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Paddon,Graham グレアム・パッドン
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ポジション:MF
生年月日:1950年8月24日、マンチェスター生まれ
所属クラブ:コベントリー〜ノーリッジ・C〜ウエストハム〜ノーリッジ・C〜タンパベイ・ローダース(米国/レンタル)〜ミルウォール(レンタル)〜イースタンAA(香港)
在籍:1973-76年、115試合11得点
トレヴァー・ブルッキングやビリー・ボンズの良き理解者であり、1970年代半ばに活躍したMF。1975年のFA杯優勝メンバーの一人。中盤からの前線への突進力が持ち味だった。1973年にノーリッジ・シティから17万ポンドとテッド・マグダゴールとのトレードという条件で加入。リーグ、カップ戦を合わせて150試合に出場している。1976年11月に11万ポンドを残してノーリッジへと戻っていった。引退後はポーツマスでコーチを務めた後、ダービーでスカウトとして働いた。2007年11月19日ノーフォークの自宅で天に召されている。
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Paintsil,John ジョン・ペイントシル
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ポジション:DF
生年月日:1981年6月15日
所属クラブ:ベレカム・アーセナル〜リバティ・プロフェッショナルズ〜ヴィエフ・ウッジ(ポーランド)
〜マッカビ・テルアビブ〜ハッペル・テル・アビブ〜ウエストハム
在籍:2006-2008年、試合出場得点
代表歴:ガーナ代表29試合
2006年夏に獲得したガーナ代表の右サイドバック。(ベナユンの推薦があったとされる。)また、センターや左サイドでもプレーできる有用性を持つ。ユース年代では2001年のワールドユース準優勝に貢献し、すぐにフル代表へ昇り詰めた。2006年のW杯ドイツ大会でも全4試合に出場し、ガーナ躍進の立役者となった。毎年のスウェーデン・ツアーに同行してテストに合格した。在籍初年度は殆ど出場機会に恵まれなかったが、2007-08年シーズンは怪我人の続出も手伝い出場機会を増やし、ファンからの評価も高かった。178センチ79キロ。
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Pardew,Alan アラン・パードゥ
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ポジション:DF
生年月日:1961年7月18日ウィンブルドン生まれ
所属クラブ:ダルウィッチ・ハムレット〜イョービル・タウン〜ウインブルドン〜クリスタル・パレス〜チャールトン〜トッテナム(レンタル)〜バーネット〜レディング
監督歴:レディング〜ウェストハム(2003-06)〜チャールトン
選手としてのキャリアはアマチュアのイョービル・タウンでスタート。£7,000で地元のウインブルドンに買われた後、クリスタル・パレス、チャールトン、バーネットとロンドンのクラブを渡り歩いた。イーグルス時代の1990年には、FA杯でクラブ史上初の決勝進出に貢献。
レディングでは、2度に渡っての監督代行を務めた後、1999年10月より正式な監督に就任。1年目10位、2年目は3位と順位を上げ、3年目の2001-02年シーズンは2位となり、ディビジョン1昇格を果たした。その実績から2003年9月よりウエストハムに請われて移籍。ブルッキング監督代行の後を受けてクラブ10代目の監督に就任した。就任1年目はプレーオフ決勝で敗れ、翌年に再びプレーオフを経てのプレミアリーグ復帰を果たした他、2006年には1980年以来となるFA杯決勝の舞台に連れて行き、リバプールと壮絶な死闘を繰り広げたことは後世に語り継がれる功績。
ベンゲル監督との舌戦やゴール後のお尻を振るパフォーマンスは話題となった。180cm69kg。
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Parker,Scott スコット・マシュー・パーカー
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ポジション:MF
生年月日:1980年10月13日、出身
所属クラブ:チャールトン〜ノーリッジ(レンタル)〜チャールトン〜チェルシー〜ニューカッスル
〜ウエストハム
在籍:2007-20年在籍、試合出場
代表歴:イングランド代表3キャップ
