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Malcolm,Andy アンディ・マルコム
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ポジション:MF
生年月日:1933年5月4日
所属クラブ:ウエストハム〜チェルシー〜QPR〜ポートエリザベス(南アフリカ)〜ブレントウッド
在籍:1953-62年、306試合出場4得点
1950-60年代初頭まで在籍したランフォード生まれの右ウイングで、初代ハマー・オブ・ジ・イヤー受賞者。ハードマークを得意とし、破壊屋とも呼ばれた。ジミー・グリーブスらと名勝負を繰り広げたが、グリーンウッド監督にはそれ程高い評価をされなかった。決してクリーンな選手とは言えなかったが、ボールを奪うことに長けていたのは間違いなかった。57-58年シーズンの2部リーグ優勝などに貢献。
1961年11月にロン・ティンドールとの交換でチェルシーへと移った。引退後は南アフリカでの暮らしを選んでいる。
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Macari,Lou ルー・マカリ
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ポジション:MF
生年月日:1949年6月4日
選手歴:セルティック〜マンチェスターU
監督歴:スウィンドン・タウン〜ウエストハム〜バーミンガム・C〜ストーク・シティ〜セルチック〜ストーク〜ハダーズフィールド・T
クラブの歴史の中で最も短命に終わった監督にして唯一のスコッチ。在任期間は1989年7月から1990年の2月までというわずか8ヶ月。前任のスウィンドン・タウンでの賭け事に関わるスキャンダルのために辞任した。短い中でもイアン・ビショップ、トレヴァー・モーリー、ルデック・ミクロスコなど、その後もアップトンパークで長く愛された選手たちを獲得してきた。また、リーグ・カップでも準決勝にまで導いた功績は忘れてはならない。現役時代はセルチック、マンチェスター・Uなどで活躍した。3人の息子はいずれもプロになっているが、三男はノッティンガムを解雇された直後に自殺している。
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Macaulay,Archie アーチー・マコーレー
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ポジション:FW
生年月日:1915年7月20日
所属クラブ:グラスゴー・レンジャース〜ウエストハム〜ブレントフォード〜アーセナル〜フラム
在籍:1937-46年、83試合出場29得点
指導歴:グルドフォード・シティ〜ノーリッジ・シティ〜WBA〜ブライトン&HA
1937年6月に6千ポンドでグラスゴー・レンジャースから加入したスコットランドのウイングハーフ。戦中期を挟んでプレーし、83試合で29ゴールを記録した。戦後間もない1946年10月にブレントフォードへ移り、1947年7月にはアーセナルへ。ハイベリーでは、移籍したそのシーズンにリーグ優勝の美酒に預かった。アーセナルで103試合で1ゴールという数字を残し、1950年6月にフラムへと去った際には1万ポンドの移籍金が動いた。 1953年にはギルドフォード・シティで選手兼監督を務めた。スコットランド代表。
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Mackay,Malky マルキー・マッケイ
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ポジション:DF
生年月日:1972年2月19日ベンシル出身
所属クラブ:クイーンズ・パーク〜セルティック〜ノーリッジ〜ウエストハム〜ワトフォード
在籍:2004年9月-2005年8月、22試合出場2得点
代表歴:スコットランド代表3キャップ
2004年9月10日に移籍金£0.3mでノーリッジから獲得したセンターバックで、頑強な体躯を武器にゴール前での岩となるタイプ。グラスゴーのクイーンズ・パークでキャリアを始め、その後セルティックへ。
だが、トップでの出場機会をなかなか得られず、1998年にレンタルでノーリッジへ移っていた。昨季はレギュラーとしてノーリッジの昇格に貢献し、2004年に32才で初めてスコットランド代表に召集された。
今期はサイモン・チャールトンとガリー・ドハティの加入によりベンチを温める日が多く、コベントリーへの移籍話も出ていたが、急遽アップトンパークへ行くことを決めた。
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Marquis,Paul ポール・マルキス
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ポジション:DF
生年月日:1972年8月29日
在籍:1989年8月〜1994年3月、1試合出場0得点
所属クラブ:チェスハント〜ウエストハム〜ドンカスター・R〜ゲイツヘッド
1989年夏にノンリーグのチェスハントから加入したフルバック。ポール・マッカートニーに似ていると言われた。1992年にイプスウィッチを迎えて行なわれたレイ・スチュワートのテスティモニアル・マッチでアップトンパークのピッチに初めて立ったが、公式戦に出場したのは1994年2月12日メインロードでのマンチェスター・C戦(0-0)のみ。専門は左サイドバックで、センターバックでもプレーできた。幾度も肩を怪我して思うようにコンディションが整わず、1994年3月にドンカスターへ放出された。その後、ノンリーグのクラブに移り、1997年に引退した。
