サウンダース
在籍:2007年7月〜2008年
代表歴:スウェーデン代表67回13得点(2002,2006年W杯出場)
2007年夏にアーセナルから300万ポンドで獲得したベテランMF。若返りを進めるアーセナルにあって出場機会を減らしていていたことから移籍を決断した。中盤であれば両サイドのみならず中央でもプレーできる。
堅実かつシンプルなプレーと強引な突破を見せるバランスに優れており、セカンドトップしても機能する。アーセナルでは2度のリーグ制覇を経験した他、スウェーデン協会の年間MVPにも2度輝いている。長くスウェーデン代表で主将を務めており、2002年2006年のW杯に出場。4年契約で加入したが、クラブ最高の高給取りであったがゆえに1シーズンプレーしただけで契約解除となり、米国へ新天地を求めた。176センチ75キロ。
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Lock, Kevin ケビン・ロック
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ポジション:DF
生年月日:1953年12月27日
所属クラブ:ウエストハム〜フラム〜サウスエンド・U
在籍:1971年12月〜1978年5月
1970年代のDF。ユース育ちで1971年12月にプロ契約を果たし、イングランドU23代表に選ばれるなど、将来を嘱望されていた。ボビー・ムーアの控えという立場が長く続いたが、ムーアが去った時期を中心に160試合を経験。ムーアの6番を引き継いだことも話題となった。ムーアと同じくフラムへ6万ポンドで移り、後にムーアが監督を務めたサウスエンドでもプレーした。引退後はノンリーグでコーチをしながら、エセックスでパブを経営している。
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Lomas, Steve スティーブ・ローマス
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ポジション:MF
生年月日:1972年3月14日ドイツ・ハノーバー出身
所属クラブ:マンチェスター・C〜ウエストハム〜QPR〜ボーンマス
在籍:1997年3月〜2005年、187試合出場10得点
代表歴:北アイルランド代表45キャップ3ゴール
疲れを知らないハードワーカー。1997年3月にマンチェスター・Cから£160万で加入。ボランチからサイドバックまでをこなし、粘り強いハードな守備が持ち味。レドナップ監督の時代にはキャプテンとして中盤の仕切り役を任されていた。激しい闘志をもって試合に挑み、周りを叱咤激励する。多少ファウルが多い傾向にあるのがタマに傷。ドイツのハノーバー生まれ。183cm
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Lutton, Bertie バーティー・ルットン
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ポジション:FW
生年月日:1950年7月13日
所属クラブ:ウルブス〜ブライトン〜ウエストハム〜ブライトン
在籍:1973年〜1974年12試合出場1得点
わずか12試合だけに登場、期限付きでやってきた70年代のウインガー。ウエストハムで初めての北アイルランド代表選手。ブライトンから加入し、1973年2月のノーリッジ戦でデビューした。
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Lyall,John ジョン・ライオル
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ポジション:DF
生年月日:1940年2月24日生まれ
ウエストハムの第5代監督。1977年から1989年までの12シーズンに渡り指揮を執った。元々は1955年8月にグラウンド・スタッフとしてクラブに加入。
トップチームでは、わずか31試合に出場したに留まっている。慢性的な故障が原因となり、23歳で早期の現役引退を強いられ、コーチに転身した。ロン・グーリンウッド監督の庇護の下、当初はユースチームをコーチ。74年からはトップチームのスタッフに加わった。77年にグリーンウッド監督がイングランド代表監督に就任するために退任すると、その座を引き継ぐことに。
スタートの年に2部降格を経験したが、以後は80年に3度目のFA杯優勝へと導き、翌年は1部復帰とリーグ杯準優勝という結果を残した。
85-86年シーズンには、クラブ史上最高位となる3位に導いた。だが、1989年6月にチームを再び2部へ落とすと、責任を問われて解任された。通算34年もの間ウエストハムで働き、1990年にはイプスウィッチの監督に就任。トッテナムやイングランド代表チームのスカウトも行なってきた。2006年4月、心臓病のために急逝した。
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