2007年オフに獲得した元イングランド代表MF。豊富な運動量とシンプルな展開力が魅力のリンクマン。移籍金は700万ポンドとされる。パーカー本人がロンドンへ戻りたがっていたことに加え、育ての親といえるカービシュリー監督の存在が決め手となった。体幹の太さを感じさせる強さと視野の広さを武器とし、巧みな反転から攻守の切り替えポイントとなる。2009-2010年と2年連続でハマー・オブ・ジ・イヤーに輝いた。175センチ69キロ
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Parks,Tony トニー・パークス
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ポジション:GK
生年月日:1963年1月26日
所属クラブ:トッテナム〜オックスフォード〜ジリンガム〜ブレントフォード
〜QPR(レンタル)〜フラム〜ウェストハム〜ストーク〜フォルカーク
〜ブラックプール〜バーンリー〜ドンカスター〜バロウ〜スカーバラ〜ハリファクス
在籍:1991-92年在籍、6試合出場
20年以上のキャリアで15クラブを渡り歩いたゴールキーパー。スパーズ在籍時の1984年にはUEFA杯優勝を経験しているが、ブレントフォードとフォルカーク以外ではシーズンを通してのレギュラーとしてプレーすることはなかった。引退後はハリファクス・タウンの監督代行を2度務めた後、FAのユース年代を指導している。
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Parkes,Phil フィル・パークス
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ポジション:GK
生年月日:1950年8月8日、ウエストブロム出身
所属クラブ:ウォルソール〜ウルブス〜QPR〜ウエストハム〜イプスウィッチ・タウン
在籍:1979-90年在籍、436試合出場
代表歴:イングランド代表1キャップ
1979年2月にQPRからGKとしては史上最高額の移籍金£56万5,000で加入。マーヴィン・デイのように運動能力に優れたタイプではなかったが、80年代を通じてアイアンズのゴールマウスを守りぬいた。
ウォルソールでキャリアをスタートさせ、QPRでは9シーズン活躍して黄金期を満喫し、イングランド代表にも選ばれた。だが、レイ・クレメンス、ピーター・シルトンという偉人たちの前にキャップ数はわずか1つにとどまっている。1980-81年シーズンには、リーグ戦で22試合を無失点に押さえるというクラブ新記録を作った。39歳となるまで11年に渡ってアップトン・パークでプレー。引退後はイプスウィッチでGKコーチを務めている。
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Parris,George ジョージ・パリス
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ポジション:DF/MF
生年月日:1964年9月11日
在籍:1982年9月-1993年3月、299試合出場18得点
所属クラブ:ウエストハム〜バーミンガム〜ブレントフォード〜ブリストルC〜ブライトン〜サウスエンド〜ケタリング〜セント・レオナルズ
地元出身のDFで「チキン・ジョージ」の異名も有名。1984-85年シーズン最終戦のリバプール戦でデビューし、1990−91年には中盤にポジションを移し、8ゴールを挙げてチームの1部昇格に大きな貢献を果たした。このシーズンには、ハマー・オブ・ジ・イヤーの投票で2位となっている。ウエストハムでは8年に渡って在籍した。
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Parsons,Eric エリック・パーソンズ
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ポジション:FW
生年月日:1923年11月9日
所属クラブ:ウエストハム〜チェルシー〜ブレントフォード
在籍:1946-50年、152試合出場35得点
そのすばしっこい動きから「うさぎ」と呼ばれたウインガー。タッチライン際を駆け上がって``We want Rabbit!!``とファンの喝采を浴びた。1950年にクラブ史上最高額となる2万3千ポンドの移籍金によってアップトンパークを離れてチェルシーへ移籍。1955年にはチェルシーにとって初めてとなるリーグ制覇に貢献した。後にブレントフォードでもプレーしている。イングランドB代表2回
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Payne,Josh ジョシュ・ペイン
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ポジション:DF/MF
生年月日:1990年11月25日
所属クラブ:ポーツマス〜ウエストハム〜チェルトナム(レンタル)