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Marsh,Michael(Mike) マイク・マーシュ
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ポジション:MF
生年月日:1969年7月21日、リバプール出身
所属クラブ:リバプール〜ウエストハム〜コベントリー〜ガラタサライ〜サウスエンド
〜キダミンスター〜サウスポート〜ボストン・U
在籍:1993年9月〜1994年12月、61試合出場2得点
ジュリアン・ディックスとの交換要員としてデイビッド・バロウズと共に1993年9月に加入した小柄なミッドフィルダー。確かなスキルと献身的な働きはファンからも高い評価を得ていた。ウエストハムでの1年はほぼレギュラーとして働き、1994年に4万5千ポンドでコベントリーに移籍。英国人選手としては珍しくトルコでもプレーしたが、深刻な膝の怪我によりサウスエンド在席時に早すぎる引退を強いられた。とはいえ、アマチュアとしてプレーを続けたキダミンスター・ハリアーズでは、元リバプールのジョン・モルビューの下で2000年5月にディビジョン3昇格を勝ち取るが、怪我のために再びフットボール・リーグでプレーする願いは叶わなかった2003年からはバースカフで指揮を執っている。
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Marshall,James ジャイムス・マーシャル
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1935年にレンジャースから加入したアタッカー。医師の資格を持っていたため「ドク」と呼ばれた。メディカル・スタッフでありながら選手であった唯一の選手。
チャーリー・ペインター監督にインサイド・ライトのポジションを与えられたが、医師業に専念するため1938年にスパイクを脱いだ。
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Martin, Alvin アルヴィン・マーティン
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ポジション:DF
生年月日:1958年7月29日
在籍:1976年7月-1996年5月、577試合出場33得点
所属クラブ:ウエストハム〜レイトン・オリエント
代表歴:イングランド代表17試合
14歳でクラブに入り、80年代のカップ戦での栄光や1部昇格への貢献が光ったセンターバック。イングランド代表として86年のメキシコW杯にも出場。決勝トーナメント1回戦のパラグアイ戦で先発出場を果たしている。パワフルで空中戦にも強く、攻撃参加も得意だった。多くの怪我にも見舞われてきたが、38歳になるまで現役でプレーした。1985-86シーズンのニューカッスル戦では3人の異なるGKから1点ずつを挙げてハットトリックを達成するという珍しい記録を作っている。1997-99年にはサウスエンドの監督を務めた。息子デイビッドはリバプールの第3GK。
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Martin,Dean ディーン・マーティン
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イズリントン生まれのMF。1991年にアマチュアのフィッシャー・アスレティックから£2万5000で獲得したが、出場は3試合のみでコルチェスターへ貸し出し、ケタリングへ放出した。
1972年8月31日生まれ。
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Mascherano, Javier ハビエル・マスケラーノ
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ポジション:MF
生年月日:1984年6月8日
所属クラブ: リバープレート〜コリンチャンス〜ウエストハム〜リバプール
在籍:2006年9月-2007年1月、15試合0
代表歴:アルゼンチン代表20試合
2006年夏に同胞のテベスと共に期限付きで加入したアルゼンチン代表のボランチ。
2001年のU17選手権と2003年のワールドユースで活躍したことから、リーベルのトップチームで出場機会を得る前にフル代表入りしたという変わった経歴を持つ。2004年にはアテネ五輪で金メダルを獲得し、2006年にはW杯ドイツ大会でもレギュラーとして5試合に出場している。178センチ77キロ
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Mautone,Steve スティーブ・モートン
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ポジション:GK
生年月日:1970年8月10日
代表歴:オーストラリアU23代表3回
在籍:1996年3月〜1997年2月、3試合出場0得点
所属クラブ:カンブレラ・コスモス〜ウエストハム〜クルー(レンタル)〜レディング(レンタル)〜ウルブス〜クリスタル・パレス〜ジリンガム〜スラウ〜バリー・T
