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| Walford,Steve スティーブ・ウォルフォード |
ポジション:DF
生年月日:1958年1月5日イズリントン生まれ
所属クラブ:トッテナム〜アーセナル〜ノーリッジ〜ウエストハム〜ハダーズフィールド(レンタル)〜ウエストハム〜ジリンガム(レンタル)〜ウェスト・ブロムウィッチ(レンタル)
在籍:1984-89年、115試合出場2得点
フランク・ランパードの背番号3を受け継いだ左サイドバック。ノーリッジから16万5千ポンドで獲得し、1985-86年シーズンに3位となった際は、右のレイ・スチュワートと見事なつるべの動きを見せた。1987-88年シーズンにハダーズフィールドへ貸し出した後、計3度も下部リーグへ行っているが、籍は残してあった。
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| Walker,Albert アルバート・ウォーカー |
ポジション:DF
生年月日:1910年生まれ
所属クラブ:バロウ〜ウエストハム〜ドンカスター・R〜コルチェスター・U
在籍:1932-38年
1930年代のチームでディック・ウォーカーとともにプレーした強烈なヘッドが売りのディフェンダー。強いハートを持ち、200試合近くに出場した。1932年夏に北部の3部のクラブ、バロウから加入。
オールダム戦でデビューし、たちまちアルフ・チョークリーと良いコンビを見せるようになった。6シーズンをアップトンパークで過ごし、1938年にドンカスター・Rへと去っていたが、戦後はコルチェスター・Uに移籍して再び南部へと戻り、ここでテッド・フェントンと出会う。
その2年後、今度はウエストハムの監督に就任したテッド・フェントン監督に誘われ、アップトンパークにコーチとして戻ってきた。リザーブチーム、トップチームなどのコーチを務めて1部昇格や代表選手の育成などに貢献。チームの躍進を作り出す担い手となった。1980年に選手、コーチを合わせて34年にもなったアップトン・パークでの生活に別れを告げた。1993年4月に83歳で他界している。
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| Walker,Dick ディック・ウォーカー |
ポジション:DF
生年月日:1923年生まれ
在籍:1934-57年、311試合出場2得点
30年近くに渡ってクラブに在籍した伝説的な選手。ゲームを読む目に長けており、空中戦にも強かったセンターバック。2年近くの間に2度のテストを受けた後、1934年にようやく加入するとすぐにレギュラーの座をつかんだ。
第二次大戦後にリーグが再開されると、キャプテンに推され、8年に渡って責任ある立場でチームを引っ張った。レギュラーポジションを失い、リザーブチームに回ることとなっても腐ることなく若手に自分の経験を伝える役割を見事にこなしていた。ジョーク好きで周囲をいつも和ませていた選手でもあった。全ての出場試合数を数えると600を超える。長い闘病生活の末、1988年2月に75歳で永眠した。
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| Walker,James ジェイムズ・ウォーカー |
ポジション:GK
生年月日:1973年7月9日生まれ
所属クラブ:ノッツ・カウンティ〜ウォルソール〜ウエストハム
在籍:2004年、試合出場
2004年夏にウォルソールから獲得したGK。2003-04年シーズンのウエストハム戦で目覚しい活躍を見せたことからクラブ関係者の目を引いた。サットン・イン・アシュフィールドの出身。1991-92年シーズンにノッツ・カウンティのユースでキャリアをスタート。1993年8月にウォルソールへ移り、リーグデビューを果たす。これまで、リーグ戦だけでも400試合以上を経験している。180センチに満たない小柄なGKとしても有名。
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| Wanchope,Paulo パウロ・ワンチョペ |
ポジション:FW
生年月日:1976年7月31日
在籍:1999-2000年在籍、38試合出場12得点
所属クラブ:ダービー・カウンティ〜ウエストハム〜マンチェスター・シティ〜マラガ(スペイン)〜アル・ガラファ(カタール)〜ロサリオ・セントラル(アルゼンチン)
代表歴:コスタリカ代表、51キャップ36ゴール
1999年にダービーから£350万で獲得したコスタリカ代表のFW。長いストライドをいかした突破と、外に流れてのチャンスメイクに長けたアタッカーであったが、投じの決定力には難があった。インタートトカップでデビューし、当初はゴールを重ねていたが徐々にペースダウン。似たタイプのカヌーテが来たために、わずか1年でマンチェスター・Cへ移籍した。コスタリカ代表のエースでもあり、国民的英雄。2002年のW杯にも出場し、ブラジルからゴールを奪っている。
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| Watson,Vic ヴィク・ワトソン |
ポジション:FW
生年月日:1898年11月10日
在籍:1920-34年在籍、505試合出場326得点
所属クラブ:ウェリングボロ〜ウエストハム〜サウサンプトン
代表歴:イングランド代表