在籍:2008-年、1試合出場得点
次世代のカリックと期待される頑強なセンターハーフ。2006年にポーツマスよりウェストハムのアカデミーに移り、3期目の2008年からはU18チームの主将を務めていた。2008年9月にはクラブOBのマーティン・アレン監督に請われてチェルトナム・タウンにレンタルされると、デビュー戦でゴールを挙げる華々しいデビューを飾った。中盤だけではなく、センターバックとしてもプレーできる。183センチ74キロ。
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Paynter,Charlie チャーリー・ペインター
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生年月日:1883年スウィンドン生まれ、1971年没
半世紀以上の長きに渡ってウエストハムに尽くしてきた元監督。幼少期にプライストゥに移り住み、10代の頃は地元のヴィクトリア・スウィフツでプレー。1897年に無給の助っ人としてメモリアル・グラウンドに来て、1900年に正式に加入。しかしながら、選手としてはウーリッジ・アーセナル戦の1試合に出場しただけで、1902年には
膝の怪我もあって引退を余儀なくされ、同年にリザーブチームのトレーナーとして再出発を図る。1912年まではシド・キング監督の下でトレーナーのアシスタントをしていた。
トレーナーをしていた時期には、イングランド代表チームの仕事にも携わり、1924年に初めてウェンブリーで国際試合が組まれた際にもスタッフとして参加した。1932年11月にキングの死去に伴い、第2代監督に就任。第二次大戦を潜り抜け、1950年8月にその座を退いた時には、71歳となっていた。
その後も20年以上存命し、クラブの1部昇格などを見届けた。
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Peacock,Darren ダレン・ピーコック
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ポジション:DF
生年月日:1968年2月3日
所属クラブ:ニューポート〜ヒアフォード〜QPR〜ニューカッスル〜ブラックバーン〜ウエストハム(レンタル)〜ブラックバーン〜ウルブス(レンタル)
2000年の開幕当初に怪我人続出で火の車にあったDF陣を補強するために短期レンタルでブラックバーンより獲得したCB。長身をいかした高い打点でのヘッドやハードなマークが売りで、ニューカッスル時代には代表入りも囁かれていた。マニュ・プティを思わせるブロンドの長髪がトレードマークだった。
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Pearce, Ian イアン・ピアース
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ポジション:DF
生年月日:1974年5月7日
所属クラブ:チェルシー〜ブラックバーン〜ウエストハム〜フラム
加入年:1997年9月-2004年1月、163試合出場10得点
代表歴:イングランドU21代表
1997年にブラックバーンから230万ポンドで獲得したディフェンダー。センターバックが本職だが、右のアウトサイドやFWまでもをこなす万能型。191センチの長身を活かした打点の高いヘッドは魅力十分で、セットプレーの際には貴重な武器となった。ローダー政権下の2003年には、負傷者続出のFW陣を補うため、トップのターゲットマンとして幾度も先発で起用された。従兄弟のエド・ピアースはラグビーのイングランド代表選手。
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Pearce,Stuart スチュアート・ピアース
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ポジション:DF
生年月日:1962年4月24日生まれ
在籍:1999-2001年在籍
所属クラブ:ウィールドストーン〜コベントリー・C〜ノッティンガム・F〜ニューカッスル〜ウエストハム
〜マンチェスター・C〜マンチェスター・Cコーチ/監督
代表歴:イングランド代表78キャップ5ゴール
激しい気性から「サイコ」と呼ばれ、長くイングランドを代表として活躍した左利きのDF。「ナイフのよう」と形容された必殺のタックルを武器にサイドバックからセンターバックまでもをこなした。