1996年3月にバックアッパーとして加入したオーストラリア人GK。3万ポンドで獲得したものの、ミクロスコやシーリーらの存在からベンチに入る機会も少なく、リーグカップの2試合とリーグ戦1試合に出場しただけで2度のレンタルに出され、レディングへ25万ポンドで完全移籍している。但し、レディングでは開幕前に怪我をして、以後はピッチに立たないままウルブスへと移ってしまった。
1996年3月にバックアッパーとして加入したオーストラリア人GK。3万ポンドで獲得したものの、ミクロスコやシーリーらの存在からベンチに入る機会も少なく、リーグカップの2試合とリーグ戦1試合に出場しただけで2度のレンタルに出され、レディングへ25万ポンドで完全移籍している。但し、レディングでは開幕前に怪我をして、以後はピッチに立たないままウルブスへと移ってしまった。
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McAlister,Tom トム・マカリスター
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ポジション:GK
生年月日:1952年12月10日
所属クラブ:シェフィールド・U〜ロザラム〜ブラックプール〜スウィンドン・タウン〜ブリストル・ローバース(レンタル)〜ウエストハム〜コルチェスターU
在籍:1981年5月-1989年、85試合出場
スコットランド人ゴールキーパー。8シーズンに渡って在籍しながら4年目と7年目のシーズンだけ定位置を掴むと言う珍しいキャリアを築いた。
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McAnuff,Jobi ジョビ・マッカナフ
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ポジション:MF
生年月日:1981年11月9日、エドモントン生まれ
所属クラブ:MKドンズ〜ウエストハム〜カーディフ・シティ〜クリスタル・パレス〜ワトフォード
在籍:2004年2月-8月、14試合出場1得点
代表歴:ジャマイカ代表1キャップ
2004年2月にナイジェル・レオ・コッカー、アダム・ノーランドと同時期に£300でMKドンズより獲得したMF。ウィンブルドンのユース時代にはストライカーとして育てられ、後に右のサイドハーフに転向。2001年8月にトップデビューを果たした。パワフルな右足のシュートを武器としており、ジャマイカ代表としてもプレーしていた経験を持つ。 2004年8月にウエストハムでのデビュー戦の相手でもあったカーディフへ移籍。
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McAvennie, Frank フランク・マカベニー
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ポジション:FW
生年月日:1959年11月22日
在籍:1985-87年&89-92年シーズン、計164試合57得点
所属クラブ:Stミレン〜ウエストハム〜セルチック〜ウエストハム〜アストンビラ〜スウィンドン
85-86シーズンにクラブ史上過去最高の3位となる原動力となっのが、トニー・コッティーと、このフランク・マカベニーの2トップ。このシーズンはコッティーが20点、マカベニーが26点を挙げるという大活躍でチームを牽引した。だが、このブロンドのストライカーは酒とドラッグに溺れ、4年に渡りコカイン中毒にもあった。その奔放な振る舞いはイーストエンダーの支持を集める一因ともなったものの、クラブ上層部には目を付けられた。子供の頃からの憧れだったセルティックへ一時期移ったが、ビリー・ボンズ監督によって移籍金無しで呼び戻された。最後の試合となったノッティンガム戦では、後半から出場してハットトリックという離れ業を演じて見せた。
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McCartney,George ジョージ・マッカートニー
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ポジション:DF
生年月日:1981年4月29日
在籍:2006年-
所属クラブ:サンダーランド〜ウエストハム
代表歴:北アイルランド代表
2006年に獲得したユーティリティー・ディフェンダー。サイドバックとして頭角を現したが、センターでも高い能力を発揮する。ウェストハムでは懸案とされていた左サイドバックに定着し、監督との確執から辞退していた北アイルランド代表にも復帰している。
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McCartney,George ベネディクト・マッカーシー
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ポジション:FW
生年月日:19年月日
在籍:2010年-
所属クラブ:ポルト〜ブラックバーン〜ウエストハム
代表歴:南アフリカ代表
2010年に。
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McClenahan,Trent トレント・マクレナーン
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ポジション:DF
