1920〜30年代に右ウインガーとして活躍。150ポンドでハートルプールから獲得した。対面のウイング、ジミー・ラッフェルと共にCFヴィク・ワトソンのゴールを数多くお膳立てした。後にチャーリー・ペインター監督は彼とワトソンのコンビを評して「トミーはヴィクのひじに止まった蝿だって追い払えたんじゃないか?」と語って、その親密なコンビを賞賛した。1966年逝去。
サウスエンドから600ポンドという高額をはたいた選手。ウェンブリースタジアムで初めて行われた1923年のFA杯決勝戦で、左ウイングとして出場。戦前の黄金期を担った選手。だが、キャリアの大半を健康状態の悪さに悩まされながら過ごし、若くして現役生活を終えている。後に、リバプールではジョージ・ケイを補佐してコーチとなった。ウイングだけでなくディフェンダーとしてもプレーした。 1952年に57歳の若さで死去。1993年2月には、クラブの名誉ゲストとなっていたジャックの娘、ドロシー・ヤングによってホワイトホース・ファイナルで着用していた父親のユニフォームが寄贈された。