ノッティンガム・Fでそのほとんどのキャリアを過ごし、リーグ杯連覇などに貢献。1990年代半ばには、監督も兼任している。ニューカッスルで優勝争いも経験し、1999年にウエストハムへ。充実したプレーぶりで、37歳にしてイングランド代表にも復帰した。欧州選手権には3度、1990年のW杯イタリア大会にも出場した。西ドイツとの準決勝でPKを失敗したことは、英国民の記憶に強く残っている。その後、マンチェスター・Cのコーチに就任し、監督に昇格。ノン・リーグでプレーしていた21歳の時に、練習試合の相手となったコベントリーに拾われてプロ入りした異色の経歴は、シンデレラ・ストーリーとして有名。175センチ81キロ。
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Pearson,Stuart スチュアート・ピアソン
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怪我に泣かされたストライカー。1979年に全盛時を過ごしたマンチェスター・Uから加入し、1980年のFA杯準決勝ではエバートンから決勝のゴールを奪い、ウェンブリーへと導いた。イングランド代表として15キャップを持つ。後にブラッドフォード・Cの助監督に就任した。
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Peters, Matin マーティン・ピータース
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ポジション:MF
生年月日:1943年11月8日、プライストウ出身
在籍:1961-70年、364試合出場100得点
所属クラブ:ウエストハム・A〜トッテナム・H〜ノーリッジ・C〜シェフィールド・U
代表歴:イングランド代表67キャップ20ゴール
1966年W杯優勝メンバーの一人となった栄光の戦士。W杯決勝戦でイングランドの2点目を挙げた選手としても記憶されている。1959年にアプレンティスとして契約。翌年11月にプロ契約を果たすと、徐々に頭角を現わして行く。右MFで起用されることが多かったが、簡単にポジションを決められないほど多彩な才能を持った選手であった。ウエストハムでFAカップとカップ・ウイナーズ・カップの獲得に貢献し、若くしてイングランド代表に選ばれるようになった。
1970年、イングランドで史上初となる20万ポンドもの移籍金でトッテナムへ移籍。70年代前半のスパーズ黄金期を牽引し、UEFAカップ、リーグカップ獲得などにも貢献した。その後ノーリッジでもプレーし、シェフィールド・Wでは監督も兼任した。1978年には、MBE勲章を授与されている。
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Peyton,Gerry ジェリー・ペイトン
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ポジション:GK
生年月日:1956年5月20日バーミンガム出身
所属クラブ:バーンリー〜サウスエンド(レンタル)〜ボーンマス〜エバートン
〜ボルトン(ボルトン)〜ブレントフォード〜チェルシー〜ウェストハム
指導歴:ヴィッセル神戸〜ジュビロ磐田〜AIK〜フラム〜アーセナル
在籍:
代表歴:アイルランド代表33回
フラムやボーンマスなどを中心にリーグ戦だけでも600試合以上の出場数を誇る元アイルランド代表のGK。代表ではパット・ボナーの陰に隠れていたが、1990年のW杯イタリア大会にも出場している。現在はアーセナルのGKコーチ。
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Pike,Geoff ジョフ・パイク
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ポジション:MF
生年月日:1956年8月28日ロンドン出身
所属クラブ:ウエストハム〜ノッツ・カウンティ〜レイトン・オリエント
在籍:1974年9月〜1987年、291試合出場32得点
1980年にFA杯を制した頃から1985-86年シーズンに3位となった時期の主軸。常に100%の力を出し切るプレーでファンから支持された。ブルッキングと構成する中盤は、明確な役割分担によりバランスを保った。1987年7月にノッツ・カウンティーへ移籍。後にレイトン・オリエントでもプレーした。
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Porfirio,Hugo ウーゴ・ポルフィリオ
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ポジション:FW
生年月日:1973年9月28日リスボン生まれ
所属クラブ:スポルディング・リスボン〜ウエストハム〜ラシン・サンタンデール〜ノッティンガム・F〜ベンフィカ
在籍:1996年9月〜1997年5月、27試合出場4得点
ポルトガルのアタッカー。1996-97年シーズンにマレーシアへ去ったFWトニー・コッティーの穴を埋めるために獲得。スポルディング・リスボンから1年間の期限付きでアップトン・パークへ飛来した。