生年月日:1985年2月4日生まれ
所属クラブ:ウエストハム〜MKドンズ(レンタル)〜ヒアフォード
在籍:2003-06年、3試合出場0得点
ユース育ちのオーストラリア人ディフェンダー。2003年7月にプロ契約を果たし、2005年のワールドユース、オランダ大会ではオーストラリアU20代表の主将として日本と同組で戦った。
左サイドバックを本職とし、センターでもプレーできる。2005年3月よりミルトンキーンズ・ドンズにレンタルされている。
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McDougall, Ted テッド・マクダゴール
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ポジション:FW
生年月日:1947年01月08日
在籍:1972年3月-1973年4月、25試合5得点
所属クラブ:リバプール〜ヨーク〜ボーンマス〜マンチェスター・U〜ウエストハム〜ノーリッジ〜サウサンプトン〜ボーンマス〜ブラックプール
代表歴:スコットランド代表7キャップ
フランク・オファレルのつてによりマンチェスター・Uから加入したスコットランド人ストライカー。クラブ史上最高の£17万を費やして獲得した。
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McDowell, John ジョン・マクドウェル
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ポジション:DF
生年月日:1951年9月7日イーストハム出身
所属クラブ:ウエストハム〜ノーリッジ
在籍:1969年月-1979年8月、試合得点
アカデミー出身の右サイドバック。1970年に19歳でトップデビュー。1975年のFA杯制覇の頃までは、不動の地位を築いていた。アフロヘアーが特徴。
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McGiven, Mick ミック・マクギブン
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ポジション:DF
生年月日:1951年2月7日
在籍:1973年3月-1979年4月、48試合0得点
所属クラブ:サンダーランド〜ウエストハム〜〜
代表歴:スコットランド代表7キャップ
フた。カーリーヘアのセンターバック。ニューカッスルの出身でサンダーランドのアカデミーで育ち、10代でプロデビュー。ウェストハム加入当初からバックアッパーという位置づけで、6シーズンの在籍期間にさほど出場機会に恵まれた選手ではなかった。
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McKnight,Allen アレン・マクナイト
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ポジション:GK
生年月日:1964年1月27日
所属クラブ:セルティック〜ウエストハム〜エイドリオリアンズ
在籍:1988年-1991年、23試合出場
セルティックから25万ポンドを費やして獲得した若き北アイルランド人GK。1988-89年シーズン当初は、正位置をつかんでいたが、目立つミスが多くサポーターがブーイングを頻発。それに耐えかねて不満を漏らすと、以降はベンチにも入れなくなった。
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Mean,Scott スコット・ミーン
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ポジション:MF
生年月日:1973年12月17日
所属クラブ:ボーンマス〜ウエストハム〜ポートベイル(レンタル)〜ボーンマス〜クロウリー
在籍:1996年5月-1999年8月、4試合出場0得点
1996年にボーンマスから10万ポンドで獲得したミッドフィルダー。
レドナップがボーンマス時代から高く買っていた選手で、戦術理解度が高く、 パスセンスに長けているとの評であったが、怪我のために満足な働きを 見せることはなかった。ビショップやマイケルヒューズとも重なるスタイル
であったことも災いし、3年の在籍期間にほとんど姿を見せることなく1999年8月に古巣ボーンマスへ無償で出された。 とはいえ、慢性化した怪我を繰り返し、そのシーズン限りでフットボール・リーグでのプレーは終わっている。
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Mears,Tyrone タイロン・メアーズ
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ポジション:MF
生年月日:1983年2月18日ストックポート出身
所属クラブ:マンチェスター・シティ〜プレストンNE〜ウエストハム〜ダービー(レンタル)
在籍:2006年7月-2007年6月 、5試合出場0得点
2006年夏にプレストンから獲得した懸案の右サイドバック候補。 当初の移籍金は£1mであったが、今後の出場数や代表招集に応じて£0.9mの上乗せがオプションとして組み込まれた。