ウエストハムのクラブ史上最多ゴール記録を持つ伝説のストライカー。ケンブリッジシャーに生まれ、1920年3月にシドニー・パドフットの代わりとして50ポンドでウェリングボロから加入した。パッドフッドがフォルカークと最高額の移籍金で契約したため、ワトソンにCFの座が回ってきた。シーズン40試合で42ゴールという爆発的な得点力を見せ、1923年にはイングランド代表として2試合に出場したが、以後1930年まで呼ばれることがなかった。ウエストハムでは38歳になるまでプレーし、FA杯などを含め505試合に出場326ゴールをマーク。リーグ戦だけでも462試合で298ゴールを挙げている。1935年にサウサンプトンへ移籍した。1988年8月に91歳で他界している。
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| Ward,Elliott エリオット・ウォード |
ポジション:DF
生年月日:1985年1月19日
所属クラブ:ユース〜ウエストハム〜ピーターバラ(レンタル)〜ブリストル・R(レンタル)〜ウエストハム〜プリマス(レンタル)〜コベントリー
在籍:2001-2006年、15試合0得点
2001年に16歳でトップチームへと引き上げられたラインコントロールの巧みなセンターバック。ピーターバラ、ブリストル・Rへのレンタルを経て、2005年途中からCBのレギュラーに。サイドバックからコンバートされたアントンとコンビを組んでプレーオフ進出への立役者となった。激しさよりも、フィードを得意とするクレバーなタイプのディフェンダー。兄弟4人が全てプロ選手という珍しい一家でもあり、長男リーはワトフォード、次男スコットがピーターバラ、三男ダレンはクリタル・パレスでプレーしている。チームのプレミア復帰に貢献したが、ガビドンやコリンズの加入もあってプレミアでは4試合しかプレーすることなく、プリマスへのレンタル後、100万ポンドでコベントリーへ移っている。
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| Ward,Mark マーク・ウォード |
ポジション:MF
生年月日:1962年10月10日
所属クラブ:エバートン〜ノースウィッチ〜オールダム〜ウエストハム〜マンC〜エバートン
〜バーミンガム〜ハダーズフィールド〜ウィガン〜ノースウィッチ
在籍:1985年8月15日-1989年12月29日
頑強で激しいプレーを得意としたウイングで、クラブ最高の3位を記録した85-86年シーズンの立役者。85年夏にオールダム・アスレチックから加入し、アップトンパークでは4年間に渡って安定したパフォーマンスを見せ、チームとファンの信頼を勝ち得た。だが、ルー・マカリ監督と喧嘩してマンチェスター・Cへ移籍。その後はエバートンやバーミンガムでもプレーした。指導者となってからはノンリーグのオルトリンカムで監督を務めた。のちにコカインの不法所持で監獄行きに。
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| Watson,Mark
マーク・ワトソン |
ポジション:FW
生年月日:1973年12月28日、バーミンガム出身
在籍:1996年4月〜1996年5月、1試合出場0得点
所属クラブ:サットン〜ウエストハム〜レイトン・オリエント(レンタル)〜ケンブリッジ(レンタル)〜シュルズベリー(レンタル)〜ボーンマス〜non
League
ノンリーグのサットンから無骨ながらも有望なアタッカーとして加入したが、1996年4月のQPR戦に途中交代で出場したことがウエストハムでのキャリアの全て。すぐにスティーブ・ジョーンズを獲るための交換要員としてボーンマスに放出された。
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| Webb,George ジョージ・ウェブ |
| 1911年のスコットランド戦でフル代表に選出された選手。第一次世界大戦前のチームで52試合に出場したが、1915年に結核を患い、27歳の若さでこの世を去った。 |
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| Webster,Simon サイモン・ウェブスター |
ポジション:DF
生年月日:1964年1月20日生まれ
所属クラブ:トッテナム〜エクセター〜ハダーズフィールド〜シェフィールド・U〜チャールトン
〜ウエストハム〜オールダム〜ダービー〜チャールトン
在籍:1993年6月〜1995年11月
1993年6月にチャールトンより52万ポンドで獲得したリーダーシップを持ったディフェンダー。開幕前に足を骨折し、ほとんど戦力と成らないままチャールトンに返却された。古巣チャールトンで引退し、指導者の道へ。フィジオセラピストとなってウエストハムに戻って来た。
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| Whitbread,Adrian エイドリアン・ウィットブレッド |
ポジション:DF
生年月日:1971年10月22日、イッピング出身
在籍:1994年8月〜1996年10月、14試合出場0得点
所属クラブ:レイトン・オリエント〜スウィンドン・タウン〜ウエストハム〜ポーツマス(レンタル、完全移籍)〜ルートン(レンタル)〜レディング〜エクセター(レンタル)〜バーネット・コーチ
