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Hammer's History(ウェストハム・Uの歴史)
1895年 テムズ・アイアン・ワークスFC創立
1896年 南部リーグに加入
1898年 オーナー、アーノルド・ヒルズの反対を押し切ってプロ化
1900年 ウエストハム・ユナイテッドに改称
1904年 メモリアル・グランドから現在のボレイン・グランドへ移転
1912年 チャーリー・ペインターがコーチ就任
1913年 ダニー・シーが史上最高額の移籍金£2,000でブラックバーンへ移籍
1919年 フットボール・リーグ(2部)加入
1922年 シドニー・パドフットが史上最高額の移籍金£5,000でスコットランドへ移籍
1923年 ウェンブリー・スタジアムで初めて行われたFA杯決勝で、ボルトンに0-2で敗れる
2部で2位となり、クラブ史上初の1部昇格を決定
1925年 ウエスト・スタンドがオープン
1929年 ヴィク・ワトソンがホームのリーズ戦で6ゴールの新記録
1930年 ヴィク・ワトソンがリーグ得点王に輝く
1932年 チャーリー・ペインターが監督就任
シド・キング監督が自殺
1933年 FA杯準決勝に進出、エバートンに1-2で敗れる
1940年 ウェンブリーでのウォー・タイム・カップ(大戦間杯)でブラックバーンを破り優勝
1949年 ウインガー、ベインブリッジがバーンズリー戦(ホーム)で試合開始6秒でのゴールを記録
1950年 チャーリー・ペインター監督が引退、後任にはテッド・フェントン。
1953年 トッテナムとのホーム・ゲームで初めてナイト・ゲームが行われる
1955年 アップトン・パークからは初となるTV中継が行われる
1956年 ベリー戦でアップトンパーク初の夜間照明下での試合(2-0で勝利)
1957年 FAユース杯決勝に初めて進出。だがマンチェスター・Uに敗れて準優勝に終わる
1958年 2部で優勝、1部昇格
1959年 FAユース杯決勝でブラックバーンに敗れ、準優勝
1961年 テッド・フェントン監督が辞任、後任にはロン・グリーンウッド
1962年 クリスタル・パレスからジョニー・バーンを国内最高額£65,000で獲得
1963年 FAユース杯初優勝
1964年 プレストン・ノースエンドを3-2で破り、FA杯を初制覇 
ボビー・ムーアがフットボーラー・オブ・ジ・イヤーに選出される
チャリティ・シールド獲得
1965年 欧州カップ・ウイナーズ・カップ決勝でTSVミュンヘンを破り欧州タイトル獲得 
1966年 イングランドがW杯優勝(代表:DFボビー・ムーア、FWジョフ・ハースト、MFマーティン・ピータース)
リーグ・カップで準優勝
1967年 ボビー・ムーアがOBE勲章を授与
1968年 ジョフ・ハーストがサンダーランド戦でダブル・ハットトリックを達成
1969年 イースト・スタンドがオープン
1970年 MFマーティン・ピータースが国内史上最高額となる£20万でトッテナムへ移籍
10月のスパーズ戦ではアップトンパーク史上最高の観客動員記録を作る
1971年 ジョン・ライオルを助監督に指名
1972年 リーグ杯準決勝でストーク・シティと4試合を戦いながら敗退
1973年 ブライアン・ポップ・ロブソンがリーグ得点王に輝く
1974年 ボビー・ムーアがフルアムへ移籍
グリーンウッド監督が退任し、ジョン・ライオルが新監督に就任
1975年 FA杯決勝をボビー・ムーアが移籍したフルアムと闘い、2-0で勝利
2度目の戴冠 
1976年 欧州カップ・ウイナーズ・カップ決勝でアンデルレヒトに敗れ、準優勝
1977年 マンチェスター・U戦で初めて前売りチケットが完売となる。
R・グリーンウッドがイングランド代表監督就任のためにGMを退任
1978年 2部転落
1979年 QPRからGKフィル・パークスがクラブ記録の56万ポンドで加入
1980年 FA杯決勝でアーセナルを破り、3度目のカップ獲得 
1981年 2部で優勝し1部へ復帰。勝点66は2部リーグ新記録だった。
リーグ・カップで決勝進出、再戦の末リバプールに敗れて準優勝
FAユース・カップで2度目の優勝
1982年 DEビリー・ボンズがイプスウィッチ戦でB・ムーアの持つクラブ出場記録を更新。
スペインW杯にトレヴァー・ブルッキングがイングランド代表として参加。
1983年 リーグ杯のベリー戦で、過去最高の得点差となる10対0の勝利
1984年 プラット会長が死去。トレヴァー・ブルッキングがクラブを去る。