マンチェスター・シティのユースで育ち、前監督のケビン・キーガンによってファースト・チームに引き上げられた。トップデビューは2002年3月のノッティンガム戦であったが、メインロードでの試合出場はその一度だけ。2002年7月に£20万でプレストンへ移籍していた。プレストンでは通算70試合に出場して4得点。昨季は37試合で2得点。レギュラーを掴んだのは2年前から。ウェストハムでは殆ど出場機会を得ることが出来ず、2007年1月にプレストン時代の師ビリー・デイビースが率いるダービーに貸し出された。
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Melville,Andy アンディ・メルヴィル
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ポジション:DF
生年月日:1968年11月29日
所属クラブ:スウォンジー−オックスフォード−サンダーランド−ブラッドフォード−フラム
−ウエストハム−ノッティンガム
在籍:2004年1月-2005年1月 、21試合出場0得点
代表歴:ウェールズ代表65キャップ、3ゴール
2004年1月にイアン・ピアースを放出した際に交換で獲得したウェールズ代表のDF。頑強で、決して当たり負けのしない典型的センターバック。代表歴は長く、マーク・ヒューズやサウスオールらと共に多くの国際舞台で活躍した。1991年にウェールズ代表の一員として来日経験あり。
トップチームでの出場機会を求めて2005年にノッティンガムへのレンタルを決意。そのまま契約切れとなったが、ノッティンガムでも再契約とはいかずに引退した。2004-05年在籍、カップ戦を含めて21試合に出場。
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Miklosko, Ludek ルデック・ミクロスコ
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ポジション:GK
生年月日:1961年12月9日生まれ
在籍:1990年2月−1998年12月 365試合出場
所属クラブ:バニク・オストラバ〜ウエストハム〜QPR
代表歴:チェコスロバキア代表41回、W杯イタリア大会出場
1990年代を通じて最も安定した活躍を見せた選手。愛称はルード。わずか£30万で獲得。どっしりとゴールマウスに構えて、安定したセーブやキックを披露。守備範囲が広いわけではないが、確実性を重視した安全なプレーは数多くのピンチを救ってきた。ヒスロップの台頭のため、QPRへ移籍した。
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Mikolanda,Petr ペトル・ミコランダ
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2005年夏のスウェーデン・ツアーに帯同してテストに合格したチェコ人アタッカー。 母国のビクトリア・ジツコフでプレーしていたが、プレミアでのプレーに憧れて渡英。PSMでゴールを挙げるなど確かな結果を残して契約にこぎつけた。
1984年9月12日生まれ。
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Milne,Ralph ラルフ・ミルン
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ポジション:MF
生年月日:1961年5月13日ダンディー生まれ
所属クラブ:ダンディー・U〜チャールトン〜ブリストル・C〜マンチェスター・U〜ウェストハム(レンタル)〜星島(香港)
在籍:1990年、1試合出場0得点
マンUから借りて来たスコットランド人ハーフ。ダンディーUが欧州の舞台に立った際にはゴールを量産する大活躍を見せたが、何故かスコットランド代表には縁がなく、後にファーガソン監督がメキシコに連れて行くべきだったと述懐した。
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Minto, Scott スコット・ミント
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ポジション:DF
生年月日:1971年8月6日
所属クラブ:チャールトン〜チェルシー〜ベンフィカ〜ウエストハム〜ロザラム
在籍年:1999年1月-2003年、55試合出場0得点
代表歴:元イングランドU21代表
99年1月に100万ポンドでポルトガルのベンフィカから獲得したDF。引退したディックスの後を受けて左サイドバックのポジションに入った。アウトサイドを任せるには守備的なため、レドナップ監督には状況によってケレールと併用されることが多かった。在籍時には膝の怪我に悩まされ、なかなかシーズンを通して働くこともできずにいた。
2003年に戦力外通告を受け、ロザラムへ移った。先発で48試合、交代で7試合、計55試合に出場している。
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Mitchell,Paul ポール・ミッチェル
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ポジション:DF/MF
生年月日:1971年10月20日
在籍:1993年8月〜1996年3月、1試合出場0得点
所属クラブ:ボーンマス〜ウエストハム〜ボーンマス〜トーキー・U〜バリー・タウン
