ロンドンのバーキング出身。イングランドU21代表経験もあるストライカー。ブライトン時代の2001年はディビジョン3で、2002年シーズンにはディビジョン2で、ファンが選ぶリーグの年間最優秀選手にも輝いた。この活躍を見たスパーズが、2003年7月に£1.5mで獲得。ホワイト・ハート・レーンでは、R・キーンらの影に隠れて出場機会に恵まれず、2004年2月にJ・デフォーとの交換要員という形でウエストハムに加入した。一時はクリスタル・パレスへの移籍話も浮上したが、2005年のチャンピオンシップ・プレーオフでは、決勝戦での貴重なゴールを含む4ゴールを叩き出し、これまでの批判を吹き飛ばした。2005年には父親の祖国トリニダード&トバゴから代表召集の要請を受けたが、クラブでのプレーに集中したいとの理由からこれを保留した。2007年以降は怪我もあってベラミーやコールの後塵を拝することが多くなり、2008年夏に出場機械を求めてフラムへと旅立った。185センチ73キロ。
チーム編成上のことでフロントと対立したカービシュリー監督の後を受けて就任したクラブ史上初の外国人監督。イタリア人のナニ強化部長の肝いりでイタリアU21代表コーチの座を捨ててロンドンに戻ってきた。現役時代はロベルト・バッジオと並ぶファンタジスタとして名を馳せ、チェルシーには数々のタイトルをもたらして伝説となった。2004年英国OBE勲章受賞