1994年に30万ポンドとジョーイ・ビューシャンプとの交換により獲得した 大型ディフェンダー。たびたび怪我に見舞われ、出場機会は多くなかったが、とても良い選手との評は揺らがなかった。加入から1年でポーツマスへ貸し出され、1996年10月にはそのまま完全移籍となった。
現在はブレントフォードの助監督。
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| Whitton,Steve スティーブ・ウィットン |
ポジション:FW
生年月日:1960年12月4日
所属クラブ:コベントリー〜ウエストハム〜バーミンガム〜シェフィールド・W〜イプスウィッチ
在籍:83年7月〜86年8月、39試6合得点
1984年にコベントリーから17万5000ポンドの移籍金で獲得したイーストハム出身の左ウインガー。ファン・デル・エルストの代わりとして期待された。コルチェスターの監督時代には、引退を考えていたスティーブ・ポッツに最後の働き場所を与えている。
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| Widdowson, Joe ジョー・ウィドウソン |
ポジション:DF
生年月日:1989年3月29日、フォレストゲイト生まれ
所属クラブ:ウエストハム・アカデミー〜ロザラム(レンタル)〜ウェストハム
在籍:2008年7月〜
2008年の北米ツアーで活躍し、ファーストチームへの切符を手に入れたアカデミー所属の左サイドバック。MSLオールスターゲームでは対面のベッカムに仕事をさせず、評価を高めた。
2008年2月にはロザラムへ1ヶ月貸し出され、初めて公式戦での出場機械を手に入れた。
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| Williams, Gavin ガビン・ウィリアムズ |
ポジション:MF
生年月日:1980年7月20日、ウェールズのマーサー・シドフィル生まれ
所属クラブ:ヒアフォード・U〜ヒアフォード・U〜イョービル・タウン〜ウエストハム〜イプスウィッチ
在籍:2004年12月〜2006年1月10試合1得点
2004年12月にリーグ2のイョービル・タウンより25万ポンドで獲得した攻撃的MF。ヒアフォード・Utdでのトレイニー契約からキャリアを始め、トップデビューは1997年12月のFA杯コルチェスター戦。17才のときだった。エドガーストリートでは、7年以上を過ごし、134試合に出場して31ゴール。2002年5月にイョービル・タウンへ移籍して2003年のナショナル・カンフェレンス優勝に貢献した。ハイッシュ・パークでは、毎年プレイヤー・オブ・ジ・イヤーに選ばれるなど確固たる勝つ地位を築いていた。
イョービル・タウンでは通算104試合で21ゴール。両サイドをこなすため、チャドウィックとエザリントンのバックアップとなることを期待されての入団となった。2006年に30万ポンドでイプスウィッチに
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| Williamson,Danny
ダニー・ウィリアムソン |
ポジション:MF
生年月日:1973年12月5日、ウエストハム出身
在籍:1990年8月〜1997年8月、58試合出場5得点
所属クラブ:トレイニー〜
ドンカスター(レンタル)〜ウエストハム〜エバートン
ウエストハムで生まれ育った生粋の地元っ子。品のあるプレーをするミッドフィルダーであり、パスセンスにも長けていた。1990年からファースト・チームに登録され、1992年にプロとして正式に昇格。トップデビューは1994年4月、ハイベリーでのアーセナル戦で交代出場。同年5月のサウサプトン戦では初得点も挙げた。1995-96年シーズンから2年連続で開幕スタメンに抜擢されるなど若きダイナモとして期待も大きかったが、たびたび怪我に見舞われたことで、ポジションを失っていった。1997年8月にデイビッド・アンズワース+£1mでエバートンへ移り、2000年に引退。
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| Winterburn,
Nigel ナイジェル・ウインターバーン |
ポジション:DF
生年月日:1963年12月11日
所属クラブ:バーミンガム〜オックスフォード〜ウインブルドン〜アーセナル〜ウエストハム
在籍:2000年6月-2003年5月、94試合出場1得点
代表歴:イングランド代表
アーセナルのフェイマスバック4の一員として余りにも有名な左サイドのスペシャリスト。タイミングの良いオーバーラップと的確なクロスを武器にタッチライン際を疾走する。冷静なプレー態度と温厚な性格で、カードをもらうこともめったにない。アーセナルから放出された際には引退も考えたようだが、レドナップの熱心な誘いによりプレーを継続。安定したプレーで不動の左サイドとなり、ハイベリーに戻った際には、大きな拍手で迎えられていた。
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| Woodgate,Terry テリー・ウッドゲイト |
ポジション:FW
生年月日:1920年
在籍:1934-57年、275試合出場52得点