イングランド・ユース代表の経験もあった右サイドバック。1993年に40万ポンドで生まれ育ったボーンマスから獲得。右サイドなら中盤もこなせる器用さを持っていたが、1994年4月27日のホームでのブラックバーン戦(1-2で敗戦)に交代出場しただけでベンチにも定着できずに終わった。1996年に古巣ボーンマスへ復帰。
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Moncur, John ジョン・モンカー
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ポジション:MF
生年月日:1966年9月22日
所属クラブ:トッテナム−〜ドンカスター〜ケンブリッジ〜ポーツマス〜ブレントフォード〜イプスウィッチ 〜ノッティンガム〜スウインドン〜ウエストハム〜
在籍年:1994年6月(£85万)-2003年5月、197試合出場9ゴール
代表歴:なし
激しい気性で、「荒くれ」の異名を取ったMF。相手のキーマンに張り付き、しつこく削っていくプレーは、カードと紙一重で相手から怖れられる。地元のマイルエンド出身で、キャリアのスタートは父親も働くスパーズから。なまりの強いコックニーを話し、6つのクラブにレンタル移籍された経歴も持つ。94年にスウィンドンから加入、テスティモニアル・マッチの権利を前にした2003年シーズン限りで現役を退いた。
ウエストハムでは先発で151試合、交代で46試合。計197試合に出場し9ゴールを記録。
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Moore,Billy ビリー・ムーア
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1920年代に活躍したインサイド・レフト。1922年の夏にサンダーランドから加入。1923年のFA杯決勝進出や1部昇格に貢献した。1923年にはスウェーデン戦でイングランド代表としてもキャップを獲得している。クラブには実に38年に渡って在籍。7年は選手として、3年はトレーナーの補佐として、残りがトレーナーとしての生活だった。1968年9月、プライストゥで永眠。
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Moore,Bobby ボビー・ムーア
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ポジション:DF
生年月日:1941年4月12日生まれ、178cm72kg
在籍:1958-73年在籍、642試合出場
所属クラブ:ウエストハム〜フラム〜サンアントニオ・サンダー〜シアトル・サウンダース
代表歴:イングランド代表108キャップ2ゴール
小さい頃からウエストハムに憧れ、幾度かテストを受けるが、最初の数回は不合格。数度のトライが実り、アプレンティスとして加入。1958年9月のマンチェスター・C戦でデビューしてプロ契約を果たし、ロン・グリーンウッドの監督就任後にレギュラーとなった。
常に冷静沈着。フェアにボールを奪い、的確なフィードを武器にした主将。
1964年プレストンを破りFA杯に初優勝。翌65年にはカップ・ウイナーズ・カップを制覇し、欧州タイトルも獲得した。同年に選手の投票によって選ばれるフットボーラー・オブ・ジ・イヤーに史上最年少(23歳)で輝いている。
2年連続ウェンブリーでカップを掲げ、続く66年にはイングランド代表の主将として地元開催となったW杯でも母国を初優勝へと導き、3年連続となるウェンブリーでの戴冠を実現させた。
ウエストハムではリーグ戦544試合、カップ戦98試合。計642試合に出場し、チームの黄金時代を築いた。
初キャップは62年5月のペルー戦。翌年には若干22歳で主将となり、2度のW杯に出場、メキシコ大会では準々決勝まで進んだ。
イングランド代表では通算108キャップ2ゴール。うち90試合は、主将としてのものだった。74年3月、シーズン途中で25万ポンドで2部のフラムへ電撃移籍。
アップトンパークでの最後は3月16日のコベントリー戦で、サポーターから盛大な拍手で送り出された。フラムには3シーズン在籍し、カップ戦を含めて150試合に出場。75年にはFAカップ決勝に導き、古巣と対戦した。76-77年シーズンをもってイングランド・サッカーからは引退。オフ・シーズンにプレーしたこともあった米国で最後のキャリアを終えた。スパイクを脱いでからは、サウスエンド・Uの監督を2シーズン務めた。
1993年2月24日。ガンのため、わずか51歳で他界。ガンとの闘病生活を公表後、わずか9日後のことだった。現役時代の1967年に王室からOBE勲章を授かっている。
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Moore,Ian イアン・ムーア
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ポジション:FW
生年月日:1976年8月26日
代表歴:イングランドU21代表7キャップ
在籍:1997年、1試合出場0得点
所属クラブ:トランメア〜ブラッドフォード(レンタル)〜ノッティンガム 〜ウエストハム(レンタル)〜ストックポート
フォレストでは100万ポンドの値が付いたストライカー。1997年9月にレンタルで加入し、 ザ・デルで行なわれた翌月のサウサンプトン戦(0-3)で途中出場しただけで、即座に返却された。