だが、得点力不足のチームを救うには至らず、降格の危機に瀕したチームには同じくシーズン途中からJ・ハートソンとP・キットソンが加入。彼らが大きな活躍をしたこともあって、ウーゴの完全移籍はならなかった。リーガ・エスパニョーラのラシン・サンタンデールへ行った後、ノッティンガムでもプレーし、母国のベンフィカへ移った。
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Potts,Steve スティーブ・ポッツ
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ポジション:DF
生年月日:1967年5月7日アメリカ出身
所属クラブ:アカデミー〜ウエストハム〜ダゲナム&レッドブリッジ
在籍:1985-2002年、505試合出場
代表歴:イングランド・ユース代表
19年に渡ってクラブに在籍、長く最終ラインのユーティリティー・プレイヤーとして活躍したディフェンダー。生まれたのはアメリカ合衆国であったが、地元で育れて幼い頃はトニー・アダムスと同じチームでプレーしていた。10代半ばでウエストハム入り。1983年にアプレンティスとなり、1985年にプロ契約。翌年からファースト・チームに定着していった。上背はないが、堅実で小気味良い動きを見せる右サイドバックとして頭角を現し、次第にセンターへとポジションを移した。クラブ史上7位となる通算505試合に出場しており、1990年代前半はDFラインに欠かせぬ存在として君臨した。1997-98年シーズンにQPRとテスティモニアル・マッチを行なっている。リーグ戦通算400試合出場まであと1試合と迫っていたが、一度もチャンスを与えぬまま放出したローダーには、多くの批判が集まった。1992-93年、1994-95年シーズンの2度ハマー・オブ・ジ・イヤーに輝いている。
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Powell,Chris クリス・パウエル
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ポジション:DF
生年月日:1969年9月8日生まれ
在籍:2004-05年
所属クラブ:クリスタルパレス〜オルダーショット〜サウスエンド〜ダービー〜チャールトン
〜ウエストハム〜チャールトン〜ワトフォード〜チャールトン
代表歴:イングランド代表5キャップ
2004年9月に手薄な左サイドバック候補としてチャールトンから借り受けた元イングランド代表。ロンドン育ちでクリスタルパレスのトレイニー出身。
長く下部リーグでプレーしたところをダービーに拾われ、80万ポンドで移籍したチャールトンではフル代表として5キャップも獲得。タイミングの良い上がりと、柔らかで巻くようなクロスボールを武器とする。2005年に同じポジションのコンチェスキーを獲得したことから、入れ替わりに古巣へと無償で戻っていった。人望が厚く社会貢献活動にも熱心であり、2007年よりPFA会長も務める。
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Pratt,Reg レグ・プラット
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1950年から79年の30年に渡り、クラブの会長を務めた。
クラブの近代化を推し進め、特にユース世代からの育成システムの確立に力を入れた。
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Puddefoot,Sydney シドニー・パドフット
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ポジション:FW
生年月日:1894年生まれ
所属クラブ:ウエストハム〜ブラックバーン〜ウエストハム
在籍:1913-22年&1932-33年在籍、計180試合出場95得点
初期のウエストハムを担ったストライカー。2度に渡り在籍しているが、まずは1913年から1922年までの間に125試合に出場、67ゴールを挙げている。
スコットランドのクラブで3年、ブラックバーンで7年を過ごし、37歳のときにアップトン・パークへと戻ってきた。だが、残念ながら1931-32年シーズンには降格の憂き目に遭い、同時に引退した。イングランド代表として5キャップを持つ。1933年にはトルコのガラタサライで監督となり、後にノーサンプトンでも指揮を執った。クリケット選手としても有能で、エセックスでは知られた存在だった。1972年10月、肺炎と3週間闘かった末に他界した。
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