ビリー・ボンズがリーグ通算700試合出場達成
1985年 ユースチームが南東部選手権を初制覇
初の日本遠征を敢行、キリン・カップに参加(サントス、ウルグアイに次ぐ3位で終了)
1986年 リーグ戦で過去最高の3位となる
メキシコW杯にDFアルヴィン・マーティンがイングラン ド代表として参加
FWトニー・コッティーがPFAヤング・プレーヤー・オブ・ジ・イヤーに選出
ニューカッスル戦で最多得点記録タイの8ゴール
1988年 トニー・コッティーがエヴァートンへ移籍。クラブ通算1,000勝達成(リーグのみ)
1990年 リーグ19位で2部へ降格
ジョン・ライオル監督が解任され、門外漢のルー・マカリが新監督に就任
1991年 2部2位で1部復帰を決めるが、最終節にホームでノッツ・カウンティに敗れてオールダムに優勝をさらわれる
FA杯準決勝でノッティンガムに敗退
1992年 1部最下位となって、わずか1年で2部へ逆戻り。
ビリー・ボンズがハリー・レドナップを助監督に迎える。
テレンス・ブラウンがクラブの新会長に選出される。
1993年 ボビー・ムーアが癌のため逝去、享年51歳。
1994年 サウス・スタンドの改修終了、ボビー・ムーア・スタンドと命名。ハリー・レドナップ監督誕生
ボビー・ムーアの追悼記念試合を開催(ウエストハム・オールスターズ対プレミアリーグ選抜)
1995年 センテナリー・スタンド完成、全席指定のスタジアムに
1996年 ユースチームが南東部選手権に優勝。FAユース杯で準優勝(主力:F・ランパード、R・ファーディナンド)
1997年 クラブ史上最高額でアーセナルからジョン・ハートソン、ニューカッスルからポール・キットソンをセットで獲得。
リオ・ファーディナンドが88年のコッティ以来となる90年代初のフル代表選手に選出
1999年 インタートト・カップに優勝、久し振りのUEFA杯出場を果たす。
FAユース杯に3度目の優勝、U19チームはプレミア・アカデミーリーグでも優勝
クラブ史上最高額となる£450万でカメルーン代表のMFマルク・ビビアン・フォエをランス(仏)から獲得
2000年 リオ・ファーディナンドがDF史上最高金額となる£18mの移籍金でリーズへ。
2001年 ハリー・レドナップ監督がフロントと対立して辞任、後任にはコーチだったグレン・ローダーが就任。
同時にフランク・ランパード親子もチームを離れる。
2002年 Dr.マーティンス・スタンド(新ウエストスタンド)が完成。ミュージアム開設。
日韓W杯にMFジョー・コール、MFトレヴァー・シンクレア、GKデイビッド・ジェイムスの3選手がイングランド代表として参加。
2003年 監督代行にトレヴァー・ブルッキングが就任。M・V・フォエがコンフェデ杯で突然死。
リーグ戦18位でディビジョン1に降格。グレン・ローダー監督解任、ブルッキングが代行を務めた後、レディングよりアラン・パードゥ監督を招聘。
2004年 D1を4位で終了。プレーオフ決勝でクリスタル・パレスに敗れて昇格を逃す。テディ・シェリンガム加入。
トレヴァー・ブルッキングにナイトの爵位が授与
2005年 テディ・シェリンガムがチャンピオンシップの年間最優秀選手に選出。
シーズンを
6位で終了。プレーオフでイプスウィッチ・T、プレストン・NEを撃破し、プレミアリーグ復帰。
2006年 クライド・ベストにMBE勲章。アントン・ファーディナンドが1月のプレミアリーグ月間最優秀選手に選ばれる。
2月にロン・グリーンウッド、4月にジョン・ライオルとクラブに栄光をもたらした名将が相次いで逝去。
FA杯決勝に進むも、PK戦の末にリバプールに敗れて準優勝

7年ぶりのUEFA杯でパレルモに敗れてグループリーグにも進めず。
アイスランドの実業家エガート・マグナソンがクラブを買収。
成績不振によりアラン・パードゥ監督を解任、後任にアラン・カービシュリーが就任。
2007年 MSIが保有権を持つテベスとマスケラーノの獲得に関して史上最高550万ポンドの罰金を課される。
3月に最下位まで転落するも、ラスト10試合で21ポイントを稼ぎ、奇跡的にプレミア残留を果たす。
クラブ史上最高額となる£750万でウェールズ代表FWクレイグ・ベラミーをニューカッスルから獲得。
2008年 18歳のFWフレディ・シアーズがデビュー戦で初得点を記録
強化部長にイタリア人のジャンルカ・ナニが就任
カービシュリー監督がアントン・ファーディナンドとジョージ・マッカートニーの放出に関してフロントと対立し辞任。
後任には初の外国人監督となるジャンフランコ・ゾラが就任