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Morley,Trevor トレヴァー・モーリー
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ポジション:FW
生年月日:1961年3月20日、ノッティンガム出身
在籍:1989年12月〜1995年8月、209試合出場69得点
所属クラブ:ノーサンプトン (6/85-12/87)〜 マンチェスター・C (1/88)〜ウエストハム〜レディング〜ブラン・ベルヘン(ノルウェー)〜レディング〜ブラン・ベルヘン
1989年にマンチェスター・Cから5万ポンドで獲得、1993-94年のハマー・オブ・ジ・イヤーに輝いたストライカー。ベテランの域に差し掛かってからも献身的に前線で身体を張り、精力的なランニングを見せていた。決してスピードあるタイプではなかったが、ボックス内での強さやチャンスを嗅ぎ分ける鼻を持っていたし、豊富な経験を活かした抜け目ないゴールが多かった。 1995年にレディングへ放出された。イングランドでのキャリアを終えた後、妻の故郷ノルウェーでプレーしていたが、1998-99年シーズンに際に大怪我に見舞われて40歳を目前にしてスパイクを脱いだ。
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Moroney,Tommy トミー・マロニー
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ポジション:MF/FW
生年月日:1923年11月10日コーク出身、1981年没
在籍:1947年9月〜1953年4月、150試合出場8得点
所属クラブ:コーク・ユナイテッド〜ウエストハム〜エヴァーグリーン
代表歴:アイルランド代表12試合1得点
1949年にイングランドのホームゲームで初めて勝った英国外のチームの一員にして同時にラグビーでもアイルランド代表となっていた万能のスポーツマン。1940年代にフランク・オファレルらと共にコーク・ユナイテッドの黄金期を築き、幾度もアイルランドのタイトルを獲得。1947年にウェストハムに加わり、盟友オファレルと共に2部リーグ時代のチームで中心選手として活躍した。
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Morton,Jackie ジャッキー・モートン
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ポジション:FW
生年月日:1914年2月26日シェフィールド生まれ、1986年没
所属:ゲインズバラ〜ウェストハム
在籍:1931年-1939年、275試合57得点
1930年代に活躍した多才で技術の高いFW。1931年にミッドランドリーグのゲインズボロ・トリニティから£600で加入。インサイドFWや両サイドのウイングをもこなしたが、最も得意としたのは、左ウイングであった。1937年12月にはイングランド代表のユニフォームを着てチェコスロバキア戦に出場し、1ゴールを挙げている。
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Mullins, Hayden ハイデン・マリンズ
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ポジション:DF/MF
生年月日:1979年3月27日レディング生まれ
在籍:2003年10月-200?
所属クラブ:クリスタルパレス〜ウエストハム
加入前の2シーズンで、連続してイーグルスのプレイヤー・オブ・ジ・イヤーに輝いた有望株。レディング出身だが、キャリアのスタートはセルハースト・パークで。
移籍前にはバーミンガムやポーツマスへの移籍話もあった一方で、イーグルスは契約延長を望んでいたが、マリンズ自身がこれを拒絶していた。センターバックや中盤のセンターでもプレーできる。
当初は期限付き移籍だったが、すぐに完全移籍にシフト。両サイドバックから中盤でも使われた。
早速のデビュー戦となったフォレスト戦では右SBに入ったが、センターのポジションでもプレーでき、プレミアリーグに昇格後は中盤の守備的な役割を忠実にこなして完全なるレギュラーとなった。
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Musgrove, Malcolm マルコム・マスグローブ
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ポジション:MF
生年月日:1933年7月8日生まれ、2007年9月14日
在籍:1953年12月-1962年、283試合84得点
所属クラブ:空軍〜ウエストハム〜レイトン・オリエント
1953年に空軍を退役して加入。翌年にトップデビューを果たし、得点力の高い左ウイングとして高い人気を誇った。1963年にレイトンオリエントへ移籍すると同時にPFAの会長に収まったことは有名。
引退後はアストンビラでコーチとなり、レスターやマンチェスター・Uではウェストハム時代のチームメイトだったフランク・オファレルの下で助監督を務めた。1973年から3シーズンに渡ってトーキー・Uの指揮を執っている。晩年はエクセターやプリマスで仕事をした後、長くアルツハイマー病と闘い、2007年に逝去した。
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