地元出身の選手でリーグ、カップ戦を合わせて計275試合に出場したウインガー。左右両サイドをこなし、スピード豊かな選手だったが、キャリアの大半を戦争のために棒に振っている。1946年のプリマス戦では僅か7分間でハットトリックを記録している。戦後はハリー・フーパーやマルコム・マスグローブの台頭により出番を失い、1954年にピーターボロへ移籍。現役引退後はケンブリッジシャーでパブを経営した。1982年4月に62歳で永眠している。
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| Woodley,Derek デレク・ウッドリー |
ポジション:FW
生年月日:1942年3月2日生まれ、2002年逝去
所属クラブ:ウェストハム〜サウスエンド〜チャールトン(レンタル)〜ジリンガム〜フォークストーン
在籍:1959-62年、12試合出場3得点
少年時代はイングランド・スクールボーイズ代表入りしていたウインガー。特にウェンブリーで行われたウェールズ戦で開始13秒という電光石火のゴールを決めたことで有名となっていた。1957年にウェストハムの門を叩き、プロ契約するまでは順調に育ったが、思うように出場機会を得られず。当時、非常に密な関係にあったサウスエンドへ放出された。1歳違いのマーティン・ピータースが少年時代から仲がよく、葬儀にも真っ先に駆けつけた。
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| Woosnam,Phil フィル・ウーズナム |
ポジション:FW
生年月日:1932年12月22日
在籍:1958-63年、147試合出場27得点
所属クラブ:レイトン・オリエント〜ウエストハム〜アストンビラ〜アトランタ・チーフス(コーチ牽引)
ウェールズ大学を卒業しており、ぶり釣り学を専攻していたというインテリ。卒で才能溢れる創造性豊かなインサイド・ライトとして活躍。1958年11月に3万ポンドでレイトン・オリエントから加入したが、その前はアマチュアとして長くプレーしていた。その高いテクニックから「魔法使い」と呼ばれた。クラブが1部昇格した後、タイトルを獲る時期までのチームを支えた。
1962年にはジョニー・バーンが来たことにより、4年以上に渡るアップトンパークでの生活を終えて、アストンビラへと移った。ウェールズ代表として15キャップを持つ。
1966年にアメリカへ移住。サッカーの普及に努めて、W杯米国大会の開催を実現させた。現在はマーケティング・コンサルタントとなっている。http://www.soccerhall.org/builders/phil_woosnam.htm
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| Wright,George ジョージ・ライト |
ポジション:DF
所属クラブ:マーゲイト〜ウエストハム〜レイトン・オリエント
在籍:1951-58年、170試合出場
南部リーグのマーゲイトから破格の安値で加入した右サイドバック。当時としては珍しくスピードあるオーバーラップを最大の武器とし、50年代のほとんどをNo.2のシャツを着て過ごした。ジョン・ボンドの台頭によりポジションを失い、1部昇格を決めた57-58年シーズンではわずか8試合に出場しただけでレイトン・オリエントへと新天地を求めることとなった。
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| Wright,Ian イアン・ライト |
ポジション:FW
生年月日:1963年11月03日
在籍:1998年7月-1999年10月在籍、25試合出場9得点
所属クラブ:クリスタルパレス〜アーセナル〜ウエストハム〜ノッティンガム〜セルチック〜バーンリー
代表歴:イングランド代表31キャップ9ゴール
1998年に£50万でハイベリーからやって来たガンナーズのアイドル。ハートソンとの息の合ったプレーでチームを5位に導き、インタートト杯出場権を獲得する原動力となった。ベンゲル監督に教えられたプロとしてのあり方を崇拝し、アップトンパークでは伝道師のごとく若手に啓蒙していた。
翌季はワンチョペの加入もあって出番を減らされ、開幕直後にノッティンガムへ期限付き移籍。その後、セルティック、バーンリーと移って現役生活に別れを告げた。
イングランド代表としては31キャップで9ゴールを記録しているが、不運な怪我や監督の好みもあってW杯やユーロなどの大舞台は踏めなかった。
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| Wright, Richard リチャード・ライト |
ポジション:GK
生年月日:1977年11月5日
在籍:2007年7月-年月在籍、試合出場得点
所属クラブ:〜アーセナル〜エバートン〜ウエストハム〜サウサンプトン(レンタル)
代表歴:イングランド代表2キャップ
2007年夏に無償でエバートンから獲得した元イングランド代表のGK。2001年には600万ポンドでアーセナルがシーマンの後継者として獲得、2002年の夏に£350万ポンドを費やしたエバートンへ移籍したが、怪我やティム・ハワードの存在もあって2006-07季は僅か2試合の出場に留まっていた。
イプスウィッチ時代の2000年にマルタ戦で代表デビューを果たし、その年の欧州選手権にも参加しているものの、アーセナル移籍後は出場機会を減らしたこともあって2002年を最後に召集されていない。
187センチ82キロ
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